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日曜日という不幸な日


 昼前に自然と目が覚め、リビングに向かうと母親が昼食を作っていた。「おはよう」と挨拶した後、椅子に腰を下ろし、いつものようにたわいもない会話をする。


 今日はよもぎの奴やけに遅いな。朝も起こしに来なかったし、おかげで俺はぐっすりと眠れたわけだが。


「偶には俺から起こしてやるか」


 そう呟きつつ立ち上がり、リビングを出る。廊下を伝い階段を駆け上がった。その時異変に気付いた。


「ーー無い。なんでだ? 昨日まであったのに、なんでよもぎの部屋が無いんだよ……」


 朝起きた時はどうだった? 寝ぼけていたせいで気付かなかったのかもしれない。


 動揺を隠しきれない弱々しい声。鳥肌が立ち、背中に嫌な汗がにじむ。理解が追いつかない。だけど体は動いていた。慌てた足取りでリビングに戻り、勢いよくドアを開ける。鼻歌交じりで作り終えた焼きそばを、テーブルへと並べていた母親に向けて声を上げる。


「聞いてくれよ母さん! よもぎの部屋が無いんだ!」


「誰の部屋がないって?」


 こちらに視線を向け、怪訝な表情を浮かべている母親に、強めに言い切る。


「いや、よもぎだって。妹の」


「ぎん。あんた頭でも打ったの?」


 ぎんとは違い、母親に真剣味はまるでない。ふざけた態度に感情が高ぶり、思いのままにぶちまけた。


「冗談言ってる場合かよ! よもぎが居ないんだぞ! しかも部屋までないなんて可笑しすぎる!」


「急にどうしたの? さっきから誰のこと言ってるかわからないけど、うちに妹なんていないわよ。あんた一人っ子でしょ。もう馬鹿なこと言ってないでご飯食べなさい」


 真面目な顔で強めに怒鳴られ、ぎんは少し震えた声で、


「母さん。今のって冗談だよな?」


「冗談言ってるのはあんたでしょ」


 まさかと思ったけど、やっぱり覚えてないのか。なんで俺は覚えているんだ。意味がわからない。


「そ、そうだよな。冗談言ってんのは俺だよなーー」


 無理やり微笑む、という歪な表情ではははと笑った。その後生気のない声で小さく言う。


「ーーご飯、今はいいや。食欲ないから」


「そう。なら冷蔵庫に入れておくから後で食べなさいよ」


 ぎんの異変に気付き心配してくれたのか、優しい声だった。その気持ちは十分に伝わったけど、返事は返せなかった。それすら出来ない程に余裕がない。重い足を引きずり自室へと向かう。部屋に入り、抜け殻のようにベッドに倒れこむ。瞼の上へと腕を置いた。


 どうなってんだ。なんで忘れてるんだよ。昨日までは居た。確かに居たはずなんだ。一緒にデートだってしたんだ。その後家に帰った後も一緒に晩御飯を食べ、寝る前までは確実に居たのを、俺は覚えてる。なのにどうして、母さんは覚えてないんだよ。


 頭を悩ませていると、ある思いが湧き上がってきた。


「そうだ! あいつらならまだ覚えてるかもしれない」


 居ても立っても居られず起き上がる。スマートフォンを手に取り素早く電話を掛けると、すぐに繋がった。ぎんは縋るような気持ちで声を上げる。


『おいまさか?』


『おう。どうーー』


『聞きたいことがあるんだ。お前よもぎ知ってるよな?』


 逸る気持ちを抑え切れず、言葉を遮り早口で言う。


『そんな慌ててどうしたんだよ』


『いいから答えろ!』


『なんだよ。ったく。そんでよもぎだっけ?』


『そうだ』


『そのくらい知ってるよ』


 当然とでも言いたげな口調に、ぎんはほっとため息を吐いた。


『そうか、だよな。ーーそれでそのよもぎが居なくて探してんだよ』


『居なくなったって意味わからんけど、そんなによもぎが必要なのか?』


 惚けるまさしに強く言い放つ。


『何言ってんだよ。当たり前だろ!』


『そっそうか。ならスーパーにでも買いに行けば早いんじゃねーか』


『スーパーってお前ーー』


 会話から薄々おかしいとは感じ取っていたけど、それでも信じたかった。心の何処かで何かの間違えであってくれと、願うしかなかった。だから、


『ーーよもぎについて知ってる事を教えてくれ』


『なんだよ急に』


『早くっ!』


『わかったって、今言うから。えーっと。ーー確か植物の一種で、団子とかにも使われてるよな』


 やはりと言うべきか、まさも完全に覚えていない。説明しても無駄なのはさっき学んだ。俺は感謝の念だけを口にする。


『その通りだ。ありがとう』


『お、おう』


 電話を切り、スマートフォンをベットの上に落とした。


 この感じだと、覚えてるのは俺だけの可能性が高い。一応他の人にも連絡はできるけど、結果は同じだろうな。だとしたら一人で探すしかないか。あいつが行きそうなところをしらみつぶしに廻るとしよう。


 決意が固まったぎんは、服を着替え支度を済ませる。急いで家を飛び出した。まずは走って駅に向かった。暫くすると、前方から黒髪を靡かせ、一歩一歩優雅に歩くなずなとバッタリと出くわし、視線が交差する。


「ぎん。どこか行くの?」


 なずなはいつもの休日と変わらない、黒のトップスにスキニーというラフな格好だった。


 あれを聞こうか迷っていると、なずなは立ち止まり、涼しげな透き通る声で尋ねてきた。ぎんも立ち止まり答える。


「ああ、ちょっとな。それよりなずなも何処かに行くんだろ」


「うん。ちょっとそこのスーパーまで。それよりぎん。なんか顔色悪い」


 顔を近づけられたので視線逸らす。


「ーーそうか? 久しぶりに走り過ぎたからかな」


 俺は今どんな顔をしているのだろう。そしてどんな顔をすればいいのだろう。


「ふーん。まぁ、気を付けなさいよ」


「ああ、サンキューな」


「それじゃあ、私行くから。また明日学校で」


 そう言い残し、立ち去ろうとするなずなを慌てて止める。


「ーーちょっと待ってくれ。一つだけいいか?」


「うん。いいけど?」


 よもぎの事を聞くか迷っていた。もしなずなも知らなかったら、確実になってしまうからだ。絶望的な状況になるからだ。でも怖がっていても始まらない。勇気を出して、その言葉を口にした。


「よもぎって知ってるか?」


「知ってるけど、あの葉っぱみたいなやつでしょ?」


 知ってるという言葉に心臓が飛び出しそうな程に感情が高まったが、その後の言葉で地獄に叩き落とされた。やはり、まさと同じだった。


 沈み込んだ感情を押し殺し、出来るだけ明るく振る舞う。


「そうだよな。引き止めて悪かった」


「それだけ?」


「ああ、それだけだ」


「へー。変なの。ーーじゃあ私行くから」


「おう。また明日」


 納得がいかないという表情のまま、なずなはその場から離れていった。


 なずなも知らない事がわかった。こんなのもう探す意味なんてないんじゃないか? そもそも本当によもぎなんて奴が存在したのか? ただ長い夢を見ていただけ、それか妄想。男子高校生なんだから、妄想の一つや二つするもんだ。特に可愛い女の子の妄想なら、常日頃からする。だとしたら、全てが思い過ごしか……。


 天を仰ぐと、どんよりとした灰色の空が広がっていた。同じくぎんの心も曇っていた。


 俺は何をすればいい。ーーわからない。……だけど、一つだけ言えることがある。夢でも妄想でもいいから、もう一度会いたい。それだけ分かれば十分だ。


 ぎんは苦悩や幻想を振り払うかのように走り出した。

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