実は乙女ゲームの世界だった
「サヴェンヒェル様、本日の放課後は何かご予定がありまして?」
昼休み。教室のほぼ中心に位置する席で、華やかな声が上がる。
声を掛けられているのは、この国の第一皇子にして皇太子であるサヴェンヒェル・ナタースヒリア・ヴェスタジアその人であった。
誰が何と言おうとも文句のつけようのない白皙の美貌に、均整のとれた体つき。薄いグレーの瞳に、切れ長で涼しげな目元。一見すると極上の黒絹糸にも見える頭髪は、光を透かしてみると紺色で、それでいて重苦しく感じず、さっぱりとした自然な短髪であった。
きっちりと模範のように着こなした制服は、既製品であるはずなのに洗練されていて、視界に入るだけでため息が出そうなほどである。
同じ物を着ていても、着る人間が違うだけでここまで差が出るのかと、世の理不尽さを問いたい程の明瞭な格差だった。
そんな彼は授業で使用した教科書を鞄に仕舞いながら、言葉を受けて、穏やかな笑みをうっすら浮かべた。
「帰城後公務を執り行う」
表情に比べてキッパリとした、とりつく島もないような返答であった。
問を発した令嬢は怯む様子もなく畳み掛ける。
豪奢な金髪を縦ロールに巻き、その髪型に対して違和感のない整った顔の造形。自信に溢れた佇まいでいながら、頬は薔薇色に染まっている。釣りぎみのパッチリした目が勝ち気に見えるが、少し媚びるように潤んで、隠しようのない好意が透けて見えた。
「そうですか、では次の休日のご予定は?」
「他国からの使者を迎え入れる準備をすることになっている」
「でしたら、今度の夜会には参加なさって?」
「ああ」
「わたくしもですわ」
「そうか。気を付けて来るといい」
「……」
期待した返答を得られず、令嬢の笑顔が固まった。口元を扇子で隠しながら、皇太子から如何にエスコートに繋がる言葉を得ようかと思案しているようである。
「昼食へ行きたいのだが、道を開けてはもらえないか?」
「これは失礼いたしました。サヴェンヒェル様、わたくしも今からなのです。是非ご一緒してよろしいでしょうか?」
「今日は生徒会の仕事の打ち合わせがあるから、生徒会室で摂るつもりだ」
皇太子が微笑みを絶やさず否を明言すれば、令嬢はとうとう諦めて引き下がるより他なかった。
立ち上がる皇太子から数歩引き、ではまた今度と挨拶をした後教室から退散していった。
皇太子も何事も無かったかのように穏やかな様相を崩さず、教室内の何名かと言葉を交わした後に、令嬢の出ていったのとは別の出口を使い退出した。
その一部始終を教室の隅、窓際の一番奥の席から眺めていたアナリシアは、隣の席の令嬢にこそっと声を掛けた。
「またやってるね、アマリリス様」
「そうですね。あと一年しか無いので、焦っていらっしゃるのでしょう」
涼やかな声音で返答してくるのは、ナリシフィア・メイダースという。光の加減で薄水色にも見えるグレーの真っ直ぐな長髪に、琥珀色の瞳を持ち、全体的に色素が薄く一見地味だが、楚々とした美しさと、気品を兼ね備えた少女だ。
明るい茶髪に瑠璃色の目、活発を絵にかいたようなアナリシアと対照的な彼女は、侯爵家の長女とのことだった。
平民であるアナリシアには本来なら関わりようのない、身分違い甚だしい友人である。
学園に居る間は全ての生徒が平等と言われてはいるが、実際にその精神を理解して実行出来る生徒はあまり居ないのだ。
在籍しているのは全体的に貴族の方が多く、平民は条件付きでしか召還されない性質上、仕方ないと言えば仕方ないことだが。
アマリリスのような誇り高い生粋の上位貴族や、選民意識の強い下位貴族、劣等感の強い平民も必要以上にへりくだることもあれば、平等を履き違えて無礼を働く者も居る。
そんな中で、ナリシフィアのように気さくで穏やかな上位貴族は貴重だった。
平民から気軽な言葉遣いで話し掛けられることを許容し、質問すれば分かりやすく回答してくれる親切な友である。
クラス替えにより出会い、そろそろ付き合いも一年になろうかというところだった。
「なんで?卒業してもアマリリス様は公爵令嬢だから、夜会とかで会えるでしょう?」
そもそも、本来アナリシアの知るアマリリスは、サヴェンヒェルと幼少の内から婚約しており、今頃悪役令嬢としてヒロインをいびり倒しているはずなのだ。
しかしサヴェンヒェルは現在婚約者もなく、恋愛に現を抜かすこともなく、堅実に生徒会活動や皇太子としての公務に勤しみ、人当たりのよさで確かな人脈を築き上げ、女生徒から黄色い声援を浴びても傲ることなく、誰に対しても分け隔てなく接して着実に人気を増し、次期皇帝として申し分のない評価を受けていた。
当然のように文武両道で、人品優れた非の打ち所のない正統派皇子様である。
おかしい。
この世界はアナリシアが前世でプレイしていた乙女ゲーム、『ログランテ魔法学園恋愛革命~宝具は真実の愛にのみ輝く~』という、そこそこ人気があったゲームに世界観が酷似していた。
登場キャラクターだって、メイン攻略対象の皇太子、悪役令嬢のアマリリス・コートマール公爵令嬢、サポートキャラのナシーリア・カタヴィロス子爵令嬢、その兄で攻略対象のトラバンス・カタヴィロス子爵令息、平民の攻略対象であるスキロ、そして、ヒロインである平民マリアの存在を確認していた。
探せば他のキャラクターも居そうな気はしたし、実際生徒会にはゲームで見覚えのあるキャラが他にも三人いた。
しかし、追いかけてみようとは思えなかった。なぜなら各キャラクター達は、ゲームの設定とは少しずつ在り方が違っていたからだ。
入学するにあたり学園名を耳にして、アナリシアが思ったのは「なるほど。異世界チート転生じゃないのはおかしいと思っていたけど、乙女ゲーム転生だったのか。あたしは作中に名前も出ないモブだし、仕方ない。ヒロインやイケメン達のめくるめくドロドロでいて甘辛い恋愛事情やイベントを、可能な限りじっくり、他人事として楽しく観賞させてもらおうじゃないの」ということだった。
そうと決まれば善は急げと、入学式の後ヒロインを見つけ出したが、皇子様との出会いイベントは発生せず、他の攻略対象とも接触が無かった。
ガッカリである。
マリアはサポートキャラのナシーリアとはすぐ友達になっていたが、攻略対象との出会いには何も繋がっていなかった。
そして見るからに天真爛漫なヒロインと、おっとりした子爵令嬢、二人の会話をさりげなく盗み聞きして、アナリシアは戦慄した。
ナシーリアはお兄様至上主義で、会話中、ことあるごとに兄の話題に帰結させ、何かを目にすれば兄を連想し、聴いてもいないのに兄情報を露呈させる兄語りのスペシャリスト、他の追随を許さないブラコンだったのだ。
おかしい。
ナシーリアはただマイペースで人が好い、当たり障りないキャラクターだったはずだ。
兄たるトラバンスの方がシスコンを拗らせており、それをちょっとうざがってヒロインに押し付けるようにオススメしてくるくらい、兄に対するスルースキルが高かったはずだ。
おかしい。
その兄でさえも、妹命の脳筋騎士志願者で、槍の腕は随一だが細かいことは考えない大雑把男(よく言えば懐の深い兄貴肌)のはずなのに、シスコンはなりを潜め、「妹がすまないな。これからも仲良くしてやってくれ」とヒロインに初対面から気遣いを披露できる好青年だったのだ。
おかしい。
そして妹の後押しもあり、トントン拍子にマリアとトラバンスは付き合いだし、二人の仲が進展するも、ブラコンのはずのナシーリアは一向に邪魔することもなく、「お兄様の素晴らしさを、心置きなく語りあえる友人が出来て嬉しいですわ!」と公言。今では二人は婚約までしているそうだ。卒業したら入籍するそうな。
おかしい。
めくるめくドロドロの愛憎劇はどこだ。
胸キュンイベントや、健気にいじめに耐えるヒロインはどこだ。
まがりなりにもヒロインと攻略対象の恋模様であるはずなのに、そこにはアナリシアの期待する乙女ゲームの醍醐味が何一つ存在しなかった。
そもそも完璧皇子とアマリリス嬢の関係性もおかしい。
何でも完璧にそつなくこなすが故に、表面上は穏やかに取り繕いつつも、何事にも無関心な皇太子。ゲームでは高飛車で傲慢なアマリリスの熱意に押され、適当に婚約関係になるも、ヒロインと出会い真実の愛を知り、無関心を正し、人間らしい感性を持ち合わせるようになっていくはずなのだ。そしてお約束の婚約破棄と断罪イベントが発生するのだ。
しかしヒロインはもう、他の攻略対象と婚約してしまった。皇太子は無関心キャラのままである。
アマリリスは公爵令嬢という強みを活かして、悠々とアプローチを続けており、ライバルもいない。当然牽制や嫉妬に走る理由もなく、誰にも嫌味を言わず、嫌がらせやいじめをしていない。
むしろ断られても断られても向かって行く、いじらしいほど一途な情熱で皇太子を追いかけ続け、可哀想になってくるほどである。
悪役令嬢令嬢など、欠片も存在しない。
おかしい。
本当にここは乙女ゲームの世界なのだろうか。
せっかく転生したというのに、この学園に来てから一切胸キュン要素に出くわしていない。
「殿下は卒業と同時に婚約し、婚約後一年以内に婚姻を結ばなければならないからです」
回想していたアナリシアは、友人の返答でハッとした。
また、おかしい要素を聞いた。
「え、この国って自由恋愛じゃなかったっけ?」
この国には宝具がある。
トヴァヒコル神により与えられた、国土全域を覆うことのできる結界を展開する宝具や、貴族達の管理する、災害時にのみ使用される宝具が。
建国の際に神より賜ったそれらの宝具により、この国は支えられ、繁栄してきた。
結界の宝具は代々皇家により管理され、皇帝が定期的に魔力供給することで結界を維持している。
貴族が管理する宝具は、災害等により国土が被害を被った時、皇帝の指示の下に管理を任されている貴族が魔力を注ぎ込み、力を発現させることになっている。
例えば、雨を降らせたり、土壁を造ったり、毒素を分解したり出来るのだ。
その宝具をもとに研究し作成された、魔法具が一般には普及している。宝具に比べればささやかな現象しか起こせないが、少しは生活を便利にしてくれる。
燃料は一律魔力だが、国民は皆多かれ少なかれ魔力を保有しており、魔法具くらいなら少ない魔力でも起動出来た。
そして宝具を動かせる程の魔力を有するのは、やはり貴族で。この学園はいざという時宝具を動かせるよう、貴族達の魔力量を上げる為のカリキュラムを組み、余程のことがない限り貴族令息令嬢はあまねく学んでいた。
そして稀に、一定水準を越えた魔力を有する平民が、国からの招集を受けて学びに来る。
跡継ぎの居ない貴族の養子目的や、はたまた婚姻可能候補として。平民でも国に召し上げられ、何らかの功績により爵位を賜れば、管理者の居なくなった宝具を任される事もある。
貴族の義務の一つが、宝具の管理を続けることだ。
その為には一定水準以上の魔力を保有し続け、家を断絶させないよう、魔力の高い者と婚姻をする必要があった。
下位貴族によっては、子供の魔力が一定水準を越えられず、跡継ぎ問題に苦慮している家もある。
しかし、ここで一発逆転の打開策が存在する。
低い魔力保有者でも、本当に互いに想いあい、慈しみあう相手と婚姻を結んだなら、魔力を高めあい、増幅させ、共に水準を超えた魔力を発揮することが出来る。と判明していた。
つまり、相性の良い者同士、想いあう者同士なら、生まれもった魔力量を凌駕して力を発現させられる、と研究の結果や様々な統計のもと立証されている。
なんとも乙女ゲームらしい、幸せな設定である。
故に貴族らしいしきたりやお約束がありながらも、自由恋愛推奨というご都合主義な世界が出来上がっているわけだ。
「そうですね」
やはりアナリシアの認識に間違いはなく、ナリシフィアは肯定を返してきた。
「じゃあ、皇太子様は付き合ってる人居るの?」
「いえ、残念ながら全く」
「なのに皇太子様は、卒業までに彼女を作ることを強制されてるの?」
「そうですね。サヴェンヒェル皇太子殿下に限っては、ということになりますが。他の皇子様方や皇女様は、そのようなことはありません」
「なんで?」
「お前なんで今更そんな事訊いてんの?何年学園通ってんだよ」
首を傾げるアナリシアの前の席に、見知った少年が腰を降ろした。
焦げ茶色の髪は短く、健康的に日に焼けた肌と、細過ぎず適度に筋肉質な肢体。背は昔はアナリシアの方が高かったのに、いつの間にか追い越されていて。今では少し見上げなければならないのが悔しくもあるが、座っているとあまり目線は変わらない。見慣れていても冷たい印象を与える一重の目元は、せっかく整った容姿だというのに損をしているように感じる。そんな彼の眼に、今は深い緑の色彩だけでなく呆れの色が滲んでいた。
「悪かったわね、スキロ。これでもあんたと同学年なんだから、同じくらい通ってるわよ。あたしは皇太子様と去年クラスも違かったし、興味も無かったから情報収集してないの!」
幼なじみの登場に、アナリシアは不愉快を表明するべく両頬を膨らませた。
ログランテ魔法学園は16歳になる年から、3年間通うことになっている。今は2年の後期で期末だ。アナリシアももうすっかり17歳である。子供のように無知扱いは癪に障った。
寧ろ前世の記憶もあるので、特定の分野においては知りすぎているくらいである。
しかし何を隠そうこのスキロこそが、幼少期のアナリシアにチートなんてないと認めざるをえなくさせた張本人であった。
家が近所だったこともあり、二人は家族ぐるみの付き合いだ。
それというのも、スキロの母は病弱でほとんどベッドの住人であり、父は薬代の為に出稼ぎをし家を空けていることが多かった。弟と妹を二人抱え、長男のスキロは家のことや畑の世話など、同年代の子供に比べ多忙を極めていた。
そんな一家を、スキロの母と友人関係であるアナリシアの両親が何かと気にかけ、食事を差し入れたり、畑の手入れをしたりしていた。両親の姿を見たアナリシアは良かれと思い、知識チートの発揮を目論んで料理や便利道具の発明をしようとしたのだが。
しかし前世では何らかの技能職であったわけでもなく、料理も母親に任せきりの学生だったアナリシアは、とくに披露できる腕前や知識もなく。
やっと捻り出した針金のハンガーにストッキングを被せると、隙間の埃取りができる!といったような、前世では生活お役立ち知識だったものも、「そもそもストッキングもハンガーもない」という壁にぶち当たるだけだった。
そしてストッキングやらハンガーやら口走るアナリシアを、上手いこと宥めたり丸め込んでしまうのがスキロで、結局アナリシアの説明をもとにそれっぽい物を作り出してくれるのも彼だった。
実物を見てもいないのに説明だけで作れるとは、凄い男だと素直に感心したのを覚えている。
更には8歳の魔力測定時に平均値以上の高数値を叩き出したアナリシアより、更に高い村一番の記録を出したのもスキロであった。
チートとはこういう奴のことを言うのだと、素直に完敗を表明した。かわりにというわけでもないが、この先もアナリシアが何かを作りたい時は、スキロがずっと協力してくれるのだと約束をしてくれていた。
逆にスキロの仕事を増やしているとか、全くアナリシアが役に立っていないということはこの際置いておく。なんだかんだスキロ本人も「これは永遠の誓いだ」などと大袈裟な事を言いつつ嬉しそうにしていたので、気にしなくて良いのだ。
そんな幼なじみが攻略対象の1人だったのだと知ったのは、学園に来てからだった。
ただの異世界転生と思っていたし、スキロは別に推しではなかったから全く気付かなかったのである。
そして彼がチートであったのは攻略対象だったからなのだと、しきりに納得できたものだった。
そんなスキロは、アナリシアの不機嫌面に大して心を動かされた様子もなく、すかさず両手を伸ばし、その両頬を挟んだ。押された頬からはあっさり空気が抜けてしまう。
「殿下に興味なかった、ね。ふぅん、女子としては珍しいな」
「あれは鑑賞用イケメンだもの。近くに見えても遠い世界の住人よ」
「いけめん?あぁ、見目麗しい男性に対する、称賛の言葉でしたね」
「ナリシフィア様はシアの謎語録、着々と覚えてるんですね」
「耳慣れない言葉が時々ありますが、意味をきくと短いながらも端的に意味を凝縮させた単語で、愛着の湧く表現ですよね」
「でしょでしょ!さすがシフィー、わかってるわ~」
まだ両頬を挟んでいた手から逃れ、思わず隣に抱きつくと、スキロは面白くなさそうに眉をしかめた。
「お前、馴れ馴れし過ぎだろ」
「いいのー、シフィーが良いよって言ってくれたんだから」
「すいません、スキロ様。シアは後でお返ししますので」
「別に、ナリシフィア様が謝ることじゃないですよ。てか、俺は平民なんで、様なんてつけないで呼び捨てにしてくださいって言ったじゃないですか」
「そうは言われましたが、敬称をつけないというのはなかなか馴れていないもので……しかも、親族以外の殿方に対して、そういった呼び掛けをする機会も無かったものですから」
「まぁ、無理強いする気はないんで。せめて“さん”とか“くん”位に落ち着いてもらえたらと思います」
「善処致します」
生真面目に頷くナリシフィアに、スキロは苦笑した。
そんな二人を、抱きついたままニヤニヤと眺めつつ、アナリシアは僅かに安堵した。
アナリシア以外には表情を動かす事のほとんどないスキロだが、ナリシフィア相手だと表情筋が比較的仕事をしているようで、良い傾向だと感じていた。
攻略対象としてのスキロは、上昇思考に溢れる野心家。学業では優秀な成績を修め、魔力量も上位貴族に匹敵する。貴族の養子になり、弟や妹の学費、病床にいる母の療養資金を工面するため、あの手この手でライバルを蹴落とし、最終的には伯爵家の養子に落ち着いていた。
「平民の癖に優秀で生意気だ」という理由により下位貴族からいじめを受け、「貴族のくせにバカばっかだ」と屈折したプライドを持つに至った。いじめてくる貴族を見下しながら、それを表に出さず淡々と無表情に過ごしていた彼は、ヒロインにより笑顔を取り戻す。
そう、ヒロインとの触れあいにより、自分のやり方では良くないと改心し、思い遣りと余裕を身に付け、平民だからという劣等感に打ち勝つのだ。
しかし、そのヒロインたるマリアが、既に相手を固定してしまいスキロとは出会いもしなかった。
では一体、誰がスキロを救ってくれるんだ!とアナリシアは心配していたのだが、この学年になってからナリシフィアと交流を持つようになり、「天はスキロを見捨てなかったのだ!」と、恋愛の神でもないトヴァヒコル神に感謝を捧げた。
今はまだ平民のスキロだが、最終的には伯爵家の養子になるのだ。侯爵令嬢のナリシフィアと愛を育んだとして、特に障害はないはずだ。
柔らかな雰囲気のナリシフィアなら、無表情がデフォルトと化したスキロ相手でもきっと感情を解せるようになってくれるはずであるし、観察力に優れているようで、今までアナリシアしか気づけなかった表情の変化を察し、本人に反応を返してくれている姿も見たことがある。突飛なことを言う自分にも、嫌な顔一つせず対応してくれる懐の深さがある。
ナリシフィアは学年一の優良物件であると、太鼓判を押してオススメ出来た。
「シア、顔が気持ち悪い。何企んでる」
「酷い!確かに攻略対象のあんたに比べればみんな不細工かもしれないけど、年頃の乙女に向かってなによ、その言い種っ。告訴します!」
「また訳のわからんことを」
せっかくアナリシアがキリリとした顔を作り、人差し指をびしっと突きつけたにもかかわらず、スキロは全く張り合う気がないようで疲労の滲む溜め息を落とした。
二人のやりとりを微笑ましく眺めながら、ナリシフィアは優しげに目を細める。
「お二人は本当に仲がよろしいですね」
「シフィー、これはスキロからの名誉棄損だよ!誹謗中傷罪なの、断固として戦わなきゃいけない案件なの!」
「うるさい、被害妄想だ」
「くぅ、イケメンの余裕が憎い!」
「まぁまぁ、シア落ち着きましょう。食事へ行かれるのでしょう?早く行かないと食堂の席が埋まってしまいますよ」
「大丈夫!今日もお弁当持ってきたから。シフィーもでしょ?一緒に食べよ」
都内の屋敷から通学しているナリシフィアが、毎日弁当を持たされていることは把握済みである。それを見越して、最近は一緒に食事出来るように弁当を持参していた。
もちろん、スキロとの時間を少しでも多く持ってもらいたいが為だ。
寮生活のアナリシアとスキロは、元々食堂で食べていたのだ。
国から招集されて学園へ通うようになった平民は、学費も寮の滞在費も、食堂の利用料も免除される。
寮の中に簡易調理場はあったが、食堂が無料で利用出来るのに好き好んで使用するものはいない。
もちろんスキロも面倒臭がって弁当案を却下してきたが、アナリシアが二人分まとめて作ることを提案すると、あっさり了承した。現金なものである。
「……シア、気持ちは嬉しいのですが。たまには以前のように、お二人で召し上がられてはいかがでしょう?」
「なんで?大勢で食べた方が美味しいよ?あ、それとも、この間おかず交換したの嫌だった?」
「いえ、そのようなことはありませんが……」
ナリシフィアはチラリとスキロへ視線を送った。
幼なじみの顔からは、無表情ながらも若干の険しさを感じ取れたが、アナリシアは気付かないことにする。
「俺は構いません。ナリシフィア様、気遣いは不要です。寧ろ迷惑をかけて申し訳ないです」
「いえ、こちらこそ」
「よし、じゃあ行こっか!中庭でいいよねー」
三人は弁当を持って(ナリシフィアは上位貴族だというのに、何故か侍従を連れ歩かない風変わりな令嬢だった)教室を後にした。