1-2 ぎこちないきっかけ (委員長)
夏休み明けに行われる学年会議。夏休みの予定もなく暇をもて余してた私は、その下準備にと学校に出て来ただけのはずだった。
それがどういう巡り合わせか、クラスメイトの平岡さんと一緒に遊ぶことになっていた。正直、嬉しくて楽しみだけど不安があるのもまた事実だ。
私は平岡さんについて知ってる事が少ない。そもそも話した機会がないので、外見から得られる印象がほとんどだった。
いつも凛とした表情を崩さない事からクールなイメージが漂い、小柄ながらも威圧感のようなものも持っていて近寄りがたい。綺麗な黒髪は私のと違いあちこち跳ねることはなく、触り心地が良さそうなストレート。特定の授業や行事を休みがちで、自分から人付き合いを避けてるように思う。
不良だとの噂もあるが、何か問題を起こしたという話は聞かないので言い過ぎじゃないかと個人的には思っている。
誰かと一緒にいるのを見たことはなく、声を聴いたのも今日が一番多いんじゃないかってくらいで、謎に包まれた人物として私は認識していた。そんな謎多き平岡さんが私を誘ってくれたのだ。変な言動をして怒らせたり困らせたり引かれたり云々するわけにはいかない。意気込むと手が自然と握り拳になった。
「委員長、ご飯どうする?」
不意の質問に反応できず、頭の中が真っ白になる。
ごはん……? あっ、お昼だから……、えと……っ!?
「ご、ご飯っ? そうだねお昼っ、どうしようっか!」
明らかな挙動不審。いきなり先程固めた決意じみたものは、開いてしまった拳もろとも崩れ去った。
ちなみに今は校舎を出て、平岡さんが乗ってきた自転車を取りに向かっている。
「いつもそんな調子なの?」
「いえっ、ちが、これはぇ考え事……」
「私のこと、かな」
ずばり的中していて返す言葉が出てこない。しかし、平岡さんは特に気に留めないようで「ま、私不良だしな」と軽く続けながら、自転車の鍵を手早く外していた。その後、平岡さんにじっと見られているのに気付く。な、なんだろう……?
「そっか、委員長は歩きか」
「うん、そうですよ」
「んー、乗る?」
自分の座るサドルの後方をぽんぽんと叩く仕草。キャリアがありそこに座れそうだ。二人乗りは小学生の時以来やってないなと思い返す。
「けど私、乗っても大丈夫かな? ほら、でかいし重いかも」
頭頂部に手を宛て身長をアピール。背が高いのはコンプレックスだが、そうでなくても平岡さんの小さな身体で二人乗りは負担が大きいのではなかろうか。
「うちのお母さんも大きいけどそれでもパンクしないみたいだし、大丈夫じゃない?」
平岡さんは自転車の耐久力のことを言ってるようで、話が噛み合ってなかった。こっちは運転出来るのかを気にしているのに。
「あぁ、電動アシスト付いてるし私でも二人乗り出来ると思う」
私の思考を読み取ったかのように言葉が付け足される。電動アシストってなに!? って感じだったが、言葉通りなら電気の力で進むのを補助してくれる、のだろうか? 私には馴染みがないけど平岡さんがそう言うならと、お言葉に甘える事にした。
「じゃあ、お願いします」
「ん。あ、鞄は預かるよ」
差し出された手に鞄を渡すと、車体の前に設けられたかごに入れられる。私は平岡さんの後ろに腰掛けるとあることに気付く。体勢の安定を図るには何かにつかまる必要がある。つまり、平岡さんの体につかまる必要があった。
いいのか? いきなり馴れ馴れしくないか? と逡巡したが。
「あ、あのっ! つ、つかんでもいい、かな!?」
「うん、どうぞ」
返事はあっさり返ってくる。拍子抜けな感じがしたが、私は人との距離感の取り方がわからないままここまで生きて来た。だから一つ一つの行動が億劫になりがちである。でも、だからこそ今はその距離感を一歩づつ縮めるコツを掴むチャンスだと思って頑張りたい。
ゆっくりと手を乗せた肩は見た目通り華奢で薄かった。
「出るよ」という合図で平岡さんがペダルを踏み込むのが、肩の力の入り具合で分かる。最初はやっぱり重いかもと思ったが、バランスは崩れることなく緩やかにスピードを上げた。
「食べたいものとかある? あ、弁当あるなら私も弁当買うけど」
「今日は持ってない、よ。食べたいもの……たべたい、もの……」
意見を求められると、思考がごっちゃになって結局頭が真っ白になる。この数秒の間に、いろいろ候補は思いついていたのに……。こんな調子でこれから先、私は上手くやっていけるのだろうかと心配になった。
「私が決めていい?」
「う、うん。お任せししてもいい、かな?」
「わかった」
平岡さんのおすすめの場所、はさっき候補に思い付かなかった。今後の参考にしよう。
それよりも、愛想を尽かされてないかも心配たっだ。さっきから言動が不振すぎる自覚はあるし自分から何かを決めることも出来ないしで、まだ遊ぶ手前なのに先が思いやられる。
一方平岡さんは普段のイメージとは違って近寄りがたい雰囲気はしないし、話しやすかった。けど、口数が少ないのと何を考えてるのかわからないところは普段通りで、遊びに誘われるのなんて予想の斜め上すぎて今でも半信半疑でいる。
そんな平岡さんを理解出来る機会は来るのだろうか? 来ると良いなと願う。
夏の日差しを適度に遮る並木通りで、涼やかな風を受けながら自転車は力強く進む。蝉の合唱に送り出されるような感覚に、私は不思議な心地で流れる景色を見送った。
しばらくして私達は近場のアーケード街に入っていた。平岡さんは人がたくさんいるからと私を後ろから降ろし、自分も自転車を降りてそれを押している。
夏休みとはいえ平日の昼間、確かに人はちらほらいるが土日程ではなく、空いてる方だ。不良ならこんなこと気にしないだろうし、やっぱり授業をサボる事以外は普通の良識ある生徒と変わらないのではないか? それにこうして隣で並んでみると、お人形さんのようで可愛らしいとさえ感じる。意外とファンとかいるかもしれない。
「……なに?」
「えっ!? えっと、疲れてないかなって思って!」
怪訝そうな瞳に圧倒されそうになったが、咄嗟の言い訳が珍しく自然な受け答えになっていた。
「委員長は元気そうだね」
「へ!? う、うん! 元気だよぉ……!」
思わず両手を掲げてブイの字の形にしてしまう。平岡さんは少し驚いたようだが、直ぐに顔を隠し小刻みに肩を震わせていた。もしかして笑われてる?
急に恥ずかしくなり手を戻して周囲を見回すが、そんなに気にされてる様子はない。
今のそんなにおかしかったのかな? こういう時はどんな反応したらいいかわからない。けど、平岡さんが笑ってくれたならそれでいいかと嬉しくなった。
それからしばらく歩き、繁華街の中程で平岡さんは足を止めた。
「ここでいい?」
指差した先には、洒落たレンガ造りの建物の一階。看板に描かれたイラストや雰囲気を察するに、カレーのお店らしい。聞き覚えのない店名からチェーン店ではなさそうだ。
両隣や周囲の飲食店と比べると客引きのポップや旗はなく、メニューも飾られてない。それが却って渋さを引き立てており、高貴な印象を感じた。
「ここ、高そうな感じだけど大丈夫……かな?」
「そう? 普通だったと思う」
曖昧な返事だったが、以前来た事があるような口振りだ。
「カレー、嫌いだった?」
「そんなことないよ! ここにしようか」
選んでくれた好意を無駄にしまいと、店の戸を手前に引く、引く……、あれ、引けない!? えっ、押してもダメ? 休みではなさそうだけど……。混乱が訪れる。
「それ、引き戸だし」
横から平岡さんが戸をスライドさせると、呼鈴の音と共に簡単に店内への入口が現れた。
「あっ……!」
またしても赤面する事態に正直、穴があったら入りたいと思った。平岡さんは平岡さんでまた俯いて肩を震わせている。それ、笑ってるんだよね?
「何名様でしょうか?」
「に、二名様でお願いします」
平岡さんはまともに喋れなそうだったので店員さんへの対応は私がする。奥の席に案内され、座るまでには平岡さんはポーカーフェイスに戻っていた。
席から店内を見回すと茶色を基調とした色合いの内装で、照明も暖かみのある電球色が使われていてリラックスできそうだと思った。BGMには、詳しくないけどクラシックが流れていてゆったりとした雰囲気を演出している。
「落ち着いた?」
「えっ」
「なんか緊張してる感じがしたから。こういう所なら落ち着けるかと思って……。違ったらごめん」
平岡さんなりに気を使ってこの店を選んだということだろうか? だとしたらなんか悪いことしたかな。どう返したものかと言い淀む。
「別に私に気とか、使わなくていいから。私も使わないし。普段通り友達と話す感じで…………あっ」
まるで失言したとばかりに表情に焦りが滲む平岡さん。恐る恐る私の様子を窺っている。
「今のはちが……ごめん」
「ううん、大丈夫。ありがとう」
遠回しにだが確かに感じる平岡さんの気遣い。人には気遣い無用と言いつつ、自分は気を使うなんて案外優しい性格なのかもしれない。
「と、とにかく私達は対等の立場ってことで。変な気使ったら罰金だから」
「え、え~っ」
冗談めいたこのやりとりが楽しいと思った。これがいつも羨ましいと憧れる、友達同士の何気ない会話だったから。
平岡さんは頬杖をついて視線をずらしている。照れ隠しなのかもしれない。表情は相変わらず読めないけど。
「それより、早く頼もう。お腹すいた」
「確かにそうだね」
入店時から気になっている店内を漂う芳醇なスパイスの薫り。それは空腹には更に食欲を煽る要素となり毒だった。長時間は耐えれそうにない。
メニュー表を二人で見れるようテーブルに広げた。かなり本格派なようでカレーだけで三十種類くらいはある。知らないカレーから馴染みのあるものまで幅広いが、値段は思ったよりもリーズナブルだった。
「決めた? 私はこれかな」
平岡さんは、旨辛チキンカレーを指した。なかなか美味しそう。というかどれも美味しそうなんだけど。
「私は迷うけど、この、バターチキンカレーにするよ」
カレーは家でよく出る定番の市販ルウで作ったもの以外馴染みがないので、ちょっと期待してみる。注文を終え、しばしの待ち時間。
な、何か話さないといけない、よね? しかし例によって焦りばかり滲み、何も話題が浮かばない。ここで不自然な発言をしたところで、平岡さんの鋭い眼には無理してることを見抜かれかねない。どうしよう……?
平岡さんを見てみると頬杖を付いたまま目を閉じていた。寝ている? いや、リラックス中? もしかして私と話すのが嫌に……? 様々な疑問がネガティブに働く。
「ねぇ、委員長」
「へぁ、な、なに?」
平岡さんの口が唐突に開かれ、油断していて慌てる。
「カレーは、好き……?」
「う、うん? 好きだよ。最近はあまり食べれてないけど」
「そっか、よかった……」
何でいきなりそんな事を聞いたのだろう。さっきは嫌いかを聞かれた気がするけど。不思議に思っていると平岡さんがばつの悪そうな表情で語りだした。
「私も、こういうのあまり慣れてないから。他人との接し方っていうの? だから、何話していいかとか、わからない……。だから、あんまり気にしない、で。もっと言いたいこと言っていいし」
最後の方はもごもごしていて聞き取りづらかったが、つまり。私と同じ心境という事を伝えたかったのかもしれない。それが分かっただけでも胸中に渦巻いていた幾つかの不安の雲が、晴れていくようだった。
「私と同じ……ってこと?」
「かな。委員長見てると、そんな感じした」
悪戯っ子のように笑む平岡さん。こういう顔もするんだなあ、と内心ほっこりした。
「そ、そんなにわかりやすいかな、私?」
「うん。顔だけでもわかるけど、たまに手とかも大袈裟に動いてる」
「えっ、そんなことな……い」
「ほら」
盲点だった。自分では意識してないが、右手がぶんぶん振られていた。誰が動かしたんだろうと見回すが、勿論私以外にいない訳で。静かに手をテーブルの下に戻した。
「私はいいけど、平岡さんはわからなさすぎるよ」
「私は、まあ……うん。いいから、これで」
自覚はしてるらしく、平岡さんは普段通り表情を隠す仮面を被っていた。ここはあまり触れない方がいい事柄なのかもしれない。それにわざわざそこに踏み込むよりも、今なら自然にいろんな会話が出来るような気がした。
私の心境を理解してるらしいし、平岡さんも似た感じらしい。ならば、さっきまでのように難しく悩む必要はないのだ。そう考えると、鎧でも脱ぎ捨てたように心が軽くなった心地だった。
やがて注文のカレーが到着し、一緒にいただきますをする。同級生と食べるお昼なんて、中学の給食時間以来で久しぶりだった。誰かと食べるからなのか、このカレーがそもそも絶品なのかスプーンが止まらない。
会話もそこそこに、ご飯とルゥをバランスよく口に運びながら平岡さんをチラ見した。頬が緩んでる、ように見えたのは気のせいじゃないはずだ。