猿夢の怪 その二
ひとつ年下の茉莉子ちゃん。
かつては重たいロングだった髪が、いまはショートカットになっている。
おかげで、隠れていた顔が見やすくなった。
ずいぶんと、印象がかわったなと感じる。
中学でいっしょだったとき、彼女はこうやって、じぶんから人に関わろうとする子じゃなかった。
先輩にたいしては必要なぶんだけ。
あとはただ、来るものは拒まず、去るものは追わず……といったように、じぶんの領域を守るスタンスをつらぬいていた。
大人なふるまいができる、落ち着いたタイプの子だ。
あらためて顔を見ると色が白くて……そういえば、芸能人のだれかに似ている気がする。
いまは中学三年生。
部活も卒業して、イメチェンしたのだろうか。
「雰囲気かわっててびっくりしたよ。元気にしてた?」
「はい! おかげさまで!」
茉莉子ちゃんが、朝日のようにまぶしい笑顔を浮かべる。
そのまま、わたしのとなりに座った。
「似合います? なんていうか、おしゃれって楽しいんですね。私、先輩が卒業しちゃったあと、なんだかハマっちゃって」
「茉莉子ちゃん、今のほうが似合ってるってわたしもおもうよ」
「わあ、うれしいです!」
「あんまり話したことなかったから、こんなに美人だなんて全然気づかなかったよ」
わたしは微笑む。
茉莉子ちゃんは、ぐいっと身体を寄せてきた。
「怜先輩はだれとも話さなかったですもんね。そういうところが、孤高でかっこ良かったんですけれど」
「ん……」
体温を感じさせるような距離。
この子のおおきく変わったところは、ここだ。
相手の懐に、じぶんから飛びこんでいくこと。
中学生のわたしにはそれがなかったから、ただ孤独だったけれど……茉莉子ちゃんはちがう。
一人でいても平気な孤高さをもっていたのは、たぶんこの子のほうだ。
そんな茉莉子ちゃんは、わたしに微笑みかける。
「……怜先輩、あいかわらず綺麗ですね」
「あ、ありがとう……」
「あの、どうしたら怜先輩みたいに強くなれるんですか?」
「強く?」
「はい。なぎなたの腕とか」
「んん……良い師匠に教えてもらうとか、かなあ」
「そうなんですね……ほんと、今日は会えてうれしいです! お一人なら、これから一緒に遊びに行きませんかー?」
わたしは、茉莉子ちゃんの友達に視線をずらす。
気のせいか、不満げにしているようにみえた。
「今日はちょっと……隣町で稽古があるから」
わたしは、持ってきているなぎなたをみせる。
「ふうん? 教室があるんですか?」
「うん。教室っていうか、個人的に指導を受けてるんだけれど」
こういうときは、嘘も方便だ。
「そっかぁ……残念。それじゃ、連絡先交換してください! いままではできなかったから……!」
「いいよ。えっと……」
わたしはスマホを取り出して、茉莉子ちゃんと連絡先を交換する。
「ありがとうございます! また連絡しますね!」
茉莉子ちゃんはそう言うと、友達のとなりにもどっていった。
「怜さんの人気は相変わらずですねえ」
感慨深そうに東雲がいう。
わたしはちいさく首を横にふった。
わたしのなぎなたは、狸の大妖怪、隠神刑部様直伝だ。
全国レベルならともかく、普通の学生にはまず負けない。
茉莉子ちゃんはきっと、身体のちいさなわたしが上級生を倒す姿に憧れたのだろう。
やがて、目的の場所についた。
バスから降りて、なぎなたを背負いなおす。
ここにきたのは、とある噂話の調査のためだ。
「東雲、どう? 口裂け女の気配はする?」
「いえ……しないようですね」
「ふうん……」
口裂け女。
それが、この街で噂されはじめている怪異だ。
けれど……。
「この街の烏天狗も、口裂け女の匂いはしないって言ってるんだよね?」
「ええ……にもかかわらず、巷では、口裂け女の目撃情報が後を絶ちません。死者はまだ出ていないようですが」
「東雲、どうする?」
実は、こういった事例はめずらしくない。
本物の怪異がでることより、ただのいたずらが起こるほうがおおいからだ。
だからこそ、いつもなら、こうやって調査なんてしない。
けれど東雲は、この街にはひとつ気がかりなことがあると言っていた。
「――以前、この街でアタシらの鼻から姿をくらました口裂け女がいましてね。よもや、その怪異がまた姿をあらわしたのかとも思ったんですが……」
口裂け女が猛威をふるったのは、一九七〇年代後半のこと。
わたしのお父さんが、まだ子供だったころの話だ。
「気配がないって言っても……口裂け女がでてるなら、犠牲になってる人はいるはずだよ」
わたしたちが、怪異を退治する一番の理由がここにある。
――空亡、という怪異を知っているだろうか。
それは、百鬼夜行の最後に画かれる、丸いモノの名だ。
あの百鬼夜行の伝説は、かつての空亡と、わたしたちの決戦の様子を描いたものでもある。
百の鬼は、妖怪と人間の連合軍。
そして、空亡。
いまでは、妖怪も退魔師もほとんどいなくなってしまった。
各地で起きた百鬼夜行の最後に残っているのは……いつも、空亡の姿だけなのだ。
空亡の正体。
それは、怪異におそわれて怨霊になってしまったものたちの塊だ。
怨霊になると魂の輪廻から外れて行き場をなくし、しだいに常世の空を覆っていく。
金剛の光を放つ太陽と対をなす、空を怨恨で閉ざす太陽――それが、空亡だ。
怪異は怨霊を生む。
けれどこの街には、怨霊にかかわる緊張感はなかった。
「気になって様子を見に来たものの、やはり、ただのいたずらのようですね。愉快犯であればこのまま警察に任せておけばいいんですが……どうせなので、一応見回っておきましょう」
「そうだね」
わたしはうなづいて、歩き出した。
「う……」
一歩踏みだして、立ちくらみをおぼえる。
「怜さん。どうしました?」
「なんでもない。ちょっと、頭がくらっとして……」
バスでのんびりしすぎたのだろうか。
軽くストレッチをして、身体のだるさをとばす。
「すこし、夢魔の気配にあてられているのかもしれませんね」
「うーん。ちょっと、最近夜更かししてるからかも」
「夜更かし? 一体、なにをされてるんですか?」
「それが……このところわたしも、スマホばっかり見ちゃってて……」
最近、わたしにも友達ができた。
おかげですっかり、メッセージのやりとりや、SNSを夜遅くまで眺めていることが多くなってしまった。
「……それも一種の現代病でしょう。新しい怪異が生まれるやもしれません。お気をつけて」
「うん……」
あくびをひとつして、わたしたちは調査へと向かった。