第五十八話 慈愛
ちょっとした宴はやはりささやかなまま終了した。
これからの予行演習もかねて後片付けは全員で行った。ちなみに菜月様が不器用ながらも加わっていたことには少しだけ驚いた。
そしてお客様はみな帰宅した。ちなみにサラ様はエミ様のお宅に泊まるらしい。
そしてこの家にもともと住んでいる四人だけになった……のだが。
「よく眠っていますね」
「まったくです。二人ともこういうところはまだまだ子供ですね」
雫と私の目の前には眠っている花梨と坊ちゃまの姿があった。二人の軽い体を抱きかかえて別の寝室へと運ぶ。
寝かせてから合流した雫と少し声を潜めて会話する。
「もうしばらく寝かせておきましょうか」
「はい。お姉さま」
穏やかな一日はもう少し続く。何を話すこともなく、自然とお茶の準備を進めていた。
「お姉さま。質問してもよろしいですか?」
「いくらでも。私に答えられることなら答えます」
「サラ様と小五郎様はあれでよかったのですよね? あのお二人は幸せになれるのですよね?」
「どうでしょうね。まあ、短期的にはそうでしょうが……この先はどうなるかわかりません。特にあの二人に子供が生まれた場合にはね」
「え? ですがサラ様には子供ができないはずではないですか?」
「いいえ。サラ様とアルス様の間には子供ができなかっただけです。アルス様に問題があった可能性もありますし、ゴブリンの子供は通常の妊娠とは違います」
「ですが、なぜ子供が生まれたら不幸になるのですか?」
きっと雫の中では子供とは尊い存在であり、幸福の象徴であるのだろう。子供を産めないホムンクルスだからこそ、その思いは強いのかもしれない。
「いいですか? ゴブリンは異種族です。そして、そのすべてが小五郎さんのように温厚であるとは限りません。事実としてゴブリンによる被害は決して小さくありません」
「で、でもお二人の子供であれば……」
「雫。生き物が凶暴になる時はどんな時だと思いますか?」
「え? それは嫌なことがあった時ですか?」
「そうですね。そしてそれは原始的であればあるほど強くなります。例えば食べ物がない。例えば、伴侶がいない。ゴブリンの子供が生まれたとして、それらすべてを満たせると思いますか?」
雫は絶句していた。どう考えたって無理だ。サラ様と小五郎さんがうまくいったのは偶然が重なったおかげだ。
そんな簡単にゴブリンの伴侶なんか見つかるはずがない。見つからなければ……強引な手段に訴えてもおかしくない。雫が無理矢理ゴブリンを捕獲したように。
「でも、優しいゴブリンだっていますよね?」
「ええ。でも雫。優しさは時として暴力よりも劇薬ですよ」
「劇薬……?」
「雫。ゴブリンは寄生生物です。人類を含め、複数の種族に寄生して生きています。わかりますか? 生物学的に見て、ゴブリンは人類およびその他の種族に一切の利益をもたらさないのですよ」
「で、ですがゴブリンを労働力として……」
「働かせることはできるでしょう。でも、それならゴブリンを産むコストを、人間を産むコストに転用した方が効率よいでしょう?」
「そ、それは人間を奴隷として……」
雫が言葉を言い終えるより先に断ち切る。
「ええ。だからこれはここだけの話です。ま、ゴブリンを別の異種族に産ませるという手もありますけどね。どっちにしてもその異種族にとってはいい迷惑です。ねえ雫。生物学の区分としてファイターとスニーカーというものを知っていますか?」
「いいえ。知りません」
当然だろう。生物学会が数か月前に発表した論文で、地球でも似たような考察はあった。
「強いオスであるファイターが必ずしも小さくて弱いオスであるスニーカーよりも優位に立つわけではないという話です。小さいオスは手練手管を尽くしてメスをかすめ取ることがあるそうです。生物にとって子孫を残すことは至上命題です。さて、今回の騒動をこの法則に当てはめるとどうなりますか?」
「ゴブリンはスニーカーで……メスを奪う手段は……優しさですか?」
「ええ。あなたの忌避しながらも事実を直視する姿勢は大変すばらしい。穿った見方をするのなら、愛や優しさとはオスとメスをめぐる攻防を円滑に促進するためのシステムです」
「……では」
「ん?」
「では……お姉さまが私たちに優しくするのも、それの……」
「そうかもしれませんね」
私の肯定に怯える雫は儚く消える月下美人を思わせる。
「でもね。結局他人の心を読むことは誰にもできません。推測するしかありません。私がどう答えてもあなたが確信することはできません」
追加された言葉に、雫の頬は少しだけ赤くなった。
「だから……えっと、愛されるように、頑張ろうということですか?」
「ええその通り。何一つ進歩のない関係なんかいつか消え去るでしょう。それを防ぐためにお互いを思う努力は続けなければなりません。アルス様のようになってはいけませんよ」
「はい。頑張ります。私、頑張りますから見ていてください!」
ぐっと握ったこぶしを胸に持ってきている。私が何か告げる前に、遠くから電話鳥の声が聞こえた。
「野暮用ですね。雫。お茶を片付けておいてください」
「はい。かしこまりました」
雫はてきぱきと机をきれいにしていく。
(でも雫。あまり頑張りすぎないでくださいね。私、好きになったものはどうしても……壊したくなってしまいますから)
独白は誰に聞かれることもなく、消えていった。




