第五十二話 老害
「おい! どうなっている!」
アルス様は仮面を脱ぎ捨てたように荒い口調に変貌してしまっている。ここが勝負どころだ。
「さらにこちらの写真をご覧ください」
雫から渡された書類のうちの一枚を机に広げる。手渡されたのは私の仮説を証明する論文だけではない。
そこにはアルス様が年頃の赤い瞳の少女と連れ歩き、さらに何かの建物に入っている写真だった。
「こ、これは……違う! 何かの間違いだ!」
「間違いではございません。すでに証言も取れています。アルス様はこのホムンクルスの少女と同じ部屋に入り、しばらくそのままだったそうです」
「ま、待て! これは建物に入っただけで彼女には指一本触れていな……」
「そんな論法が通じるわけないでしょう! 男と女が狭い部屋で二人きりで何もしていないというのは無理がありすぎます!」
これもまたニカルさんの口利きと菜月様の調査から判明したことだ。このホムンクルスの少女は人間のホムンクルスだが、普段別の種族だと偽って、そういう仕事で儲けていたらしい。だが、アルス様の支払いが悪かった腹いせとしてこの写真を提出してくれたのだ。
本能に忠実なくせにケチとは始末が悪い。おまけに重大な失態をしてしまっていた。
「ま、待て待て! ホムンクルスだぞ⁉ ゴブリンとどう違う⁉」
「ゴブリンは雌雄同体で男性でも女性でもありませんが、ホムンクルスは人間から作られた種族で、確固とした性別があるとされています」
「じゃあなんだ⁉ ゴブリンとやることやるのはよくてホムンクルスとやることやるのはいいのか⁉」
「その通りです。例え犬畜生であれ、異性と交尾をすればそれは罪になりますが、それが同性であればいかなる罪にも問われません。日本国憲法第二十四条、両性の合意によってそうなっています」
ちなみに獣姦は日本では無罪。アメリカなどは刑罰があるかもしれませんが。
「ふ、ふざけるな! そんな法律、誰が決めた!」
「無論、偉大なる日本人様がお定めになり、勇者様がラルサにもたらしました。まさか日本国憲法を非難なさるおつもりですか?」
「い、いえ。私は法律を遵守します」
勇者様の名前を持ち出すと塩をかけられたナメクジのように縮み上がった。しかし法律に文句を言いたくなる気持ちはよくわかる。
両性の合意という拡大解釈……いや、都合のいい解釈が可能な言葉を憲法に書き記していることがことの発端だ。
憲法を制定した人物を責めるつもりはない。数十年前に同性愛というものを考慮する必要はなかった。しかし今は時代が違う。
ただこの文にこう書いてあればよかったのだ。両性、そして同性を含めたありとあらゆる性別を持つ二人の合意。そう書いてあれば性的少数者が悩むこともなかった。
あるいは同性愛などを全く認めないというのならそれはそれでいい。そういう考え方もあるだろう。だがそもそも無関心な輩が多すぎる。口では男女平等、性的少数者の守護を叫びながら実際には何もしていないという人間が多すぎる。特に偉ぶっているおっさんに。
おっさんという生命体はこの手の議論になると途端にめんどくさがる。
私が前世でカウンセリングもどきを務めた信者の一人が同性愛者で、同性愛者のパートナーシップ制度を利用しようと上司に質問したところこう言われたらしい。
『まあ、うちの会社にはそんな人いないけどね』
この時点で上司に相談する気は失せたらしい。日本には臭い物に蓋をするということわざがあるが、同性愛などの議論はまさにそれだ。面倒だから手を出さない。しかもその性質は偉そうなおっさんほど顕著だ。これが性にかかわる法律の変革が遅い理由だ。代理母出産や夫婦別姓などの法律の改正がいつまでたっても進まないわけだ。
なーにが人民による民主主義だ。おっさんによる民主主義に改名した方がいいんじゃないですか?
だがそれでもこのおっさんどもは想像さえしていない。男などいなくても繁殖できる生命体を。人間ではない知的生命体を。
(だからそのおかげで目の前の男どもの悔しがる表情を見られているんですよねえ!)
皮肉なことに、日本の政治家の怠慢のおかげで致命的な隙を見つけることができた。
ありがとう! 口先だけで何もしない政治家! ありがとう! そんな連中を許容する日本国民ども!
「メロウ様。アルス様。反論はございますか?」
ゴブリンは男性ではない。同性愛は認められない。この二つの論理のどちらかを破壊できないのなら、これで勝ちだ。
うなだれたままの二人の男のうち、先に顔を上げたのはアルス様だった。




