悪戯クッキー
「あっ、そうだ」
アレスに共感を覚えていると、リデリアはふとある事を思い出し、棚の中を漁り始めた。アレスがその様子を怪訝そうに見つめている。
「何をしているんだ?」
「確か、「棚にクッキーがあるよー。アレスに食べさせておいてー」ってラッドヤードさんが言っていたような……。あっ、あった!」
リデリアは果物の模様が描かれた皿にクッキーが乗っているのを見つけ、それを取り出した。
「クッキー?」
アレスは何だか気掛かりそうな顔をしていた。
「待て、リデリア殿。もしかしたらそれは……」
アレスが声を上げるのと同時に、皿の上で変化が起きた。なんと、一枚のクッキーから突如針のように細い腕がにょきにょきと生えてきたのだ。
リデリアが目を丸くしていると、クッキーの指先がこちらを向いた。そこから光線が発射される。
「きゃあ!」
リデリアは悲鳴を上げた。そのまま転びそうになる直前、アレスが飛んできて体を支えてくれる。
「リデリア殿、平気か?」
「は、はい……」
心臓がバクバクするのを感じつつも、リデリアは頷いた。発射された光線は、何故かリデリアには当たらずに、逆に発射してきた相手に直撃していた。
有腕クッキーは、表面が先ほどまでとは違い、青と黄色の水玉模様になっている。そして、その変化に戸惑うように、自分の体を不思議そうな仕草で触っていた。
「これは一体……」
「ラッドヤードの悪戯だ」
リデリアから皿を受け取ると、アレスはそれを棚に戻した。
「あれに当たると、体が半日くらい水玉模様になって、そのあと白黒の縞模様が浮かんでくる。石鹸で擦れば消えるが、今度は代わりに石鹸に模様がつく」
やけに詳しく効果を述べている辺り、きっとアレスは前に被害に遭った事があるのだろう。当時を思い出してか、仏頂面になっている。
「でも、水玉になったのはクッキーでしたね」
件のクッキーは、すでに手を引っ込めて、次の獲物を待つように、何食わぬ顔で再びただの菓子のように振る舞っていた。
だが、表面がまだ青と黄色の水玉模様のままなので、あまり美味しそうには見えない。きっと、これに手をつける人はいないのではないだろうか。
「盾の魔法だ」
棚の扉をぴしゃりと閉めながらアレスが言った。
「相手の術を逸らす効果があるんだ。ここに来てから一日一回は発動させている」
そんなに悪戯されているのか、とリデリアは苦笑いした。
「君も覚えておく方がいい。さっきみたいにうっかり巻き込まれたら困るだろう」
アレスに食べさせておいて、と言っていた辺り、今回のラッドヤードの悪戯の標的はアレスだったのだろう。渡したのがリデリアならアレスも油断するだろうと思ったのかもしれない。
「そうですね。えーと……」
アレスが真剣な顔で魔法の修得を勧めてくるものだから、勢いで頷いてしまった。実家にあった魔法大全に『盾の魔法』も載っていた事を思い出しながら、リデリアはさっそく杖を構えてみる。
「それっ!」
リデリアは軽く杖を振ってみた。特に変化は起きない。キッチンに沈黙が落ちて、意気込んで声まで出したリデリアは恥ずかしくなった。
「いや、悪くないと思う」
アレスが慰めるように言った。
「声を出すのは大事だ。そうだな……。今度は、使いたい魔法を連想させるような単語にしてみたらどうだ?」
「使いたい魔法を連想させる……? それって、あれですか? まだ杖の使用許可が下りていない子どもが、大魔導師ごっこをする時に「ドラゴン召喚!」とか適当な口上を言う、みたいな……。何だかカッコ悪くないですか?」
「そんな事はない。前に読んだ本に、『正確なイメージを描くには頭だけでなく、実際に口に出してみるのが大切である』と書いてあった。大丈夫だ。きっと効果はある」
「そうですか……? そこまで言うなら……」
リデリアはもう一度試してみる事にした。どうせここにはアレスしかいないのだから、変な事をしていると思われたりする事もあるまい。
「……盾よ!」
リデリアが恥ずかしさを誤魔化す様に大声を出しながら杖を振ると、その先から白い煙のようなものが出てきた。
「これは……」
「うん。始めたての頃は誰でもこうなる。いい傾向だ」
アレスは満足そうに頷いた。どうやら、一応成功はしたようだ。しかし、リデリアの周りを漂う煙は弱々しく、これで跳ね返せる術があるのなら見てみたいものである。
せっかくアドバイスまでくれたのに、こんなものしか作れない事に少し申し訳なさを覚えてしまった。