相棒の選別
いつも入ってくるチラシの裏を使おうとしたら、その時に限ってなんか裏面もぎっしり広告はいってた、みたいな衝撃のようなもの。
さて。
文章を書こうか、と文豪よろしくその気になってみたものの、ここで重大なことを思い出した。
相棒たるワープロの存在である。
シャーロック・ホームズにワトソン、杉下右京氏に相棒達が必ず付き添うように、文章を書くならば文章をタイピングできるガジェットが必要である。
一昔前の文章入力と言えば、ジャストシステム社の『一太郎』やMicrosoft社の『Word』、PCの中にデフォルトでインストールされている『Memopad』くらいであった。
どれも学生時代には課題提出だのなんだのでよくお世話になったものである。
聞きかじったところの情報では、現在ではスマホでも簡単に文字入力できるようなアプリもたくさんあるようで、しみじみと世の中本当に便利になったものだと思う。
とりあえずPCを使おうと思っていた。
だがしかし、我が弟が自作してくれた据え置き型PCを毎回起動させるのは面倒だった。
凝り性の主人が取り付けた大型テレビと音響システムが、PCの立ち上げと同時に連動するのである。
文章を打つだけの作業がしたい私には不要な機能が毎回起動する。大変厄介(失礼な話)な存在であった。
故にノートPCが手頃だな、と思っていた所に、都合良く主人が二台ほど所持していた。
現在は自作のゲーミングPCでFPSなどにかまけているのでほこりをかぶっているから、一台くれ、と言えばおそらくくれてよこすだろう。特にB5サイズくらいの小さな機体があるのだが、これが白くてすべっとしたフォルムで可愛らしい。
しかもOSは一応WindowsXPが搭載されている。Meとか2000じゃなくてよかった、と胸をなで下ろす。
XP。しかし懐かしい。
XPは使いやすいOSだった。
それ以前に出ていた2000と比べるとアイコンがドット絵調ではなくなめらかなCG風に変化しているし、全体的にカクカクとしていたインターフェイスが、全体的に丸みを帯びているような印象を受ける。
PCが企業や学校などが主体となって使うものから、家物家電としての道に足を踏み入れた。
XPに初めて触れたとき私はそんな印象を受けたものだ。
私も大学時代に『レポートを書くために必要だからPCを買ってくれ』と親にねだってすがってしがみついて、プリンター込みで15万ほどするSONYのVAIOを買ってもらった。淡いブルーのいかしたこのマシン、地震でケースが壊れてしまうまで、ブログ更新や同人誌の表紙の作成、R18的なゲームのプレイにと幅広く私の役に立ってくれていた。
思うにちょうどあの頃がXPの全盛期だったのではなかろうか。
一家に一台PCがあるのが当たり前のような風潮になっていったのはちょうどあの頃からだった、と体感でだが思っている。
XPのOSシステムはたくさんの人にとってなじみ深い存在だったのではなかろうか。
故に、XPのサポートが終わってしまうなんて困る。
いやそもそもOSってなんでずっと保証される物じゃないんだ、もうMicrosoftから我々XPユーザーは見放されちゃったんだ…と胸を痛めた人たちがさぞかしたくさんいらしたことだろう。
XP、あんなに一緒だったのに。
さて、前述したとおり我がノートPC(奪い取った)はXPである。
サポートをされない事の恐ろしさというのは、インターネットに接続したときに外部からのウイルスの侵入に弱くなる、または最新のソフトウェアをインストールできなくなる、とりあえずこの辺りなのだろうと思うのだが、私が現在やりたいことは文章を書くという事だけなのだから、インターネットは必要ない。データをUSBメモリでやりとりすれば、デスクトップPCとの互換性もばっちりだ。
正直Memopad一つで事足りるだろう。我が家で眠っているXPを再利用する絶好のチャンスだと思われた。
さっそくPCを持ち出してWindowsを起動。Memopadを開く。
文章を打ち込んでみた。
『文章を書いてみてはどうかと知人に勧められたのである。』
ちょっと心が震えた。何かが始まった、そんな気がした。
けれどもそんな高揚感はつかの間であった。
うまく言えないがこう、しっくりこない。
掛け違えたボタンのようで、何か違う。
そんな違和感が文字入力する手をいちいち止めるようになった。
違和感の正体の一つはおそらくカラー画面。このカラー感が、私を集中させてくれない。
次第にPCの排気音が気になってくる。
『このPCはもう何日間も更新プログラムを確認してないよ』というポップアップに腹が立つ。安心してくれよそんなプログラム、君には二度と送られてこない。
もやもやとしてくる。
そんな気持ちを払拭させようと音楽を流したくなってくる。
PCにちょうどウォークマン用に音楽が取り込んである。
再生。
次第に音楽に夢中になり、ついにはMemopadを閉じる。
大体これを毎回繰り返した。
ノートPCは再度ほこりをかぶっている(どうしてこうなった)。
PCを起動させるってこんなに面倒くさいことだっただろうか。
一人で生活していたときには、帰宅した瞬間にデスクトップPCの電源を入れて動画を見る、という動きがルーティーンとして組み込まれていたくらいだったのに。
えっ、これって私、PC自体を嫌いになり始めてるという事?
生活必需品だと思っていたけれど今ではノートPCの電源を入れる事さえもおっくうで仕方ない。
もうお付き合いできない気がする。
私が欲しい機能は『文字を打つ』というシングルタスクなのだが、PCではあまりにもマルチタスクすぎるのだ。
今は何でも多機能であることがもてはやされて、一つのことだけに特化した作業を行える機器類はすでに絶滅の危機にある。そんな気がする。
だが、私は覚えている。
おそらく私と同世代の人もご存じのはず。
一昔前にはそのただ一つのことだけを、たいそう簡単にやってのける機械があったという事を。
その機械の名前は『ワードプロセッサー』。
略して『ワープロ』。
私の人生史上最高の恋人である。
前回の『ことの始まり』を読んで下さった皆様。
誠にありがとうございます。
思ったよりも読んで頂けて、さらには感想まで頂けて。現在大変血圧が上がってきております。この高揚感は、昔とらのあなさんに個人誌を取り扱わせてくれないか、と夏コミで言われたとき以来です。本当に、ありがとうございます。
ちょっとワープロの思い出が異常に長すぎたので続きはまた次回です。
またお会いしましょう。ごきげんよう。