大聖女の焦り
曇り空に雷鳴が轟く。南棟の屋上にいた大聖女エル率いる小隊は、空を泳ぐように飛ぶ雷神鳥と戦っていた。
「このっ! このっ!」
エルの後輩の聖女が、杖先から情けないほどに弱々しい炎を出して雷神鳥を攻撃しようとしている。しかし、目と鼻の先にいる相手ならともかく、空を飛ぶ魔物には、絶対に当たりっこないような威力である。
雷神鳥は首をかしげるような仕草をすると、聖女に翼から繰り出す烈風を浴びせ、屋上から突き落とした。
「きゃああぁっ!」
聖女の耳をつんざくような悲鳴が聞こえる。しかし、彼女の体は地面に叩きつけられはせずに、地上にいた小人によって受け止められた。
しかし、命が助かった以外は、それは幸運とは言い難い事だった。小人たちは気味の悪い鳴き声を上げながら聖女を担ぐと、彼女を近くの木に逆さ吊りにしてしまったのだ。
「エルさん! このままだと私たち、皆やられちゃいます!」
重戦士の盾の後ろに隠れながら、エルが雷神鳥の起こす風から身を守っていると、近くにいた狙撃手が弱音を吐いた。先ほどから、彼女の放つ矢は雷神鳥の強風によってことごとく退けられていたのだ。
「嫌だぁ! 魔物のエサになんかなりたくないよー」
一緒にいた斧戦士の少女が泣き出す。エルは「しっかりしなさい!」と叱咤した。
(ああもう……何でこんな事に……)
エルは事態がちっとも良くならない事に焦りを感じて、唇を噛んだ。
エルは狩りが得意だ。雷神鳥だって相手にしたのはこれが初めてではない。
だが、今は状況が悪すぎるのだ。このギルドで暴れ回っているのは陸海空、多種多様な魔物だ。それに、生息域だってまったく異なり、通常なら相見える事がないであろう生き物が隣り合って戦っているのである。
それらが融合した結果何が起こるのかなんて、エルにも分からなかった。先ほどだってそうだ。
実はつい今しがたまで、この雷神鳥は妖術師の一斉攻撃を受けて弱っていたのだ。エルたちの小隊は、それに確実にとどめをさしておいてくれと頼まれていた。
弱った魔物を倒すだけだと、妖術師たちに代わって屋上まで来たエルたちは大して身構えていなかった。
だが、エルが魔法で遠距離から攻撃を仕掛けようとした途端に、状況は一変した。
どこからともなく飛んできた鳥人が、足に抱えていた壺の中身を雷神鳥にぶちまけたのだ。
すると、弱っていた雷神鳥は一転して元気になり、何事もなかったかのように空を飛び回り始めたのである。
鳥人と雷神鳥が協力するなんて聞いた事もない話だった。そして、エルが何をかけていったんだろうと考える暇もなく、雷神鳥は再び暴れ出したのである。
(仕方ない。こうなったら誰かを囮にして、雷神鳥の気を引くしかないわね)
エルは必死で頭を働かせた。
(私は駄目だわ。この中で雷神鳥に確実にとどめをさせるくらい強いのは、私だけだもの。重戦士も盾役として必要だし……。……よし、あのうるさい斧戦士にしましょう)
エルは、未だにピーピー泣いている斧戦士を見て覚悟を決めた。だがその瞬間、彼女も雷神鳥の烈風によって飛ばされてしまう。地上からは、新しい玩具が降ってきた事を喜ぶ小人の声が聞こえてきた。
「エ、エルさーん!」
「うるさい! 分かってるわ!」
仲間がまたいなくなった事に恐怖した狙撃手が泣き言を言う。もうこいつも吹き飛ばされてしまえと思いながら、エルは苛立って怒鳴り声を上げた。
そんなエルの視界に背の高い青年が映った。眼下の庭を歩いている。その後ろ姿を見て、エルの頬が上気した。
(ナーシル!)
このギルドで最強の戦闘力を持つ恋人の登場に、エルの心は踊った。自分とナーシルがコンビを組めば、倒せない魔物なんていない。エルは、先ほどまで感じていた苛立ちが収まっていくのが分かった。
「助っ人を呼んで来るわ!」
言うなり、エルは重戦士の盾の影から飛び出すと、屋上から身を乗り出し、盗賊顔負けの身のこなしで隣の建物の屋根へと飛び移った。
エルはそのまま、より低い方の屋根へ屋根へと移動していき、最後には地上へと降り立った。