お茶汲み聖女
「リデリア、四番テーブルからお茶の注文よ!」
名門冒険者ギルド、『白鷲団』の北棟の食堂。その厨房に、給仕係がオーダーを持ってくる。
名前を呼ばれたのは、ウェーブのかかった長い栗色の髪と、くりっとした大きな目が印象的な少女、リデリア・ベルニエだ。
リデリアはポットを掴みながら、「はい」と返事した。
リデリアがポットを傾けると、そこから金色の液体がマグカップに落ちていく。注ぎ終わった後、リデリアはポットを置いて、カップに声を掛けた。
「美味しくなーれ!」
心なしか、お茶の透明度が増した気がする。リデリアはカップを給仕係に渡した。
「あんたそれ、毎回やってるの?」
給仕係は呆れ顔で聞いてくる。リデリアは「はい」と頷いた。
「仕上げの呪文です。これをすると、お茶がとっても美味しくなるんですよ」
「呪文ねぇ……。まあ、確かにあんたの淹れるお茶はうちで一番美味しいけどさ」
給仕係は肩を竦める。
「けど、効率が悪いわよ、それ。あんたお茶汲みしか出来ないんだから、数を捌く事を優先しなさいよ」
「でも、どうせなら美味しく淹れたいじゃないですか」
お茶を盆に乗せる給仕係にリデリアは反論する。給仕係は「そんな呪文、あってもなくても変わらないわよ」と言った。
「リデリアちゃーん。団長が呼んでるよー」
そんな事……とリデリアが反駁しようとした時、厨房にツンツンした黒髪の糸目の背が低い男が入ってきた。給仕係は眉をひそめる。
「ちょっとラディ! ここは部外者は立ち入り禁止よ!」
「でも、団長、急ぎらしいから」
叱られてもラディは悪びれる様子もない。給仕係はラディを睨みつつ、「仕方ないわね」と言った。団長の命令を無視する訳にはいかないと思ったのだろう。
「行ってきなさい。その代わり、早く戻ってきてよ。この時間帯は忙しいんだから、あんたみたいなのでも、いないよりはましよ」
「ひゃー。厳しいー」
ラディがおどけた声を出す。給仕係から険しい視線を向けられてもお構いなしだ。
彼はまだこのギルドに入ってから一週間しか経っていないのに、誰に対しても遠慮がない態度をとっていた。リデリアも入団して三か月くらいだが、とても真似できそうにない、と思ってしまう。
給仕係に見送られて、リデリアはラディと一緒に厨房を抜けた。飲食スペースに出ると、リデリアの姿を見つけた客の下級冒険者が声を掛けてくる。
「おーい、リデリア。茶はまだか?」
「ごめんなさい。もうすぐだと思います」
厨房の入り口を見ながらリデリアは頭を下げた。客は「早くしてくれよな」と口を尖らせる。
「あんたの淹れる茶は、世界一だからなー」
「本当。誰にでも一つくらいは取り柄があるもんだよ」
「さすが『お茶汲み聖女』だよなぁ」
ギャハハ、と品のない笑いが飛ぶ。ラディが「酔ってるんだよ。気にしないで」と耳打ちしながらリデリアの肩を抱いて、先を急がせた。
「いいんです、ラディさん。本当の事ですから」
ラディに気を使わせてしまった事を申し訳なく思いながら、それでもリデリアはこっそりため息をついた。
リデリアは『お茶汲み聖女』と呼ばれている。その理由は彼らも言ったように、リデリアにそれしか能がないからだ。
実はリデリアは厨房で給仕の真似事などをしているが、本職は冒険者なのである。入団時の軽い適性検査によって決められた役職は『聖女』だ。主に『癒し』の魔法を得意とする女性魔導師の事である。
リデリアは昔からろくに魔法が使えなかった。焚火をしようとして火の魔法を使えば煙しか出せず、物を飛ばそうとすれば爪先を上げたくらい浮かせるのがやっと。
それでもリデリアの両親は、「リデリアの力もいつか覚醒するよ」と言ってくれたが、彼女自身、それが望み薄な事であるとは薄々察しがついていた。
それだけに、名門ギルドの白鷲団からスカウトの話が来た時はとても嬉しかったのだ。もしかしてギルドの団長は、リデリア自身さえまだ知らない自分の秘めたる才能に気が付いてくれたのかもしれないと舞い上がり、リデリアは入団を決めた。
しかしながら、入団してもリデリアは相変わらずだった。仲間たちの冒険について行っても足を引っ張り、任務に失敗した回数は数知れずだ。
リデリアが褒められたのは、任務の合間に小隊のメンバーに淹れてあげた茶の味だけである。
お茶汲みはリデリアの得意とするところだった。家で仕事をする事が多い両親にお茶を持って行ってあげるのが、小さい頃からのリデリアの役目だったのだ。リデリアは両親に喜んでもらおうと、昔から茶の淹れ方を色々と工夫していたのである。
だが、いくらお茶を美味しく淹れられても、それが冒険の役に立つ事はなかった。
そして、何度も任務の最中に失態を晒し続けたリデリアは、ついに『異動』となったのだ。つまり、リデリアの唯一の特技だった『お茶を淹れる事』を活かせる、食堂のお茶汲み係になったのである。
冒険者から給仕係になるなど、よほどの珍事だったらしい。皆はそれを面白がって、リデリアのことを『お茶汲み聖女』と呼ぶようになったのだ。
完全に蔑称だが、リデリアとしては、そこに『美味しいお茶を淹れられる』という事への尊敬も少しは含まれていればいいなと願うばかりである。