恭順
城下町。その城へと続く目抜き通りを、一人の青年が歩いていた。やがて彼は王宮の庭の一角にある名門ギルド『白鷲団』の入り口へと辿り着く。
「ナーシル様! 本日もお疲れ様です!」
青年の姿を見ると、門番は直立不動の姿勢で敬礼した。青年は、「いつもご苦労様ー」と軽い調子で礼を返し、門を潜って白鷲団の敷地に足を踏み入れた。
青年は迷う事のない足取りで南棟へ進むと、すれ違う上級冒険者たちと適当に挨拶を交わしながら地下にある飼育室へとやって来た。
見張りも管理者もいないその部屋は薄暗く、悪臭が漂っている。
壁際の松明の今にも消えそうなささやかな明かりに照らされた室内には、大小様々な檻が置いてあるのが見えた。そのほとんどには、何かしらの生き物――魔物が入っている。
だが、青年が入室しても、吠え声もしなければ騒ぎ出すものもいない。生あるものの気配はするのに、その生き物たちから『生きている』という雰囲気をまるで感じないのだ。
それは肌が自然と粟立ってくるような言い知れぬ不安を覚える光景だったが、青年は動揺した様子もなく、手近な檻に近寄った。中にいるのは、黒い毛の生えた馬に似た魔物の二角獣だ。
二角獣はどこか虚ろな目をしてぐったりと横になっていた。かつては滑らかであったろう毛並みも、今は艶を失ってバサバサしている。
この二角獣だけではない。ここにいる魔物全てがこんな有様だ。ところどころ鱗の剥がれた大蛇はとぐろを巻く気力もなく伸びきっているし、角の折られた鬼は放心状態で置物のように座っている。
「ひどい事するよねー」
青年は二角獣の毛を撫でる。
ここにいるのは、皆生ける屍たちだ。
上級冒険者たちは力試しと称して強い魔物を捕まえ、自らの実力を誇示する。だが、彼らにとっては魔物は自身の能力を示す『勲章』以上の価値はない。だから、捕らえた魔物をここに放り込んだ後は知らん顔をするのだ。
時折訪れるのは、魔法薬の調合などに必要な毛や羽根等の素材を取りに来る時だけ。それ以外はほとんど誰もこんな場所に興味など抱かない。ここの管理をする係の者だって、時たまエサを与えるくらいしかしていなかった。
「よしよし、今いいものあげるからねー。大丈夫。俺は弱いものの味方だよー」
青年は懐から瓶を出すと、蓋を開けて中身を二角獣の口に流し入れた。
途端に、二角獣の目に輝きが戻った。震えながらも立ち上がろうとし、鼻息も荒く檻の中をあちこち嗅ぎ回り始める。
青年は「よかった」とにっこり笑って、元気になった二角獣の額に手を置いた。
「君も災難だったねー」
青年はゆっくりと二角獣に語りかける。途端に、忙しなかった二角獣の動きがピタリと止まった。
「君をこんな所に閉じ込めた人たちさー、許せないと思わない?」
二角獣は、熱心に男の言葉に聞き入っているように見える。いや、事実彼の言葉を脳裏に刻んでいたのだ。
『恭順』の魔法。主に魔物の調教師が使用する高度な術だ。
魔物は自分が戦っても勝てないと判断した相手にしか膝を折らない。それだけにこの魔法は使用しても効かない事も多々あるのだが、どうやらこの二角獣は、目の前にいる男は自分が命令を聞くに相応しい相手であると判断したようだった。
「だからさ。『お仕置き』、しちゃおうか?」
青年は懐から長い針金のような棒を出すと、それを鍵穴に突き刺す。そして、いとも簡単に檻を開けてしまった。
自由の身となった二角獣は喜び勇んで飛び出していく。地上へと続く階段を駆け上がった先で、あの魔物は主人の命令を忠実に実行し始めるだろう。
青年はその様子を見守った後、他の囚われし魔物たちも開放すべく、隣の檻へと近づいたのだった。