誘拐
(これからどうしよう……)
リデリアは不審魔法発見用の術がかかった入退出門を抜け、城下町に出たところで途方に暮れていた。
団長のハリエットに言われた「実家に帰れ」という言葉を思い出す。しかし、入団してから一度も給金を受け取っていなかったリデリアは、そんな事をする交通費にさえ事欠いていたのだ。
ベルニエ家の屋敷まで歩いて移動したら何日くらいかかるだろう。やはり副団長のヴァルターの言う通りに、物乞いでもするしかないのだろうか。
げんなりしながら人通りのない道を歩いていると、後ろから「おーい! リデリアちゃーん!」と声が掛かった。小柄な黒髪の青年の姿が見える。
「えっ、ラディさん……?」
走り寄ってきた相手の意外さにリデリアは面食らった。
「どうしてここに?」
「掲示板の辞令を見たんだよー。ああ良かった。もうどこかに行っちゃってたらどうしようかと……」
安堵したようにラディは笑う。どうやら彼もリデリアがクビになったという事は知っているらしい。もしかして心配してくれたのだろうかと、リデリアは落ち込んでいた気分が少し和むのを感じた。
「それにしても、いきなりだねー。何があったのー?」
「……お茶汲みしかできない能無しは要らないそうです」
リデリアがハリエットに言われた事を端的に伝えると、ラディは心底驚いたように「ええっ!」と叫んで、普段は糸の様に細い目を見開いた。
「冗談でしょ? 『お茶汲みしかできない能無し』って……。やっぱりあいつら、リデリアちゃんの凄さ、何にも分かってないんだねー。能無しはあっちじゃん」
「慰めてくれなくてもいいですよ」
信じられなさそうに語るラディに、リデリアは苦笑いした。
「確かに私のお茶は美味しいって言ってくれる人も多いですけど、でも、それだけですから。凄い魔法なんかも全然使えないし、私、本当に駄目なんです」
「ふーん……」
ラディは何となく納得がいかなさそうな顔になったが何も言わずに、「で、この後どうするのー?」と尋ねてきた。
「まだ、何も……」
一瞬忘れかけていた問題を思い出して、リデリアの気が重くなった。ラディは「そう、行くところないんだねー」と言う。
「じゃあさ……、うち、来ない?」
「えっ、うちって?」
リデリアは思わず首を傾げた。
ラディは白鷲団の団員だ。リデリアは、たった今そこを解雇されたばかりである。それなのにもう一度雇い入れようとはどういう事なのか。第一に、入ったばかりの彼は、独断で人を雇えるほどの地位にはないはずだ。
「あっ、白鷲団じゃないからねー」
リデリアが混乱していると、こちらの心中を見透かしたようにラディが言った。
「あんなところ、リデリアちゃんももう嫌でしょー?」
「白鷲団じゃない……? じゃあ、一体どこなんですか?」
「まあ、俗に言う『魔王軍』ってやつ?」
言うなり、ラディの姿がゆっくりと変化していく。ツンツンした黒髪が引っ込み、赤の巻き毛が伸びてくる。細かった目が大きく開き、身長も頭二つ分くらい高くなった。
リデリアは唐突な出来事に目を丸くし、直後に悲鳴を上げた。現れ出た男が誰なのか分かったからだ。ギルドの掲示板に貼られた『お尋ね者リスト』の要注意人物の項で見た事がある。
「ラ、ラッドヤード……! ま、魔王の右腕の……!」
「あっ、自己紹介する必要はなさそうだねー」
ラッドヤードはにこやかな顔に似合わぬ素早い動作でこちらの後ろを取ると、そのままリデリアを羽交い締めにし、口を塞いでから路地裏に引っ張り込んだ。
「大声はなしね。俺、一応お尋ね者だしー?」
ラッドヤードがそう囁いてくるが、リデリアの耳には入っていない。ただ、自分が魔王の手下に捕まってしまったという事実に怯えていた。
(一体どうして……!?)
ラッドヤードは以前からこの王都を騒がせている『千の顔』と名が付いた怪盗だ。そんな異名が付いているのは、彼が変身術の達人だからである。彼はいつも関係者に化けて貴族の邸宅や商人の店に忍び込み、金目のものを奪って行くのだ。
その素顔が割れているのはまさに奇跡と言えよう。いや、この顔だって、もしかしたら偽物かもしれないのだ。
そんなラッドヤードが魔王の仲間になったという噂は、リデリアも聞いていた。しかし、まさか彼が白鷲団に潜り込んでいたなんて思いもしていなかった。
しばらく前から神出鬼没の怪盗を警戒して、白鷲団にも不審魔法発見用の術がかかった門が設置されていたのだが、どうやらまるで効果はなかったらしい。
(ラディさんが魔王の手下だったなんて……)
あの優しかったラディ。皆がリデリアを馬鹿にしても、決してその輪に入っていこうとしなかった男は、実は『魔王』などという、恐ろしい人の配下だったのだ。その事にリデリアにはひどく動揺していた。
「どうしたの、急に大人しくなっちゃってー」
先ほどまで大声を出して騒いでいたリデリアがいきなりしょげかえってしまったためなのか、ラッドヤードは不可解そうな声を出した。
「まあ、いいか。行こうか、リデリアちゃん?」
ラッドヤードが片手で旅行鞄を持ち、もう片方の手でリデリアの手を握る。リデリアはそのままラッドヤードと一緒に操り人形のように歩き出した。自分の意志とは無関係に足が動く感覚だ。きっと彼が何かしているのだろう。
味方だと思っていた人に裏切られた事にショックを受けていたリデリアは、どうする事も出来ず、されるがままになるしかなかった。