勇者と大聖女
自室に置いてあった荷物を旅行鞄に詰めたリデリアは、重い足取りで北棟の宿舎を後にした。
どうにも足が重い。だがそれは、ギルドを出て行きたくないからではなく、どうしようもないくらいに無能力な自分の事を情けなく感じていたからだ。
中庭で、『『千の顔』怪盗ラッドヤード、次の標的はグレゴ家の家宝か!? 団長ついに部隊派遣へ』との見出しが躍る団内新聞を売る少年の脇を通り過ぎ、リデリアはギルドの入退出門へと向かった。
その道中、何やら掲示板の辺りに人だかりが出来ているのが見える。
その中に、リデリアの知り合いの男女二人組がいる。その姿を見るなり、リデリアはとっさに道を変えようとした。
が、遅かった。二人組の内、女性の方がリデリアを目聡く見つける。
「あらぁ、クビになりたてホヤホヤのリデリアじゃない!」
美しい顔に意地悪な笑みを張り付けて、女性は皆に聞こえるようにわざと大声を出した。彼女の思惑通り、耳目がこちらに集まる。
「ついにこの日が来たね、リデリア」
女性の連れ合いの背の高い男性が会話に加わってきた。リデリアは「どうも……」と曖昧な挨拶をしながら二人に軽く頭を下げ、その横をさりげなく通り過ぎようとする。しかし、二人は面白い玩具を逃してなるものかとばかりに、リデリアの進路を塞いだ。
「あらあら、先輩冒険者に対して随分ご挨拶ね」
「違うだろ、エル。『元』先輩冒険者だよ」
「ああ、そうだったわね、ナーシル」
男性――ナーシルの言葉に、エルがクスクス笑う。周りの野次馬たちの視線が痛い。リデリアは早く解放されたいと願いながら黙って俯いた。
「掲示板に辞令が貼られてたから、お前がクビになった事、皆知ってるよ。どうかな、自分が能無しだって事を証明された気持ちは」
「しかもその横に貼ってあるのが、ナーシルが『勇者』に昇進したっていうお報せだもの。ふふ……惨めねぇ」
エルとナーシルは上級冒険者だ。その役職は大聖女と勇者。どちらも実力者しかつけない職だが、特に『勇者』は武勇に優れた者に与えられる名誉ある称号で、それすなわちこのギルドで一番強い者の証明と言っても過言ではない。
ナーシルが勇者に昇進したのには理由がある。彼は先日勃発した、魔王との戦闘で多大な功績を上げたのだ。
『魔王』とは、アレス・ガルシアという犯罪者につけられた異称だ。アレスは、元は王宮大魔導師であった。しかしながら、内に野心を秘めていた彼は王に呪いをかけ、王国の乗っ取りを企てたのである。今から一か月ほどの前の話だ。
幸いにもその野望はこのギルドの団長のハリエットや諸大臣たちによって防がれたものの、呪いをかけられた王は衰弱してしまい、今も病床から起き上がれないという。
また、肝心のアレスも寸でのところで取り逃がしてしまった。自身の野望を挫かれたアレスはその事を逆恨みし、仲間を集めて復讐の機会を窺っていたらしい。そして十日前、ついにその時がやって来た。
復讐鬼と化し、その残虐な思想から魔王と呼ばれるようになったアレスを迎え撃ったのは、ナーシル率いる小隊だった。そこでナーシルは魔王に致命傷を負わせ、撤退に追い込んだ。
とどめを刺す事こそ今回も叶わなかったが、魔王を追い詰めた功績は大きく、小隊の隊長であったナーシルはめでたく『勇者』の役職を与えられる事となったのである。
エルはナーシルの恋人だ。彼が小隊を組む時はいつでも編成され、それは例の魔王との対決の時も例外ではなかった。そのため、彼女も皆から勇者を支える器の持ち主、と尊敬の眼差しで見られている。
「ナーシルはきっとこのギルド史に語り継がれる人になるわ。あなたと違ってね」
「おいおい、『お茶汲み聖女』も結構な伝説だと思うぞ」
しかしながら、二人ともそんな華々しい評判とは裏腹に、性格は最悪だった。特に弱者をいびることに関しては、二人とも無上の喜びを見出しているようである。
そんな彼らにとって、『お茶汲み聖女』は最高のカモだった。リデリアは入団当初から異動後まで、二人に会う度に酷い言葉を投げかけられてきたのである。
こんなに悪口を言われて何も感じないリデリアではなかったが、それでも今は反論一つする気になれない。クビを言い渡されたばかりのリデリアは、自分は彼らの言うように、惨めな能無しの『お茶汲み聖女』だという絶望に浸りきっていたのだ。
「あら、無能ちゃんは口の利き方も忘れちゃったのかしら」
リデリアが何も言い返せないでいると、つまらなさそうにエルが言った。
「本当に面白くない子。クビがうつったら大変だし、行きましょうか、ナーシル」
「そうだね、エル。東の谷に渡ってくる飛竜の狩猟許可証を団長に発行してもらわないといけないしね」
また狩りに行くのか、とリデリアは思った。二人は任務がない時は、大体狩りをして遊んでいるのだ。
しかしながら、リデリアはどうしてもその事に嫌悪感が拭えなかった。人に危害を加えたから討伐するというのなら仕方がないのかもしれないが、ただ楽しむだけのために魔物を狩るなんていい事だとは思えなかったからだ。
しかも、殺さずに捕らえた魔物は、上級冒険者が詰める南棟の地下飼育室に押し込めておくのだ。
確かに魔物の角や鱗は魔法薬の材料にもなるのだが、それでも搾取するためだけに生き物を閉じ込めておくなんて、ただの虐待である。それに、聞くところによれば、地下飼育室の環境はあまりいいものではないらしい。
だが、リデリアがそう注意したところで、「僻んでるの? リデリアじゃ、魔物なんて捕まえられないもんね」と一蹴されるだけである。
エルとナーシルにとっては、魔物も人間――リデリアも、自分たちを楽しませるためだけの存在なのだ。
二人が去っていき、辺りから人が捌けていく。ギルドから出て行く直前まで嫌な思いをしなければならなかった自分の運の悪さを呪いながら、リデリアは旅行鞄を握る手に力を籠めると、足早にその場を後にした。