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妄想論

大衆娯楽の傑作

作者: とびうお君

 以前オタク層はベストを求める傾向があると書いたけど、気軽に楽しめる物語でそういった質の差を生み出すのは可能か?なら言語化は苦しいと思う。ただ感情の違いは真実の面も含む可能性がある。


 ランキングのどこに問題があるか?と言うと、ランキングの多くは数を集めれば上位に来る。これは競馬における種牡馬の価値を計るアーニングインデックスの考えである程度は対処できる。意味が分かりにくいと思う。これは産句数によって賞金を割って1頭あたりの賞金を出す考えになる。


 これはすでになろうでもやられていて、一人当たりの獲得PTが高い作品を選ぶと言う考えが出されている。これでおおよそは判断できる。


 だがこれで答えが出たと成らない。根本的な問題はどこにあるか?と言うと言語化できない部分にある。質ではなく個人の感情の量を集計するって方法を取ってるからに成る。その時問題になるのが、世代間の価値観の違い客観的な言語への変換を拒絶してる部分になる。


 それは層の違いより問題になる。何故なら理解できないとても深い部分になるからになる。結局好みの問題になるから解決できないといってしまえば良いが、その好みも集計すればある程度意味のある数値になる。だが問題はこの好みが均一な質を持つ前提の下でしか無い。もしそれがバラバラなら世代間の違いを量だけで集計するのは危険な行為だと私は見ている。


 ようするに、結果として序列化されたものは、おそらく統一した集団からの序列化ではなく、バラバラの集団からの集計なので、おそらく自分の属する世代以外の良さを納得できない。しかも最も重要なのは世代間のズレで、それ以外単純に同世代でも生じる価値観の違う集団が混ざって集計するというのは危険な事になる。


 どういう事か?と言うと、世代間で分けたランキングの方が多分より多くの人が納得できる。違いが生じなければ意味が無いのだが、なろうじゃなくて深夜アニメや漫画では良くやられていて、それを見ていてきちんと違いが出る。自分と同世代のものの方が私は納得出来る事が多い。


 そういえばいきなり話してしまった。ランキングは基本全員参加の場合数を集めればそれで上位に来る。軽さを扱う場合言語化は困難なので別の方法を取らないといけない。そのためランキングを取りあえず選んでるだけになる。もっと良い方法があれば別にそれで良い。ランキングは基本数なので一人の人間にとっての価値の強さは測る事は出来ない。


 そうだろうか?私はほとんど個人的な好みの偏りが無い。特に私が特異なのは頭を使わない物語において、多くの人が選ぶものが同時に強い刺激である事も多い。ある程度多くの人が選ぶものは個人にとっても価値が高いと出来るのではないか?と見ている。


 個人的主観だろ?としても良い。なんと言っても致命的問題として、数さえ集めれば良いのだから。だが実はアーニングインデックスの発想は創作においてはそのまま適応できない。それは、世代間のギャップの前にもっと大きな問題がある。数を集める作品ほど平均点を下げる人が集まりやすい。


 これは矛盾になってしまう。より数を集める事が出来る作品ほど平均点ランキングでは不利になる。逆に言えばえり好みが激しいだけで、価値が高くなってしまうんだ。これはおかしいだろう?どの評価者も低い点しか与えないならそれはそれであかんだろう。そうじゃないんだ。人をより多く引きつける作品はその事に意味があったなら、それによってマイナスの評価になってしまうんだ。


 良い作品ほどアンチが多いって多くの人が知ってる法則がこれと同類になる。幸いなろうではマイナス評価がないので、そういった極端なマイナス評価は無いので助かるのだが。批判が必ずしもメリットにならないと言うのはこれに繋がっている。


 そこで私が考えたのが、昆虫が光によってくる性質があるのは知ってるとおもう。あれをどんどん強力にしていくと数が増える。数を集める作品は人を引きつける強い力を持っているとなる。微妙にしか感じない人も引きつけてしまう。それに対して平均点が高い作品は強い感情の人間以外を集められないだけなんだ。


 これはプラスではない、より多くの人を集める作品に対してマイナスの価値になる。


 だがそれは絶対ではない。やはり根底にはただ単純に数を集めるだけの作品もあるからだ。ランキングとはそれらが混ざってしまって真の価値が分からなくなってしまっている。これがベストな価値をランキングで納得できるのと出来ない両方の意味が含まれてる理由だと見ている。


 後はそれを言語化できないのか?ならちょっと難しい。ただ、文芸作品とは違う価値で、文芸が持つ芸術性に近いものを追求する事は可能かもしれない。言語化はかなり困難だが。


 だって私の言ってるのもただの比喩でしか無い。そうである根拠はなんなのか?で個人的思い込みであるのを否定できない。だが多くの人が感じているだろう。芸術作品とは違うが、自分は確かに言語化できないが感情の量に違いがあり、これらは個人的好みを超えた客観的価値があるのではないだろうか?と。


 私は多分この人を引きつけるのは、刺激自体が強いからだって考えを持ってから、今は難しくてもいずれ言語化可能なのではないか?と考えている。


 だがそれを単純に文芸芸術のように単純な言語によって追求するのは良くない。私がやった事は比喩だ。直接的に作品に対して詳細な言及をしたわけじゃない。おそらくそういったものとは違うものなんだと私は考えている。


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