第四十話 恋愛
ニカルさんの質問に正直に答えた。
「いえ、聞いたことがありません」
「無理ないね。まだ共和国時代の話さ。男を誘惑した女は極刑として処罰されてたんだ。しかもサキュバスなら議論の余地なくサキュバス側が悪いことになったからね。ひどい話だと人間側から誘っておいて相手を官憲に突き出すなんて話もあったそうだよ」
横暴極まりない。だが興味を惹かれる。
「でも数十年前から生物学ってものが発達してね。サキュバスの生態を研究している学者がサキュバスは女性でも男性でもないって結論を出したらしい。するとどうなったと思う?」
「ラルサでは男性と女性が夫婦となる考えが主流です。昔は今よりも顕著だったでしょうから、サキュバスとのいかなる行為をも男女の行為としてみなさなかったのでしょう」
「正解だ。結果としてサキュバスは誘惑罪の対象外になった。そのおかげでサキュバスは昔のこの国で商売がやりやすくなったのさ」
ばかばかしい話だ。偏狭な恋愛観、性別観が不貞行為の温床となった。
「さすがにこの状況に手をこまねいてはいられなくなって法律を変更しようって議論が出始めたところで、日本の法律が施行された。ま、あたしらからしてみれば日本の法律はどっかおかしい。重要な議論がすっぱり抜け落ちてるみたいだよ。そのおかげでまだ食いつないでいるやつも多いけどね」
心の中で哄笑する。
日本の法律の歪さを最も実感しているのが、政治家でも法学者でもなく、娼婦とは。さすがは地球最古の職業の一つだ。
「ついでに言うとね。あたしらは恋愛ってものが理解できないのさ」
「男女とのふれあいそのものが本来ありませんからね。では、男女の営みは何ら快感を伴わないのですか?」
「いいや」
ニカルさんは寂しそうにパイプをもてあそんでいる。気風のよい彼女がそんな表情をするのが少し意外だった。
「なんていうかね。あたしらにとって男や女を誘惑するのは狩猟に近い。あんたらだって獲物を捕らえたらうれしいだろう? あたしにとってあんたらは獲物なのさ」
なるほど。サキュバスとは恋多き種族でありながら、決して恋愛というものを理解することがない。だからこそ、恋に溺れることもない。だからこそ、人を誘惑し続けることができるのだろう。つまり、食い散らかせば別の獲物を探すということ。
「しかしそれはあなた方が無感情であることの証明ではありません」
「……は。まあそうだね。あたしらは友情も理解できる。親子愛もわかる。ただ、男女の恋愛というものが理解できない」
いわゆる無性愛者に近いのかもしれない。ただし、種族全体がそうであるというだけだ。
当たり前の話だ。種族が違えば、その精神も違う。相互理解などそうそうできない。
「人間は恋を生命としての悲願だと捉えることも多い生き物です。案外、あなた方の中にもそれを追い求めた方がいたのでは?」
言外に、あなたがそうでは? そう水を向ける。
「……あんた、性格悪いねえ」
「いい性格だと褒められることはありますね」
はん。そう言いたげに彼女は笑った。
「ほんと、その通りだよ。あんたの想像通り、あたしが坊やを拾ったのも、抱かないのも、同じ理由さ。あの子でさえあたしが恋に落ちないのなら、どうあがいてもあたしは恋愛ができない……それに気づいちまったからさ」
他人の芝生は青いということか。未知に焦がれる気持ちがあるのは変わらない。しかし無意味だ。
人が空を飛べないように、海を泳ぎ続けてはいられないように、サキュバスには恋する機能が備わっていない。
異種族同士の恋愛はそうそう成就するものでもない。それはニカルさんと店主を見てもわかる。
だからこそ、この人には胸襟を開いてもいい。
「ニカルさん。我々が抱えている問題をすべてお話ししましょう」
アルス・藤木さんについて調べていると説明したが、離婚調停とその理由については詳しく話していない。それを説明すると、ニカルさんは大きくため息をついた。
「ゴブリンと人間の女が、ね。上手くいくわけないでしょ。いえ、いかなかったわよね」
確かにこれはもはや過去形で語るべき話だ。
サラ様は多額の慰謝料を請求され、小五郎さんは殺処分される。もはやそれは確定している。
しかし。
私にはまだ誰にも打ち明けていない秘策を思いついている。これが成立すれば最悪でも引き分けに持ち込める。
それをここで明かせば、多分、この人は乗ってくる。
「ニカルさん。私は――――」
それを語る。そう長くなる話ではない。
「は……あ……?」
困惑、茫然。それらがぐちゃぐちゃにかき混ぜられた表情だった。
「いや、そんなこと、あるわけないでしょう……?」
「どうでしょうか。それを証明しようとした人はいません」
「つまり証明できた人はいないってことでしょう?」
「その通りです。でも、証明できるとしたら?」
まだピースは足りない。でも、それらを揃えるために今頃私の妹たちが奔走しているはずだ。




