第五十四話 決別
アルス様は例によってあっさり逆上した。
「き、貴様ああああ! 私が写真を偽造したとでも言うつもりか⁉」
意外だ。私の言葉の裏を読めるだけの知性が残っていたらしい。しかしそれもタガが外れる寸前だったようで、私の胸倉を掴む――――寸前に。
『警告します。それ以上は動物愛護法に抵触します』
精霊の声にせき止められた。
ぎりぎりと歯ぎしりしながら血走った眼を私に向けるが精霊には逆らえない。
「ミステラ。これ以上の調停は継続困難でしょう。今回はここまでです」
もっとも、この調停の勝敗は決した。ここまでの醜態を調停委員の前で見せつけては、もはや盤面を覆すことはできない。
『そのようですね。サラ様。およびその代理人は退出願います』
「おい! 待て! まだ話は終わっていない!」
「ふ、藤木さん! 落ち着いてください!」
今まで石像のようにマヒしていたメロウ様がようやく動き出した。
「くそ! そもそもお前が無能だったからこうなったんだろうが!」
罵倒の対象にされてもメロウ様は反抗しない。敵愾心がそれているうちにさっさと立ち去るため、席を立つ。
ドアを開けると雫と花梨。愛しの妹たちが笑顔で歓迎していた。室内の会話が聞こえていたのだろう。この二人がいなければこの調停に勝機すら見いだせなかった。思わず笑みがこぼれる。
「ま、待ってくれ! サラ! 君はこいつらに騙されているだけだ! 二人で話し合えば君ならわかってくれる」
往生際悪く、今度はサラ様に縋りつく。それに対してサラ様は背中を向けたまま溶岩すらも凍てつかせそうな声音で答えた。
「ねえ。アルスさん。あなた、今日がなんの日か覚えてる?」
「え?」
「答えて」
「きょ、今日? 僕の誕生日は違う……母の誕生日でもない……」
ちょっと待ってくれません? 二番目に出てくるのが母親の誕生日? どれだけマザコン何ですか? 気持ち悪い。
「父でもないし……えっと、昇進記念でも……」
「本当に覚えてないのね」
「そ、そうだ! 結婚記念日だ! そうだろう!」
曇天に差す陽光を見つけたように晴れやかな笑顔だった。しかし振り返ったサラ様は声以上に冷酷な視線しか向けなかった。
「私はあなたを愛していました。ですがもう愛していません。これから愛することもありません。さようなら」
ぴしゃりと三行半を突き付けたサラ様は前に向かって歩き出す。誰も口をはさめないほどの貫禄だった。
「ま、ま……」
サラ様に向けた手は力なく地面に垂れ下がる。しかし今度は別の獲物を見つけたらしい。
「お前、お前だな! ホムンクルス! お前が彼女をたぶらかしたんだな!」
どうやら自分で責任を取るという思考がないらしい。まあ、ボンボン息子の考えることなんかそんなものだろう。
「お前! ホムンクルス! 必ずお前に目にもの見せてやる! 必ず責任を取らせるぞ!どこに行っても安息の場所はないと思え! お前の家にも押しかけて、必ず彼女を取り戻す!」
一笑にふせる脅し文句を受け流しつつ、片足を斜め後ろの内側に引く。
それだけで妹たちは察してくれたらしい。私に息を合わせてくれた。
「どうぞいつでもお越しくださいませ。われら侍従一同誠心誠意歓迎いたします」
小さな影と、より小さな影が私と一糸乱れぬカーテシーを行う。自分で言うのもなんだが見事な礼に見とれたようにアルス様が呆けているうちにさっと振り返って立ち去る。
罵詈雑言が背後から迫っていたが何一つ気にならなかった。




