儚い楽園
「すみません。私、やっぱり万能薬が作れる以外は大した才能がなくて……」
「そんなの謝る事じゃない。一つだけ尖った能力というのも悪くないと思うよ。それに、魔法なんか使えなくてもリデリア殿にはもっと色々な魅力があるだろう」
「優しいですね、アレスさん」
今まで大して魔法が使えない事を馬鹿にされてばかりだったリデリアにとっては、「魔法なんか使えなくても魅力的」と言ってくれるアレスの反応は新鮮なものだった。彼の言葉に、胸の内が温かくなる。
「私だけじゃないだろ」
アレスは軽く笑った。
「ここの人たちは皆親切だ」
アレスは感じ入ったように呟いたが、ふとその顔に影が落ちた。
「帰りたくないな……」
アレスの口からポツリと言葉が漏れる。帰る? とリデリアは疑問に思ったが、すぐにはっとなった。
アレスは今でこそ濡れ衣を着せられて『魔王』などと呼ばれているが、本来は城仕えの大魔導師だ。
当然、自らにかかった疑いが晴れたらまた王宮大魔導師に戻るのだろう。王宮大魔導師は、基本的には一度就いたら罷免でもされない限りやめられない決まりなのだ。
(この作戦が成功したら、アレスさんはここからいなくなっちゃうんだ……)
同時に、リデリアは、それは他の人たちも同様なのかもしれないと思った。
ここは皆が一時的に隠れ住む場所だ。誰もがここに永遠にいる訳ではない。『隠れる』必要のなくなった人たちはここから出て行く事もあるのだろう。そうしていつか、誰もいなくなってしまったりするのだろうか。
それはラッドヤードにしても同じだ。彼は皆を養うため、怪盗などという危ない商売に手を染めている。もし彼が捕まったりしてしまったらどうなるのだろう。少なくとも、この隠れ家はお終いだ。『弱いものの味方』を失って、住民は散り散りになってしまう。
ここは安心安全な住処に見えて、その実かなり危うい存在なのだという事にリデリアは気が付いてしまった。いつなくなってもおかしくない。まるで夢の中に出てくる楽園のように儚い場所だ。
(もしかしてここが居心地がいいのって、そのせいなのかな……)
皆、この理想郷はちょっとした事で崩れてしまう脆い世界だと知っている。だからこそ、ここを守ろうと優しく、穏やかに過ごしているのかもしれない。
この作戦は絶対に成功させなくてはならない。しかし、それはアレスを『楽園』の外に追いやってしまう事に繋がるのかもしれないと思い至り、リデリアはどうしようもなく遣る瀬無い気持ちになる。
「アレスさん、あの……」
「ああ、いや。気にしないでくれ」
うっかりと本音が漏れてしまった事に気が付いたのか、アレスが急いで首を振った。
「私も汚名を被ったままは困るし、何より陛下を呪った者たちは今ものうのうと暮らしているんだ。そんな状況は絶対に許せない。それに、実行犯の一人の白鷲団の団長は、君にひどい事を言ってギルドを追い出した人でもあるんだろう? だったらリデリア殿の無念を晴らすためにも、頑張らないとな」
「アレスさん……」
作戦の準備は着々と進んでいる。ラッドヤード曰く、「後二、三日もすれば、実行可能だよー」との事だ。
だが、その日を無事に迎えられてもあまり嬉しくないかもしれないと思いながら、リデリアは無理をして笑うアレスを複雑な顔で見ていた。