魔物の大群
「ですから、本当なんです!」
ハリエットは団長室で、副団長のヴァルターに詰め寄られていた。
「リデリア・ベルニエが寝返って、魔王の傘下に入りました! あの娘は我々に受けた恩を忘れて、とんでもない事をしでかしたのです!」
「まあ落ち着いて」
ハリエットは分厚い手を振ってヴァルターをなだめながら、内心では苛立っていた。
(この男は何を馬鹿な事を言っているのかしら。訳の分からない事をベラベラと……)
虚偽の報告の末ハリエットを動かした後でそれを嘘だと暴き、恥でもかかせるつもりでいるのだろうか。この狡猾な男のやりそうな事だとハリエットは辟易する。
だが、『リデリア・ベルニエ』についてハリエットが何も気にしていない訳ではなかった。
朝方にナーシルを刺客として送り込んでから、もう随分と時間が経っている。それなのにナーシルはまだ任務完了の知らせを寄越してきていないのだ。
リデリアの抹殺なんて簡単に終わる任務だろうに、報告を怠けているのだろうかとハリエットはやきもきする。探し出して問い詰める方がいいかもしれない。
「分かりましたから、もう下がりなさい」
そのためには、このうるさい男を部屋から摘み出す必要があった。しかし、ヴァルターは中々下がろうとしない。「真面目に話を聞いてください!」と怒鳴る声に、耳が痛くなりそうだ。
「だ、団長ぉ! 大変ですー!」
突然ドアが開いて、部屋の中に団員の少年が転がり込んでくる。彼の顔色があまりにも悪かったものだから、ハリエットは怒るのも忘れて「どうしたの」と尋ねた。
「モ、魔物の大群が攻めてきました!」
「はあ?」
何の事やらさっぱり分からない報告に、ヴァルターが怪訝な声で反応する。
「君、一体何を言っているのかね」
「ですから、魔物ですよ!」
少年は焦れたように繰り返す。
「魔物が暴れてるんです!」
彼の言葉が終わるや否や、開けっ放しになっていたドアの向こうの廊下を何かが駆けていった。見間違いでなければ、それは一角獣であるようだった。
ハリエットはカーテンを開けて窓の外を見た。そして、少年の「魔物の大群が攻めてきた」という比喩も、「魔物が暴れている」という話も、何一つ嘘ではなかったと知る。
眼下の中庭は悲惨な事になっていた。巨人が木を引っこ抜き滅茶苦茶に振り回し、石造人形が噴水をパンチで壊している。半魚人は池に入って魚を追いかけ回し、蜘蛛女は巨大な巣を建造している真っ最中だった。
ギルドの団員はそれに対抗しようと必死で庭を駆け回っている。ある者は魔法で、またある者は剣で、それぞれ魔物たちをどうにか撃退しようとしていた。だが、そのどれもが大した成果を出せていない。
呪文が直撃しようが、刃が爪をそぎ落とそうが、魔物たちは止まらない。そして、団員たちは観念したように逃げ惑い、身を隠すのだった。
「こ、これは一体どういう事だ!」
この団長室は壁もガラスも厚いので、外の騒ぎを今まで感知できなかったのだ。何が起きているのか分かるなり、ヴァルターは顔を強張らせながら少年に迫った。少年は「分かりません」と泣きそうな声で返す。
「今すぐに調教師を!」
ハリエットはヴァルターに命じた。しかし、彼が伝令に飛ぶまでもなく、中庭に調教師部門の腕章をつけた者たちがやって来るのが見えた。
ハリエットは一安心した。これで事態は終息するはずだ。
しかし、そんな期待は一瞬にして裏切られた。突然中庭に九頭蛇が侵入してきたのである。
九頭蛇は、その強靭な尾による一撃で調教師たちをなぎ倒し、何事もなかったかのように悠々と去っていった。
調教師たちはすっかり伸びてしまい動かない。どうにか攻撃をかわした者もいるにはいるようだったが、仲間たちがあっと言う間にやられたせいで戦意喪失したのか、他の団員たちと一緒に庭を逃げ回っている。
ハリエットはあまりの情けなさに目を覆いたくなった。
「まあ調教師は、捕まえてきた魔物を大人しくさせるのが役目ですからな」
先ほどハリエットが調教師を呼ぼうとした事を揶揄するようにヴァルターが言った。
「戦闘中は大して役にも立たんでしょう」
「……事が終わったら、彼らのクビを切ります」
ハリエットは憤慨しながら答えた。
「仕方ない、迎え撃つしかないわ」
このままではギルドが滅茶苦茶になってしまう。ハリエットは懐から杖を出し、少年に命じた。
「君、戦えそうな者は全員、魔物の対処に当たらせなさい!」
「は、はい!」
少年は脱兎のように部屋を出て行く。次にハリエットはヴァルターに命令を下した。
「副団長は私のサポートです! さあ、行きますよ!」
ハリエットはヴァルターを促す。ヴァルターは、その役目には不満があるとでも言いたげな顔をしつつも団長室を出ようとした。
だが、その瞬間に、彼は廊下を疾走してきた八脚馬に跳ね飛ばされてしまった。ヴァルターが天井に思い切り頭を打ち付ける嫌な音が辺りに響く。
ハリエットが急いで駆け寄って助け起こすと、彼は白目を剥いて気絶していた。
「君も大概の役立たずね!」
そのまま魔物のエサにでもなってしまえばいいのだと思いながら、ハリエットは廊下にヴァルターを置き去りにしてその場を後にした。その頭からは一時的に、『リデリア・ベルニエ』の事は消え去っていた。