新米呪術師が全てを平らげるお話
カニバリズム(食人)表現、極めてグロテスクな表現があります。ご注意ください。
師匠が死んだ。
師匠は呪術の大家で、世に恐れられた最高の呪術師だった。
そんな師匠には、晩年、複数の弟子がいた。
八人いた弟子。その一番みそっかすが私。
私以外の七人の弟子達はすでに全員独立しており、私だけが師匠の最期の瞬間まで、住み込みの弟子として働いていた。
師匠の弟子は八人いたわけだが、世の中では私を抜いた七人が正式な弟子として扱われているらしい。
そもそも師匠は、私を弟子とは思っていなかった可能性が高い。便利な小間使い扱いだ。
なにせ、私は師匠から呪術の授業を一度しか受けたことがない
私は捨て子だ。
救貧院で乳児期を過ごし、幼児の頃にたまたま師匠の目に止まり、引き取られた。
そして、引き取られた初日に呪術の授業を受け、師匠からはたいそう物覚えがいいと褒められた。
だが、それが続くことはなかった
なぜなら、私は文字が読めなかったからだ
師匠は面倒くさがりで、書物を使って弟子に教えを授ける方針であり、文字が読めない私は教えを与える対象にならなかったのだ。
師匠に見捨てられたその日から、私は小間使いになった。
師匠の身の回りの世話をして、不要になった呪物を全て処理する役目を与えられた。
それでも生きていけるのなら構わないと、私は日々をそれなりに幸せに過ごしていた。
師匠の七人の弟子達の中には、私に構ってくれる優しい人もちゃんといて、その中で一番私に優しかったアデライトさんは、なんと私に文字を教えてくれた。
まあ、文字を覚えたからって、今更師匠が私に呪術を教えてくれることはなかったのだが……。
どうやら完全に師匠の中では、私はゴミ処理用の使い魔のような扱いだったらしい。
それを痛感したのが、師匠が死ぬ間際に伝えてきた遺言だ。
師匠は、自分の遺体の処理を私に任せた。
遺体の埋葬ではない。処理である。なんというか、完全に私は人扱いされていないんだなぁ、と実感する出来事だった。
さて、そんな感じで師匠を亡くして一ヶ月が経った。
その間にも師匠の凶報をどこからか知ったお客様を何人か迎えていたが、私は未だに師匠の家に留まっていた。
師匠が残した呪術の資料の処分先に困っていたのだ。なにせ、弟子を育てるための貴重な資料だ。勝手に捨てるわけにもいかない。
できれば七人の弟子の誰かに譲りたかったのだが、連絡先が判らない。
唯一連絡をとれるのが、特に私と仲のよかった弟子のアデライトさんだが、彼女との連絡もこちらからとれるものではない。あくまで彼女から私への一方通行みたいなものなのである。
だが、ようやく連絡がつきそうだ。先ほど、アデライトさんの使い魔が彼女の手紙を届けにやってきたのだ。
この使い魔に私の返信を渡せば、アデライトさんのところまで運んでくれる仕組みだ。これでやっと、彼女経由で弟子のみんなに師匠の死を伝えることができる。私は、さっそく用意しておいた手紙を使い魔に渡した。
そして、それから数日後、アデライトさんがやってきた。見た目十五歳ほどの可愛い少女だ。正しい年齢は知らない。
数年ぶりの再会に、私達は抱擁を交わし、互いに息災を喜び合った。
そして、今回彼女を呼んだ本題のうちの一つ、資料の引き取りは快く引き受けてくれるようだった。アデライトさんもこの資料を弟子の育成に役立てたいと言う。
そうかぁ。もう弟子を取る段階なのか、アデライトさん。すごいなぁ。
さて、これで師匠の家から荷物が消えて、私もここから離れられるようになるわけだが、アデライトさんにはまだ一つだけ用事がある。
それは……師匠の遺骨の引き取りである。師匠の遺骨を七人の弟子達で分けてもらいたいのだ。
師匠の身体は、呪物である。それも一級品の。きっと、アデライトさん達なら有効に活用してくれることだろう。
そのことをアデライトさんに伝えたのだが……。
「遺骨の引き渡しは嬉しいのだけど……それよりも、骨以外の遺体はどうしたの? 師匠を埋葬しようものなら、周辺地域が百年単位で汚染されるんだけど、まさか火葬したとか言わないわよね? 深刻な大気汚染よ」
ああ、それか。それなら、大丈夫だ。
「遺言通りに処理しました。私は師匠のゴミ処理担当ですので」
「あなたの言うゴミ処理方法って……まさか」
「はい、食べました」
私の呪物のゴミ処理方法。それは、食べることだ。私は呪物や呪術をすべて受け入れ呪力に変える特異体質で、幼い頃にそれを見いだされて師匠に引き取られたといういきさつがある。
処理しようと思えば遺骨だって食べられるが、そこはまあ、おすそわけの精神である。
「師匠はなんだってそんなことを……」
「さあ、呪術的意味があるみたいですけど、それに関する資料は何も残っていなかったので、師匠の頭の中にだけ残っていた謎ですね。脳は食べちゃいましたけど、知識を受け取れるわけでもなく……」
私の言葉を聞いて真顔になるアデライトさん。まあ、師匠を食べちゃったとか言われたらこの表情にもなるか。
でも、アデライトさんだって師匠の遺骨を呪術の触媒として利用するのだろうし、お互い様だ。
「ねえ、あなた……私の所に来ない?」
ふと、アデライトさんが急に私に向けてそんなことを言いだした。
はて、急に何事だろうか。
「私の弟子にならない? もちろん、小間使いなんかじゃなくて、正式な呪術の弟子として」
「ああ、そういうことですか。……お断りしますね」
「いいの? あなた、あんなに呪術師になりたがっていたじゃない」
「いいんですよ、もう。それに、やりたいことができましたしね」
「やりたいこと?」
と、そんなやりとりをしている最中のこと。
急に師匠の家の屋内に、けたたましい音が鳴り響いた。
テーブルの席に座り込んでいたアデライトさんは、はっとなって立ち上がった。
「この音は、侵入者!」
「はい、師匠が亡くなってからときどきお客様がいらっしゃるのですよ。どうやら、師匠の遺品である呪物のたぐいを狙っているようです。遺骨と弟子育成用の資料以外は、全て私の胃の中だというのに」
「あなたは、なにのんきにお茶なんて飲んでいるのよ! 撃退するわよ!」
「ああ、はい、そうですね。では、私がお客様をお迎えいたします」
「あなたが出たら危ないじゃないの! ここは呪術師の私に任せて!」
「大丈夫ですよ。私、昔から喧嘩が得意だったでしょう?」
「子供の喧嘩と一緒にしないの!」
そうして師匠の家、というか屋敷から出て、前庭に向かう。
すると、堂々と前庭を歩いてくる中年の男の姿が見えた。
「おや、家捜しをする手間が省けたな。ほれ、死にたくなければ呪物を出せ。全て差し出せば命だけは助けてやろう」
「うわー、盗人たけだけしいですね。泥棒を通り越して強盗ですか」
「気をつけて、そいつ、賞金首の毒術師よ!」
私の前に出ようとしていたアデライトさんが、相手の男の顔を見て、とっさに距離を取る。
ほうほう、毒術師。ということは、暗殺者か何かかな?
「残念ながら、呪物は全て処分して、当家に残っているのは師匠の遺骨くらいなものです。お引き取りください」
私がそう言うと、相手の男は気持ち悪い笑みを浮かべて答えた。
「呪術師の大家の遺骨か。よい呪毒になるだろう。よこせ」
「お断りします」
「ほう、死にたいか。小娘」
「小娘……まあ、確かに小娘ですが、一応、私にも新米呪術師という肩書きがあります」
「呪術師! その呪術師が俺に刃向かうつもりか? 毒術の餌食になりたいか?」
「うーん、まあ確かに呪術では毒術相手に不利ですが」
人を殺すことにおいて、呪術は毒術に劣る。正面から戦ったら呪術師は毒術師に敵わない。
呪術というものは、数ある術の中でも秀でた分野がない半端物だ。
広範囲を殲滅することにおいて呪術は魔術に劣り。
物作りすることにおいて呪術は錬金術に劣り。
使い魔を使役することにおいて呪術は符術に劣り。
他にも様々な術に専門性で負けている。
まあ、師匠はそんな呪術で、他の分野の術師を圧倒していたのだが。
「どれ、麻痺毒でも食らってみるか。頭から上が動くなら、骨のありかを話すのに十分だろう」
「危ない! 逃げて!」
手の平をこちらにかざす男を見て、アデライトさんが叫ぶ。
「大丈夫ですよ」
男が毒術を発動し、男の手の平からこちらに向けて毒霧が噴射される。
だが、その毒霧は拡散することなく、私の口に吸い込まれていった。
「は?」
「え?」
うーむ、刺激的な味ですね。どうやら、彼は毒術師としてなかなかの腕を持つご様子。高度な術は、美味しいんですよね。
「私に術は効きませんよ。全部美味しくいただけちゃいますから」
「そんな馬鹿な話があるか!」
「あなた、呪術以外も食べられるの!?」
「食べられるようですね。師匠がそう言ってました」
「クソッ!」
男は顔を歪めると、さらに毒術を手の平から幾度も繰り出してきた。
そのことごとくを私は美味しくいただく。
「術は効きませんよ。まあなんと言いますか、私は術師の天敵のようなものなので」
「おのれ! ならば、直接その身に毒をねじこんでくれる!」
男はそう叫ぶと、腰の剣帯に刺していたダガーを抜いて、こちらに走り寄ってくる。
おお、毒ダガーとか、すごく暗殺者っぽい!
でも、残念。
「私、喧嘩が得意なんですよね」
呪術で熊の爪を両の手に生やし、私は男を迎え撃った。
突き込まれるダガーを左手の爪で弾いて、右手の爪で男を袈裟斬りにする。
複数の爪で深い傷を負った男は、血をまき散らしながらその場に倒れた。
「あらあら、前庭が汚れちゃいましたね。でも、大丈夫です。私、掃除も得意なんですよ」
私はそう言うと、その場で軽く息を吸い込んだ。
すると、庭に飛び散っていた血が私の口に吸い込まれていく。うん、毒術の要素にあふれた血ですね。普通の人なら、この血に触れただけで死んでしまうことでしょう。
「お……の……れ……!」
「毒術師さん、あなたはちょっと毒術に汚染されすぎているので、このまま埋葬というわけには行きません。処理しますね」
「ま……さ……か……」
「はい、美味しくいただかせてもらいます」
「や……め……」
苦しませる趣味もないので、ひと思いにガリゴリ。うーん、刺激的。
前庭が汚れないよう、一滴まで残さずいただきました。
「……あなた、外の世界に行くなら、その食事シーンは他人に見せちゃ駄目よ」
私のゴミ処理を最後まで見守っていたアデライトさんが、そんなことを言った。
「大丈夫です。私も、カニバリズムは禁忌だってことくらい知っていますから」
「それならいいけど」
「でも、アデライトさんは、私の処理風景を見てもなんとも思わないんですね?」
「私だって、呪術師だから。それよりも、あなた。いつのまに『狂乱熊の爪』なんて覚えたの? 師匠の気が変わって呪術を教えてくれたの?」
「ああ、これですか」
私は、毒術師を斬り殺してから出しっぱなしにしていた熊の爪を引っ込めて答えた。
「師匠は何も教えてくれませんでしたよ。ただ単に、師匠が死んでから、家にある資料を全部読んだだけです。つまり、私も新米呪術師になったわけですね」
「独学で呪術を覚えた……?」
「んもう、独学じゃないですよ。師匠の優秀なテキストで学習したんですよ。元々師匠って、読ませて覚えさせる方針だったじゃないですか」
「確かにそうだけど……解説もなしに……」
「解説は全て、師匠がアデライトさん達を教育していたときの内容を覚えていますからね」
「……そう、じゃあ、呪術はもう覚えたから、私の弟子にはならないってことでいいのね?」
「はい。資料で不足していると実感したら、あらためてアデライトさんの元を訪ねようと、厚かましく考えていました」
「ならいいわ。それで、あなた、これからどうするの? この屋敷にはもう呪術の役に立つ物は残っていないようだし、侵入者もまた来るでしょう。弟子にならないにしても、私の元で一緒に暮らさない?」
アデライトさんが、嬉しい提案をしてくれる。
だが、それは丁重にお断りすることにした。私には、やりたいことがあるのだ。
「やりたいこと、ね。幼い頃から師匠の元で生きるしかなかったあなたに、何か生きる目標ができるのは喜ばしいことね。私にもそのやりたいことを教えてくれる?」
「はい、もちろん」
私のやりたいこと。それは……。
「グルメ旅行です。旅に出て、世界各地の美味しい物を食べ歩きたいんです」
「……それは、人や術を食べたいという意味ではなく?」
「もちろんですよ。純粋に、食べ物を食べる旅です!」
なんでも食べられるらしい特異体質の私だが、人間が食べる普通の食事が一番好きだ。人だの呪物だのは、正直言って料理していない生の食材を食べている感じにしかならないのだ。高度な術は、調味料を大雑把に振った簡単料理くらいの味はするのだが。
「そう。あなたの旅路がよき出会いに満ちあふれているよう、願っているわ。ただし、あなたも呪術を覚えたのなら、使い魔で私のところに定期的に手紙を送ること! 私の住居は教えておくから」
「はい、お約束します」
そうして、師匠の家にある資料を全てアデライトさんにゆずり、遺骨も引き渡した後、私達は家から出て、家のある敷地全てを念入りに呪術で隠した。
それを見て満足そうな顔をしたアデライトさんは、名残惜しそうにしながら私の元から去って行った。
残された私は、いよいよ旅に出ることになる。着替えや路銀といった荷物は全て影の中にしまってある。
さて、最初は美味しい川魚料理を出すという、近くの町へ向かうとしよう。
私は呪術で作った馬を走らせながら、これから待つ世界中の料理に思いをはせる。
しかし、別れ際のアデライトさんのつぶやきが、ふと頭によぎった。
曰く、「呪術モンスターが世に解き放たれた」と。
……私、そんなやべーやつになったつもりはないぞ。
寝ているときに見た夢をそのまんま短編小説にまとめてみました。