恩人たち
リデリアは耳を疑った。
万能薬の存在は、リデリアも知っている。
傷を治すだけではなく、精神安定、魔力上昇、疲労回復、究極的には死の淵にある者でさえ蘇らせる事ができるという、一般の魔法薬を一瞬で用済みにしてしまえるような性能を持つ、まさに『万能』の薬である。
だが、それだけにアレスの言うように作るのはとても難しいのだ。材料も手順も複雑で、レシピ通りに作っても成功しない事もざらにあるという。日持ちしにくい品でもあるので、そういった意味でも貴重品だ。
そんな魔法薬を自分が作った? 『お茶汲み聖女』と揶揄される自分が?
リデリアは、何かの間違いだろうと思った。
「リデリアちゃん、びっくりしたでしょ?」
そんなリデリアの心中を見透かしたかのようにラッドヤードが声を掛けてくる。
「俺も驚いたもん。アレスの怪我を治せるような人がどこかにいないかなーって思いながら白鷲団に潜入してたら、下級冒険者たちの食堂で万能薬が出てきたんだから。最初は、「流石名門ギルド! 食堂のお茶が魔法薬なんだ!」って思ってさー」
「ま、待ってください……」
リデリアは、アレスやラッドヤードの話している事に未だに実感が湧いていなかった。
「私は普通にお茶を淹れただけです。万能薬って、作るのに貴重な素材がたくさんいるんでしょう? そのお茶に使ったのは、ただの茶葉とお湯ですよ」
「では、君が発揮したのは『変化』か『付与』の魔法だったという事だ」
アレスは唸りながら、さらに具体的に説明する。
「つまり万能薬を調合したのではなく、『茶を万能薬に変えた』か、『茶に万能薬の力を与えた』かのどちらかという事だな。味は万能薬に近かったから、前者の方かもしれない。ただ、万能薬は本来は無臭のはずなんだ。だから後者の可能性も捨てきれないが……」
リデリアの疑問に、アレスは複数の可能性を交えながら一瞬で答えを出した。それでもまだ信じられなくて、リデリアは続ける。
「でも私、三か月くらい食堂でこのお茶を出してましたけど、誰もこれが「万能薬だ」なんて言う人はいませんでしたよ?」
「そりゃあ、いないでしょ」
当たり前じゃん、と言わんばかりにラッドヤードが頷いた。
「リデリアちゃんがいたのって、下級冒険者が集まる食堂でしょー? 階級の低い冒険者が万能薬なんて飲んだ事ある訳ないじゃん、珍品なのに。上級冒険者だって、使った事どころか、見た事もない人もいるのにさー」
「それでも、あれが万能薬なら、使えば怪我や病気が治るはずですよね? 私、そんな話は一度も聞いた事ないんですけど……」
「重傷者は食堂なんか来ないで医務室で寝てるからねー。それに、もし自分の怪我が急に治っても、その原因が「お茶を飲んだから」なんて、普通の人は思わないよー」
リデリアの反対意見をラッドヤードは一つずつ確実に潰していく。その内に、リデリアはもうどう反論していいのか分からなくなってしまった。
心がグラリと揺れるのが分かる。リデリアは空のティーカップと、全快したアレスを眺めながら、夢でも見ているかのように呟いた。
「私、万能薬が作れるの……?」
そう口にした途端に、それはいかにも現実味のある事のように思えてきた。
いや、『現実味がある』のではない。これは現実なのだという認識が、にわかに自分の胸の内に広がっていく。
きっとリデリアが、これは『現実』なのだと信じたいと思ったからだろう。嘘や夢であって欲しくないと思った瞬間に、人の認知はガラリと変わってしまうものだ。
リデリアは胸の前で強く指を組んだ。
「いつか力が覚醒するって本当だったんだ……」
いつの間にそんな能力に目覚めたのかリデリアにはまったく分からなかったが、この際、それはどうでもいい事だった。ただただ『役立たず』と思っていた自分にも何か特別な事ができたのだというのが、どうしようもなく嬉しかった。
「二人とも、ありがとうございます」
リデリアはアレスとラッドヤードに頭を下げた。
「私にそんな力があったなんて、きっとこのままだと一生分からなかったかもしれません。そうしたら私、ずっと『お茶汲み聖女』のままでした。そんな事はないって気付かせてくれた二人には、何とお礼を言っていいか……」
リデリアは言葉に詰まった。視界が涙で滲んできて、強く目元を擦る。喜びで心が震える感覚なんて、ギルドに入ってからはずっと忘れていた。熱くなっていく胸の内に、リデリアは高揚感を覚えていた。
「君は随分自分に自信がなかったんだな」
アレスが同情するように言った。
「礼を言わないといけないのは私の方だよ。ありがとう、リデリア殿。君のお蔭でこうして元気になれたんだ。君は私の恩人だ」
アレスが笑いかけてきた。誰かにこんなにも感謝されたのも久しぶりだ。彼の笑みは、毎日のように心無い言葉を浴びせられて傷だらけになっていたリデリアの胸にじんわりと染み込んでいった。
(やっぱりこの人が犯罪者なんて嘘だ……)
自分の茶が万能薬だったと知らされた時と同様に、リデリアはアレスの無実についても信じようと決めた。
アレスはリデリアの事を恩人だと言ったが、それはリデリアにとっても同じだ。アレスはリデリアの真の力について教えてくれた人物の一人なのだ。そんな人を疑ったりなどしたくはなかった。
それでもリデリアは真実を知りたいと思った。そしてそれがどんな事実であっても受け止めようと覚悟を決めながら、「質問してもいいですか?」とアレスに尋ねる。