仲直りの兆し
食堂はちょっとしたパーティーなら開けそうな程開けた空間で、壁は見事なレリーフに彩られ、天窓からは日の光が射し込み、全体的に明るかった。高い天井から吊られたシャンデリアは今は機能していないが、陽光を受け輝いていた。
上品なデザインの長テーブル。同じように設えられた椅子が等間隔に並び、その組み合わせのテーブルが複数、決して窮屈に見えない距離を空けて均等に配置されていた。それらの席は生徒達が思い思いに陣どり、決して下品ではない賑やかさに満ちていた。
そんな室内を入り口から見回して、アナリシアは幼なじみの姿を探し、存外あっさりと見つけることができた。
「あのお食事が終わったのでしたら、わたしたちと一緒に魔力制御の練習をいたしませんか?」
「貴族の成績上位者の方には声をかけづらいけど、スキロさんなら同じ平民だし、お誘いしやすいと言いますか!」
「あたし達下級生の間でもスキロさんは有名なんです!憧れです!平民の出なのに成績優秀で!魔力も高くて!」
「やっぱりスキロさんってカッコいいですぅ。一緒に行きましょうよー」
壁際の席で黄色い声を上げている女生徒達に囲まれ、頭一つ飛び出した長身は目立っており、探すまでもないといった様子だった。
一緒に居る時は、こんなに少女達に包囲される幼なじみの姿を見たことがない。
さすが攻略対象だ。競争率が激しいのだな、と納得の光景だったが、どうにも胸がざわつく。
この出会いがスキロに幸せをもたらしてくれるのなら願ったり叶ったりだが、アナリシアには到底そうは思えなかった。
彼女達では、スキロに相応しくない。
アナリシアの代わりに隣に立つというのなら、せめてヒロインのような裏表を感じさせない天真爛漫さか、ナリシフィアのような非の打ち所のない淑女でなければ、認めたくなかった。
媚びたような上目遣いや、甘ったるい作った声など向けてほしくはない。そんな安っぽい男ではないのだ。
「スキロが穢れる」
別に前世でスキロが推しメンというわけでもなかったが、攻略対象というものは一際神々しい、おいそれと近寄れないという認識のあるアナリシアとしては、気軽にベタベタ触れる彼女達の神経が信じられなかった。
見えないのだろうか、あの他人を無言で拒絶している鉄壁の心の結界が。
無表情のスキロに、知り合いでもないのに気安く声を掛けられるだけでも、彼女達が図太いことは解るが。あからさまに不機嫌とわかる今日に限って、何故余計に神経を逆撫でするような接し方をしているというのか。
ムカムカとハラハラ、両方の気持ちを抱えながら、アナリシアは一団に近付く。
「スキロ、話があるから来て」
途端に、音が聞こえて来そうな程の勢いで一斉に振り返った少女達が、刺し殺さんばかりの視線を照射してきた。
彼女達の顔はスキロに向けるものとは違い、一律アナリシアに対して不快感を示している。詳しくどんな形相なのか描写するのは憚れるが、歓迎されていないのは確かだった。
「あら、アナリシアさんは仲違いなさったのでは?」
「あたしらが先に声掛けてたんだから、後にしてよ」
「ねぇ、スキロさぁん。空気読めないのが来たから、行こうよぉー」
口々に敵意を向けてくる少女達に、アナリシアは意外な事実を知り目をしばたいた。
「なんであたしの名前知ってるの?」
スキロが有名なのはわかるが、アナリシアは別に優秀でもないので知名度は高くないはずだ。
「はっ、白々しい!いつも同郷の出だからという理由だけで、スキロさんにベタベタ付きまとってたでしょ!」
「全然優秀じゃないのにぃ、必死にくっついて歩って、恥ずかしくないのぉ?スキロさん可哀想~」
「アナリシア先輩、別行動をされているということは、もう諦めたのでしょう?もう良いじゃないですか、スキロ先輩を解放してあげてください」
「さ、行きましょ!スキロさん!」
口を挟む暇もないとは、このことだ。
勢いに押されそうになるが、聞き捨てならない言葉がいくつかある。
その最たる物は、アナリシアがスキロを追いかけ回しているかのように扱われていることだ。心外だ。スキロの方から毎回アナリシアの元に来ていたのだ。
広大な学園で迷子になったら困るからと、いつも送り迎えをしてくれたり、移動教室や食事だって同じ理由で世話を焼かれ、あまつさえはぐれないように手を繋がれたりもしたが、完全に家族のそれである。妹や弟の居るスキロは、見た目の冷たさに反して世話焼き気質で、幼少の頃からよくアナリシアの手を引いて歩いていた。
チートが何か発現しないかと村で特訓していた時も毎度成果は得られず、心配したスキロによく監視されたり、片付けを手伝われたりされ、迷惑ばかりを掛けてきた。
スキロがアナリシアに寄ってくるのは、その幼少期からの刷り込みによるものだと考えられた。
アナリシアだっていつまでもスキロに迷惑をかけたいわけではないので、別行動をするのは挑むところなのだが、スキロから許可が出なかった。
今回が学園に来て初めての別行動になるのだが、これを一言で他人に説明するのは難しい。
「とりあえず、用があるのはスキロだから。スキロ、仲直りしよ!」
肉食女子怖い。思わず胸中で呟いて、同じ土俵に上らないように彼女達の発言を流すことにした。
彼女達の強引さと自信溢れる姿に恐怖を覚えながら、アナリシアは頑張ってその内心を態度に反映させないように、とっておきの笑顔を浮かべた。
少し強張ったかもしれなかったが、まっすぐスキロだけを見る。
取り巻く少女達からは一層増した殺気を感じたが、構ってはいられない。
アナリシアが現れてから無言を貫き、ずっと彼女を注視していたスキロだったが、笑顔を目にした途端目が泳いだ。そして一瞬の逡巡後、深々と溜め息を溢した。
「これを片付けたら、すぐ行く」
「え、ウソ!スキロさん!?」
返答が予想外だったのか、不満げに呼び止める少女達。それに見向きもせず、スキロは人垣を抜けてトレーと食器を片付けに返却口へ向かった。
少女達とともにいる理由もないので早足でスキロの隣に並び、アナリシアは幼なじみの顔を見上げ笑いかけた。
「ありがと、スキロ。こんなにあっさり来てくれるなんて思わなかったよ」
「面倒な女どもの相手はしたくなかったしな」
「なるほど」
やはりスキロは好きで少女達を侍らしていたわけではなく、一方的に言い寄られていただけらしい。
確かにスキロは、下位貴族の令嬢や平民からすれば地位的に声を掛けやすい上、成績優秀で将来有望にも関わらず特定の相手がいない、狙い目の男だろう。
今までアナリシアが一緒にいたから彼女達が、声を描けたくとも掛けられなかったのだとしたら、その点においてはスキロの役に立てていたのかもしれない。
もしかしたらスキロ自身、それを狙ってアナリシアと行動を共にしていたのではないか。
役に立てたのであれば嬉しいと思う反面、自分の存在がスキロの出会いを制限しているのではないかと気付き、アナリシアは密かに落ち込んだ。
「それに殿下からも、あまり長引かせてナリシフィア様の手を煩わせることがないように、と釘を刺された」
「いつ?」
「食堂に来る途中」
返却口にトレーを置くと、二人連れだって出口へ向かう。
いつものようにアナリシアに歩調をあわせてくれるスキロにホッとしつつ、いつもと違い目を合わせてくれないことに不安を覚える。
「わざわざ教室出てから?スキロって皇太子様と仲良かったんだね」
「いや、気軽に声を掛けられるほどではないな」
「えっと、じゃあシフィーの為にわざわざ?」
「そうだ。ナリシフィア様は殿下のものだからな、言われそうな気はしていた」
「ふーん、なんか意外だな。皇太子様って、将来側妃になる相手のことにまで気を回す人だったんだ?」
「……お前が鈍いのは知っていたが、やっぱりまだ解ってなかったのか」
「シフィーにも言われたけど、あたしってそんなに鈍い?」
「ああ、思い込みが激しくて、視野が狭くて、単純だ」
「そこまで言わなくても!そうだよね、スキロ怒ってるから、あたしのこと悪く言いたくもなるよね」
不安を押し込めるように、休みなく言葉のやりとりをする。
まともに返事が返ってくる安心を積み上げて、アナリシアは心を落ち着けた。
「これは悪口じゃない。事実だ」
食堂を後にしても途切れない会話に気を取られている内に、いつの間にか手を引かれていた。目指す先がどこなのかアナリシアには解らなかったが、馴染んだ手の温もりに安心してスキロに任せることが出来た。
「スキロ酷い!せっかく謝りに来たのに、気持ちが萎えちゃうよ」
「この程度で萎えるもんなのか、お前の謝罪の意志は」
「うー。スキロの意地悪。あたしはこんなにスキロの幸せを願ってて、せめて役に立ちたいって思ってるのに。スキロを困らせる気なんかなくて、本当に悪気なんかないのに。でも、ごめんなさい、スキロ。余計なことしちゃって、迷惑掛けたよね。いつも全然、役に立てなくて、ごめんね」
勢いのままに言い切った。
逆に目を合わせてくれない今がチャンスだと、日頃なら恥ずかしくて言えない言葉を伏し目がちに並べた。
途端に、スキロが立ち止まりチラリと横目で見てきた。
怖々と見上げれば、自然と上目遣いになる。
「おい、そんな目で見るな」
「あぅっ、いひゃい!フヒリョやめへぇ、おねがいっ」
両手で頬を挟まれて力を込められた。
痛みに涙が滲み、物理的な要因からアナリシアの呂律がおかしくなった。
「ちっ、逆効果か。狙ってやってないから、余計タチが悪いんだよお前は」
なんだかよく解らないお叱りの後、両頬は解放された。
痛みは無くなったものの条件反射でそこを擦りながら、アナリシアは唇を尖らす。
「スキロじゃなかったら、こんなことされたら許さないんだからね!」
「俺以外に、こんな風にされるのは嫌か?」
むしろ誰にされるのも気は進まないが、スキロに関してだけはそうされても仕方ないと思える理由があるため、甘んじて受け入れるのだ。
釈然としないながらも肯定の意を頷きで示すと、なぜだかスキロの機嫌が上向いたようだった。
幼なじみの目元が和らぎ僅かに口元が綻んだ。
そんな彼の変化に、アナリシアも嬉しくなる。
これはすっかり、仲直り出来たのではないだろうか。
再びアナリシアの手を引き歩き出したスキロは、しかしクラスではなく実験棟へ向かい、空き教室の一つに入った。