土曜日という至福の日⑥
あっさりと了承してくれたので、フードコートから立ち去り、エレベーターに乗る。
ボタンを押しドアが閉まると、よもぎが怪訝な瞳で尋ねてきた。
「お兄ちゃん。帰るんなら下じゃないの?」
「あ、そうだったっけ?」
右斜め上に視線を逸らし、しらばっくれる。
エレベーターは上へとどんどん登って行く。
「おちょこちょいなの」
「そ、そうかもな」
ぎんは訝しげな態度で目を背ける。それを見て、よもぎはジト目を向けてくる。
「なんか変なの」
「そんなことないって、それより着いたぞ」
「え? ここで降りてもーー」
「いいから」
チンという音と共にドアが開いた。言葉を遮り外へと促す。エレベーターから降りたよもぎは、周りを見渡した後に、子供のようなワクワクとした瞳を向けてくる。
「ここって、遊園地なの!」
その反応を見ていたぎんは鼻が伸び、完全に天狗のそれだ。ふふんと、自慢げに話を始めた。
「どうだ。この建物の最上階は遊園地になってるんだ。驚いただろ」
午後六時も過ぎている為、外は夕闇に包まれ、輝く星々が空へと散りばめられている。その夜空に負けんばかりに、キラキラと活気付く小さな遊園地。子供連れ、友達同士、カップルと様々な人で賑わっていた。特に子供の笑顔が弾けて見える。
それに負けないくらいに、心踊っているよもぎはくるくると回る。ひらひらとワンピースのスカートが靡き、それはまるで純粋な心を持つ幼子のよう。
「うん。驚いたの。よもぎ遊園地とか初めてなのん」
「そうだろうと思ったぜ」
本当は、掲示板のポスターを見ただけなんだけどね。調整中だったらしく、今日オープンだとか。このタイミングで情報を得られるなんて、神様っているのかもな。これは完璧なサプライズとなった筈だ。今日はデートをしているのだから、ある意味俺の勝ちだろう。即ち初勝利。
「ありがとう。お兄ちゃん」
「おう」
あまりにも、白く美しい。偽りなどこれっぽっちも感じない。無邪気な笑顔に、俺の鼓動は早くなる。
「やっぱりお兄ちゃんはよもぎのお兄ちゃんなの」
「意味がわからないし、お兄ちゃんでもないけどな」
「ちぇ」
「まぁ、いいから。遊ぶぞ!」
「うん。遊ぶのん!」
よもぎとぎんは、弾む足取りで色彩が漂う世界へと飛び込んだ。メリーゴーランド、コーヒーカップなどに乗り遊園地を満喫した。全てスケールは小さいが、中々にオツなものだった。最後は観覧車に乗る事にした。
観覧車が動き出し、直ぐに窓に張り付くよもぎ。輝く瞳の中には街並みの灯が映る。
「お兄ちゃん。外がキラキラして綺麗なの」
「そうだな。夜に乗るのは初めてだけど、ほんとすごいな」
思った以上に綺麗だ。この灯一つ一つにそれぞれの暮らしがあると思うと、幻想的だな。
ぎんが外の風景に浸っていると、窓から両手を離したよもぎが、ぎんへと視線をずらす。
「今日はありがとうなの」
「おお。俺も結構楽しかったしな」
よもぎの微笑みが妙に優しくて、動揺してしまった。眼を泳がせているぎんに、追い討ちを掛ける一言。
「それはよもぎと一緒だからなの?」
「それは……」
黙り込むぎんに、悪戯っぽく笑い掛ける。
「なんてね。言ってみただけなの」
「脅かすんじゃねぇよ」
ドキッとしちまっただろうが。密室で変なこと言うんじゃねーよ。色々勘違いしちゃうだろ。これ以上はウブな男子高校生には荷が重い。この空気を変えなければならない。
一瞬で新たな話題を閃くと、すぐさま口に出す。
「ーーそれよりよもぎが来て二ヶ月が経ったな」
「覚えてくれてたの?」
「当たり前だろ。あんな衝撃的な出会い忘れるかよ」
「嬉しいの」
顔を傾け微笑むと、白髪が靡く。こんなにも暗いのに、目の前に月があるのかと思うくらいに輝いて見えた。
初めてこいつが現れた日も夜だったな。急に現れ、笑顔で妹にしろとか言ってきたっけ。今思い出しても、やはりとんでもない出会いだったな。よもぎは自分勝手で破天荒。随分と苦労する日々だったが、悪い事ばかりじゃなかった。自分で言うのもなんだけど、意外と充実していた気がする。
ぎんは想い出を振り返りながらポケットからある物を取り出した。
「ーーこれ、やるよ」
前へと突き出すと、よもぎは目を丸くする。
「何これ? くれるの?」
「いや、だからやるって言ってんだろ。一応デートだしな。あと、ーー二ヶ月記念日だ!」
ぎんは照れくさそうに視線を外す。そして、最後の言葉を強めに言った。よもぎは可愛くラッピングされた小さな袋を受け取る。
「お兄ちゃん。ありがとうなの。でも中途半端なの」
にこっと笑った後に薄目で見つめてくる。
「別に中途半端でいいの。ただ、もう何ヶ月記念とかはないからな。一年記念とかなら考えなくもないが、兎に角。深い意味はない! ただの気まぐれだ」
長ったらしく言い訳を並べる。よもぎは裏のある表情で頷く。
「うん。わかってるの」
「絶対わかってないだろ!」
こいつは、俺の事を見透かしてやがる。そんなの表情を見ればわかるんだよ。
よもぎはわざとらしく口を尖らせる。
「わかってるのー」
「もうそれでいいよ」
投げやりに言う。ぎんを弄んでいたよもぎは満足したのか問い掛けてくる。
「開けてもいいの?」
「好きにしろ」
その言葉を聞き、リボンを外して中身を取り出した。それをまじまじと見つめ、訪ねてくる。
「ペンギンのキーホルダーなの。でもなんでペンギンなの?」
「なんとなく。よもぎに似てると思ったからだ」
「ふっーー」
桃色の薄く小さな口に手を当て、必死に笑いを堪える。その姿を見て恥ずかしくなったぎんは、少し顔を赤らめ強めの口調で言う。
「笑いやがったな。文句あるなら返せ」
仕方ないだろ。なずな以外の女にプレゼントしたのなんか初めてなんだから。しかも誕生日以外でプレゼントとかしないし。笑われたって事は完全にミスチョイスな訳だ。このままでは恥ずか死ぬ。
ぎんは右手を前に出した。よもぎはぷいっとそっぽを向く。大事そうに胸の前でキーホルダーを両手で握りしめる。そして、強硬に言い張る。
「返さないの。これはよもぎのなの。絶対に返さない!」
力付くでも取れそうにない。そもそも冗談で言ったぎんは気まずそうな声で、
「いや、本気で取ろうとはしてないからーー」
実は気に入ってくれてたのかな? だとしたら、ちょびっと、ほんの少しだけ、嬉しい。
「そんな事、妹なんだからわかってるの」
「ーーおう」
よもぎの剣幕に返事が遅れた。本当の妹に叱られたらこんな感じなのだろうか。
小さい観覧車なので、そろそろ終わりが近づいていた。カタカタと小さく揺れる中。よもぎは、大きな瞳でぎんを真っ直ぐに見つめる。そして、口を開く。
「お兄ちゃん。大事にするね」
その時のよもぎの表情に、不思議と俺は吸い寄せられていた。微笑んだのかもわからない。いつもと違う表情。これが偽りのない、本当の姿だと確信した。いつもはどこか信用できなかった。仮初めの姿だと思っていた。だけど今の彼女は心の底から綺麗だと感じた。
ーーこんな奴が妹でも悪くない。
当然その思いを口にする事はなかった。




