第二話 愚痴
朝の稽古を終えた雫は朝食を買いに。私は朝食の準備を進めつつ、坊ちゃまと花梨を起こしに向かう。これは単なる役割分担で、決して愛らしい寝顔を堪能しようなどという邪な魂胆はない。
坊ちゃまは寝起きがいいけれど、意外にも花梨は朝が弱いらしく、いつも少し苦労している。どこにでもある朝の風景に心を和ませつつ、容赦なくかけ布団をはぎ取った。
さて、この国ラルサ王国の平日の朝食はだいたいパン、チーズ、ヨーグルト。時々サラダやフルーツだ。
それに加えてスクランブルエッグを添えることも多い。前世では朝はご飯が多かったけれど、まあこれはこれで楽しい。やはり今まで食べたことのなかったもの、経験したことのないことを楽しむのがセカンドライフの醍醐味だろう。
しかし本日の食卓には少しばかり見慣れない果物……多分、分類上は果物が乗っていた。
「ヤシの実……ココナッツですか。また変わったものを……」
「先日、坊ちゃまとお姉さまが変わった果物を食べてみたいとおっしゃっていたので……ご不快でしたか?」
「いいえ。細かいことまで覚えてくれてうれしいですよ」
雫がパンと一緒に買ってきたのは子供の頭ほどもあるココナッツ。ズシリと重く、食べ物とは思えない。
「ですが、これはどうやって食べるんですか? 中の果肉や液体がおいしいとは聞いたことがありますが」
「金槌や鉈で外側を叩き切るそうです」
「なるほど。だから鉈を用意しているんですね」
雫は以前山歩きの時に使った鉈を小脇に抱えていた。ちなみにオオグチオオカミと戦った時にも使ったいわくつきの逸品だ。血を怖がるくせにこういうところに雫は無頓着だ。
その後、二人してココナッツをもはや日曜大工のように調理している最中に現れた坊ちゃまが死体を隠蔽している犯人を目撃した通行人のような顔をしていたのも無理はない。味は……コクのあるスポーツドリンクみたいで、まずまずだった。中の果肉のようなものも程よい甘みで風味があった。強いて近い味を探すなら……柿だろうか。お菓子なんかに混ぜたほうがいいかもしれない。
それから坊ちゃまを学園まで見送り、屋敷内の掃除、庭の手入れなどを行う。私たち以外にも家事を行う人間は何人かいるので、以前よりはずいぶん楽になった。それでも午前は家の中の仕事でいっぱいであることが多い。
午後からは個々人の活動が増える。
花梨は毎日研究活動。生物学会まで出歩くことも多い。ただ、たまに衣服に生物の体液らしきものを付着させているのは何とかならないだろうか。雫はトレーニングをしたり、他人の仕事を手伝ったり。最近はぬいぐるみを作ったりもしているそうだ。趣味ができるのは良いことだし、私は縫物が得意でないので雫に弱点をカバーしてもらうのは願ってもない。
そして私が法律家として活動するのはこの時間である。
仕事であるからには、うららかな日常を楽しんでいた気分が一瞬で吹き飛ぶこともある。
「だからな? 俺は言ってやったんだよ。おめえらにやる食い物はねえってな」
目の前のおっさんはこの自宅兼事務所に上がり込み、相談に見せかけた自慢話を先ほどから長々と続けている。
そこで時間を告げる鐘の音が町全体に響き渡った。
「おう、もうこんな時間か。じゃあ、孤児院の調査はよろしく頼むぜ」
「かしこまりました」
丁寧にお辞儀して見送る。確実に声が届かないことを確信してからぽつりと呟いた。
「どうしておっさんという生き物は自慢できないようなことをぺらぺらとしゃべり続けられるのですかね?」
聞き取りながら書き続けていたメモに目を落とす。すると雫がチャイを運んできてくれた。素晴らしいタイミングだ。
「お疲れ様です。どのような依頼でしたか?」
おそらく愚痴を聞いてくれるつもりなのだろう。その気遣いに甘えることにした。
「この近くにある孤児院、正確には児童養護施設の子供が最近元気になっているそうです」
「それは良いことなのでは?」
「ええ。ですが先ほどのおっさ……失礼。依頼人はそれが気にいらないようですね 。今まで自分が目をかけていたにもかかわらず、礼の一つもないのは何事か。そう言いたいようです」
無論あのおっさんが施設のためにしたことなどせいぜい子供に残飯を恵んでやるくらいだろう。はっきり言って言いがかりだ。
「彼が言うには施設で何らかの不正が行われており、調査するべし、とのことです」
「調査なさるのですか?」
「一応ですが。適当に切り上げて機嫌を取れば依頼人も納得するでしょう」
どこへ行ってもクレーマーは存在するのだ。こうして日々勤勉に働く人々から厚かましい愚者が時間を巻き上げていくのは何ともやるせない。




