2-3 寝てる合間に (平岡)
いつの間にか熟睡していたようで、目覚めると心地良く布団にくるまっていた。それだけでここが自分の部屋ではないことがはっきりと分かる。あの場所は熱すぎて、布団なんて被って寝ようものなら蒸しあがりかねないからだ。
じゃあ、ここは……。視界が鮮明になると同時に意識が明かりを灯すようにはっきりしてくる。保健室に来ていたことを思い出した。
昼寝をしたのは久々で、まどろみにもう少し浸っていたいのか「もう一眠りしよう」と脳が私を誘っている。しかしそれよりも先に確認すべき事柄があったので誘惑を振り払った。
そうだ、委員長は――?
私がこうなってる原因を見抜き素早く対応してくれた恩人とでも言うべきだろうか。その人を探す――と視界内に既にいた。私のいるベッドに腕と頭を乗せ、もたれかかるようにして寝ている。
前々から綺麗だと思ってた、少し赤みがかった魅惑的な毛髪がすぐ目の前にある。昨日よりも手入れが行き届いてるような気がする。
あっ、私なにしてるんだろ。
気付いた時にはシーツの上に掛かるそれに手を伸ばしていた。見た目よりもサラサラしてるが癖っ毛のようで、ときたま引っかけそうになる。でも触り心地は良くて、ほんのり甘いシャンプーの香りが鼻孔をくすぐる。
「ん~~」
な、なに? 委員長が甘えるような声を発し頭が手の方へ傾いてきた。そのせいで頭を撫でるような形になる。なんだか不服そうに何かを訴えてるような、そんな顔に見えた。
な、撫でろってこと、かな?
確証はないが恐る恐る、試しに撫でてみる。すると満足げに頬が綻んでいった。
撫でられるの、好きなのかな? せっかくだから続ける。何がせっかく、なんだろう。その考えは変なのでは……?
戸惑いつつも委員長が気持ちよさそうなので続ける。なんか犬みたいだ。
普段は頼りなく見えるのに、さっきは私の熱中症に対する理解度の足りなさに怒ってくれた。あんな風に同級生に心配されたのは初めてだったので、新鮮で悪くなかった。
正直、委員長はしっかりしてて偉いなと思う。にしても、かわいいなぁ……。
「起きたかい?」
「ひっ――!?」
いつの間にカーテンの隙間から誰かが覗いていて、完全な不意打ちに変な声が出た。
見ると大人のようなので恐らく教員だろう。というかカーテンは半開き状態だった。反射的に委員長の頭から手を引っ込め、何故かその弁明しようと言葉を紡ごうとするが息があがり上手くいかない。
「えっと、これは……ち、ちがく、て……ぇ!」
「えっ? あ、さっき事情はこの子から聞いたから。まだゆっくりしてていいよ。熱あったんでしょ」
今の件については特に気にされていないようだった。どうやら私が、勝手にベッドを使ってる事を謝ろうと慌てふためいたように見えたらしい……って解釈でいいよね? いや、そうであってくれないと困る。
見られてないのか気になったが、うやむやにできたので掘り返さないのが吉だろう。
さて、これからどうしよう。壁に掛かる時計を確認すると昼の三時前だった。三時間近く寝てたらしい。熱でも計ってみようかな?
「あの……体温計ありますか?」
「あー、あるよ。いくよー、はいっ」
おっ、とと。ゆっくりと放物線を描いて迫るそれをキャッチすると「ナイスキャッチ」と褒められる。学校の備品を投げるやつがあるか、と訴えたかったが相手は大人だし……。ここは言葉を呑み込んで、受け取った物を脇に挟む。
「良い友達だね。ずっと付いててくれたみたいだよ。頭のそれも張り替えたりしてた」
「えっ……ああ、はい」
指差された額には冷え冷えシートがある。替えてくれたんだ……って、今、友達って言った?
私と委員長はそんな関係じゃない。たまたまた同じ場所に居合わせただけで……。けど、委員長がもし友達だったら――。
考えると嫌な気はせず、むしろ楽しい事だらけだろうなと想像できる。けど――。
私は友達を作るわけにはいかない。
友達じゃない、と否定しようにも思考時間が長くなり、タイミングを逸していた。保険教員は何やら作業をしているようだ。まあ、この人だけになら勘違いされても支障ないだろう。授業で会うこともないだろうし。
ピピピピッ――、と体温計の電子音。取り出して見ると平熱に戻っていて胸を撫で下ろす。
靴を履きベッドから腰を上げて、名も知らぬ教員に体温計を返す。投げて返すような真似はしない。
「熱、下がってた?」
「え、まあ。おかげさまで」
「それは良かった。けど、うーん……なんか君、愛想ないね」
は? 大人から、しかも面と向かってそんなことを言われたのは初めてだ。理解が追い付くまで数秒、唖然としていた。
というかこの人はあまり教員っぽくない。見るからに街でよく見かけそうなちゃらちゃらした若者って感じだ。近づくと香水の臭いもするし。なんだか気に食わない。
「あっ、ごめんね。自分つい思ったこと口にしちゃうから。悪気はないからそんなに睨まないでよー」
「別に気にしてませんし睨んでません」
「そう? もっと肩の力抜いて笑おうよ。笑ったら絶対可愛いよ君」
「はぁ、そうですか」
なんかもう、相手にするのが疲れる。テンションが違いすぎて合わない。こういう人と接する時は合わせないと失礼になるのだろうか?
それからも一方的な会話が続き適当な相づちで返していると、急に「今日は夜更かししないで早めに寝るように」とか「水分はこまめに摂ること」等々真面目な事を言ってきた。
そして、用があると言い残し保健室から去って行った。帰るときはエアコン切って鍵はそのままでいいらしい。
用って、勤務に関係ある内容だよね?
とりあえずその場で軽く伸びをしたりして身体を動かす。休む前より全然軽くてびっくりだが、動かしたせいで体が空腹を訴えていることに気付く。
そういえば食べないで寝たんだった。委員長は食べたのかな?
まだ目覚める様子のない委員長。その傍らには、弁当の入っていそうなビニール袋があった。しかし勝手に開けるわけにはいかないし、なにより私の物だとどうして決められるのか。
他には、鞄の上に文庫本を見つけた。栞が巻末に挟まれており読み終わりそうだった。なんとなく手に取ってみる。
起こすのも忍びないし、私を看病して待っててくれたのだ。私も起きるまでこの文庫本を読んで待つことにしよう。
隣、座ってもいいかな?
なんとなくそうしたかった。ベッドに座るのもいいけど、沈んだ弾みで起こすのもなんだし離れた場所で読むのもなんか変? な気がするし。そばにいてくれたから、同じようにそうしてみるだけだ。
床に座りベッドにもたれる。隣の委員長の安らかな寝顔を確認して、本を開く。扉絵の様子やあらすじから、二人の男子が一人の女子を取り合うような内容の恋愛物だと分かる。
委員長、こんなの読むんだ……。少し引きそうになるも、それだけでこういう趣向と決めつけるのはよくない。たまたまこういう内容だったんだ、うん。
それにしても恋愛かあ。私には縁がないなと、ページをめくりながら考える。
恋愛をするにはまず異性と仲良くなる必要がある。そして友達になり、それ以上に仲良くなりたい場合に発展する人間関係……という事は理解してる。
興味ないかなぁ……。
改めて確認するも魅力が沸かない。漫画やゲーム等の二次元世界の恋愛においても、共感できる事はあっても自分がそうなりたいとは思わなかった。女としてどうなんだろう……。
それとも実体験してみれば考え方は変わるのだろうか? 否。するつもりはないし、私みたいな奴を相手にする人もいないだろう。愛想がなくて、背も低くて出るところも出ていない子供っぽい奴なんか。欠点ばかりが目立つが、逆に目立たないという事なので良しとする。
そんな私に比べて、と隣の委員長にふと目がいく。
好きな人とかいる、のかな?
この年頃の女子は恋愛話とか好きらしいし、いても全然おかしくはない。委員長は背が高いけど同じくらいの背丈の男子となら似合う? いや、恋に背丈は関係ないか。
とにかく、女の私から見ても委員長は可愛いし、男子から見てもそうなんじゃないか?
そんなことを考えてると何故か胸の辺りがそわそわしてきた。委員長が誰かと付き合うことについて否定したい気持ちがあった。なんで――?
得たいの知れない感情が滲み、おかしくなったのかと頭を振って思考を強引に中断する。
「平岡、さん……?」
不意の横からの声に、驚いて身構えたが姿勢が崩れて倒れそうになる。……こてん、と倒れた。
委員長が顔を上げていつの間にか起きてた。見られたし、なんだ今の反応……うわーっ! 絶望的に恥ずかしい。
「あ、えっと、おはよう……?」
「ふふっ、おはよう」
一応、平静を装ったが無理があったみたいで、くすくす笑われている。こういう時はどんな反応をしていいか困る。からかわれて恥辱を受ける感覚に似てるが、自分で撒いた種のようなものだし。とりあえず委員長が落ち着くまで、地面を向いてるしかなかった。
「あ、あれ? その本、私の?」
指差されたのは私の手。見ると手離す機会を失った文庫本をそのまま掴んでいた。慌ててホコリを払うような動作をして、差し出す。
「ああっ、ごめん勝手に、暇だったから!」
「うっ、うん。いいけど、どうだった?」
「へっ!?」
まさか感想を求められるとは思わなくて変な声を漏らす。
内容は、知ってて聞いてるはずだ。栞は確か最後辺りに挟まれてたし……。つまり、どういう回答を求められているんだろう?
内容が内容なだけに答えづらい。物語としては興味深かった、くらいが妥当だろうか……? 心の中で問答していても誰も答えてくれるはずもなく、私はやけになり口を開いていた。
「す、すすす好きな人とか、いるの?」
「えぇっ、な、なんでそうなるの?」
「えっ!? なっ……なんで、だろう?」
私も聞きたかった。
頭の中で運動会でも開かれているのだろうか。答えを巡って様々な台詞の候補達が徒競走を行い、一番になったセリフがゴールとして吐かれる、みたいな。…………あほか。
とにかく、自分が相当に動揺してるのだけが分かった。
「――じゃなくて、こういうの読んでるから、そういうことかなー? みたいな」
少し強引な軌道修正を図る。でも意図は伝わったようで。
「えっと、暇だから読んでみただけかなあ。好きな人とかいないし、べつに関係ないよ」
その言葉にひとまず安心して心が落ち着く。
なんだろうこの感じ……?
今日は自分の気持ちを疑問に思う頻度が多すぎる気がする。まだ熱中症は完治していないってことなのだろうか? それとも脳にダメージでも受けたのか……考えすぎかなあ。
その後、小説の感想についてしつこく聞かれて少し遅いお昼を食べた。あのビニール袋の中身は、ありがたいことに私の為にと買ってくれた弁当だった。
嬉しかったけど、夕飯が食べれるか少し心配だった。