まだ始まってさえいない
突然入った祖父の遺産。
祖父は、とある県の土地持ちで、所謂、大昔の大地主と言ったところであった。
祖母は数年前にすでに他界しており、父とその妹、私にとっては叔母さんという事になるが、その兄妹二人で祖父の遺産を分割して相続したのだ。
今となっては、一田舎の土地に過ぎなかったが、それでも相当数の坪数があり、全てを売却するとそれなりには良い値段になった。
父はその遺産のおかげで、住宅ローンや車のローンなどを支払い終わり、現在は先行きの不安なども無く、かなり心理的には気楽に生活が出来ているようだ。
とは言っても、実の父親は無くなって数ヶ月間は父の表情が曇りがちである事も多かったのだが、半年も過ぎようとする現在は、気持ちの整理がついたようにすっきりとした表情をしている。
父は朝、ベッドから起き上がり部屋を出てから、母が作った朝食を食べ終わると、和室の床の間に置いてある祖父の仏壇に水を備え、手を合わせてから仕事へと出かけていく。
これが父の日課となっている。
父はほとんど毎日のように、「お爺ちゃんのおかげだ」とことあるごとに、良い思い出に浸るような表情で一人で何度も繰り返し呟くのだ。
幸いにも父と叔母さんは遺産の分割について何ら揉めることは無かったが、父も色々と考えたらしく、遺産の幾分かを生前贈与と言う形で俺達、兄妹に分け与えた。
すでに色々と返済や積み立てなどに当てた後ではあるので、遺産という名前からイメージされるような大金ではなく、兄妹にそれぞれ数百万円づつという形になった。
俺、二階堂誠は20歳になったばかりの、都内某私立大学に通う2回生だ。
正直、この大金ではあるが、贅沢をすればすぐに無くなってしまう大金をどう使おうか悩んでいる。
車なんて買えばほとんど無くなってしまうだろうし、学生の特権である長期の休みを利用して海外に長期旅行に出かけるのも油断すると数百万円がすぐ飛んでしまいそうだ。
もっと有意義に自分の中に色々な経験として蓄積されるような使い方がしたい。
それってどんなものがあるだろうか・・。
そんな事を色々と考えているうちに、電車はもうすぐ大学の最寄駅に到着するようだ。
いつものように、大学の大教室へと向かう。
まだ一般教養の授業まで、少し時間があるので、席は疎らに埋まっている状態だ。
ふと目をやると、一番後ろの列の席のほうはそこそこ埋まっている。
そこから前のほうへ視線をずらして行く、その途中に、ぼんやりと何か動く物体がある。
視線をそこにフォーカスすると、満面の笑みで手を振っている男がいる。
「何でそんなにテンション高いの?」と、隣に座りながら話しかける。
「え?まあ、暇だったし」と笑いながら答える男子学生の名前は、山本快。
俺と同じ2回生の男子学生で、何が無くてもいつも何となく嬉しそうにしている。
「あー、あの曲いいよね。サビの部分がすごい良いよね」
「あれ、キーが高い部分、マジで声が出ないよな」
......。
適当な話をしているうちに、大教室の大部分の席がいつの間にか埋まっている。
「結構、後ろのほうに座ってるやん?早く着いたん?」
と隣に座ると同時に声を掛けてきた女子学生は、麻田樹。
関西出身で、良く喋る、同じ2回生だ。
「もしさ、仮に宝くじで500万当たったらどうする?」と俺は何となく二人に聞いてみた。
「まず車買って、焼肉とか寿司とか食べまくるかなあ、俺だったら」
「そんなの全然、有効な使い方じゃないやん。全然後に残るもんが無いやん。私やったら留学するか、資格の専門学校にでも使うわ。何もすることが無いんやったら貯金やな」
何と言えばいいのか、両極端な二人の意見ではあるが、自分自身の意見としては、その両極端のどちらの要素も含んでいる。
自分自身の経験、それも社会に出るのに役に立つとかそういう現実的な経験値やスキルよりも、もっと大きな枠で人生の経験としてやって良かったと思える事、そして楽しめる事をしたいと思っている。
実は心の中に漠然とは、やりたい事はいくつかあるのだ。
「どうしたん?急に変な話して、何か悩みがあるんやったら、別に聞いたってもええけど・・?」
と、樹が言っている最中に、大教室の教壇のマイクから教授の声が響いてきた。
「えーと、では生命の始まりの講義を始めます・・」
話は講義の開始によって中断されて、うやむやになった。
講義が終わると、樹は英会話サークルのスピーチコンテストの準備があるとか何とかで、一言だけ挨拶してさっさと大教室から出て行った。
「色々と忙しいやつだよなあ、樹は」
と荷物を鞄の中にしまいながら、快が話しかけてくる。
「お前は、逆に何も考えずに生きてる感じだけどな」
「まじで?そうかなあ」と、笑いながら答える、快。
でも、こいつの場合は、それでいいんだろうなって、それで上手くいくんだろうって思う。
何となくいつも楽しそうにしていて、色々な話に対しても否定することも無く、あたりが柔らかく反応する。きっと快といると、みんな楽なんだろうって思う。
実際、快は友達が多くて、1回生の時に、快と知り合ったおかげで俺も友達がたくさん出来た。
そういう部分で内心感謝している人間は、きっと俺以外にもいるだろう。
多分、快自身は特に何も考えずに行動しているだけだと思うけれど。
「快さ、この後、ちょっと時間ある?」
「ん?今日は、別にこの後、予定無いけど、ラウンジでも行く?」
ラウンジとは、大学構内にある溜り場になっているスペースで、いくつかのソファーやテーブルが置いてある場所だ。
「いや、ちょっと別の場所のほうがいいかな」
「え、何で?なんか聞かれちゃまずい話?」
「んー、出来ればそうかな」
「じゃあ、久しぶりにあそこ行く?」
人ひとりが通れる幅の地下へと続く階段を下りて、俺達は木製の少しアンティークな見た目の扉を開く。
昼間から薄暗くて黄土色の光に照らされた店内には、こげ茶色の木製のテーブル数台と小さなカウンターが窮屈にそうに収まっている。10坪少しぐらいだろうか、決して大きな店ではない。
店内にはかすかに聞こえる程度の音量でジャズのBGMが流れている。
カフェバー「コーシカ」は、都内にある俺達が通う大学の最寄駅から徒歩数分にあるカフェバーだ。
駅から近いといっても細い地下への階段は見つけづらくて、新規の客が入ってくる事は稀だ。
店は基本的にオーナーと顔見知りの客が来る事で成り立っているように思える。
少し重量感のある木製の扉を開くと同時に、ドアについたベルの音が鳴る。
店内に目をやると、カップルの客がテーブル席に一組だけ座っていた。
「あら、いらっしゃい。結構久しぶりじゃない?」
ドアのベルの音に気づいて、声をかけてくるオーナー。
少しだけ口元を動かしてにこりとする仕草にたまらない色気がある。
身長に関しては俺と快が170cm前半でそれより少し低いくらいだから、オーナーのユミさんは、160cm後半ぐらいだろうか、スタイルが良く、出るところは出て、締まるところは締まっているという理想的体型をしている。詳しくは聞いていないのだが、ロシア系のクォーターという事らしく、年齢は20代後半とは本人の自己申告だ。
俺達はいつものようにカウンター席の一番端の席に腰をかける。
「何にする?」
「じゃあ、ホブゴブリン2つで」
「好きだね、それ」
ユミさんが、笑いながら答える。
ほどなくして、小瓶のビール2本とグラス2個がカウンターテーブルに用意された。
「で、どうしたの?今日は何か変な事聞いてきたけど、あれがなんか関係あるの?」
快が、グラスにビールを注ぎながら話を切り出してきた。
入れ終えたビールグラスをこちらの近くにゆっくりと滑らせる快。
「あ、センキュ」
「もしかして、当たっちゃった?宝くじでも」
自分のグラスにビールを注ぎながら快が聞いてくる。
「宝くじってわけじゃないんだけどさ」
とあいまいに答える俺。
少しの沈黙を挟んでから、快が聞き返す。
「何?どうしたの?そんなに言いづらいことなの?」
と少し笑いながら言う。
一呼吸置いてから話し出す俺。
「快、お前さ、俺の爺ちゃんって半年前ぐらいに亡くなったのは知ってるよな?」
「ああ、何か葬式するとか何とか、半年ぐらい前に言ってたよな確か」
「それでさ、ちょっとだけ俺にも遺産が入ったんだよ」
「はあ?遺産ってお前、すげえじゃん!いくら?何千万とか・・何億とか!?」
少し興奮気味に声が大きくなる快。
「おい!声がでかいんだよ!」
と反射的に周囲を見回すが、特に変わった様子も無い。
ちょうど、ユミさんがカップルの客のテーブルにオーダーの品を運んでいる所だった。
こちらの視線に気づいて軽く口元で笑いかけてくるユミさん。
俺はとっさに愛想笑いをしてごまかした。
「あー、ごめん、それでいくらぐらいなの?」
急に小さな声になって話を再開させる快。
「まあ、数百万ってところかな。」
「え?ああ、そんなところなんだ。あ、でもすげえじゃん。」
声の調子から少しがっかりした様子が分かるが、それを悟られないように慌てて誤魔化す快。
しかし、そこには突っ込まずに話を進める事にした。
「車買ったり、世界旅行しようかとか色々考えたんだけど、今、大学生の身分でたっぷり時間を使える状況を活かしたいし、もっと挑戦的なことをしたいって、漠然とだけど思っててさ。」
「うんうん、それで?」
「店とかさ、やってみたりしたいなーとかさ、考えたんだけどさ。」
「それで、自分で何が出来るかって色々考えてたんだけど、俺って結構、飲食店巡りとか好きなんだよ。」
「へー、面白そうじゃん。飲食店するの?」
「いや、飲食店とか大そうなものじゃなくてさ、俺、料理もほとんど出来ないし、それに資金的にもそんなにあるわけじゃないからさ、調理がほとんど無いか簡単なファーストフード的な物を考えてる。」
「何か面白そうだね、俺もやりたいんだけど。」
「え?手伝ってくれるの?と言うか、そんなに簡単に決めていいの?」
これには、少しびっくりして思わず聞き返した。
「まあ手伝うだけだし、暇な時だけだけど、面白そうだし。」
「て言うか、マジで面白そうだよな!ファーストフード的なものだと、ホットドッグとかサンドイッチとか簡単そうだよな。スイーツ系だとクレープもあるよなー。ああ、オニギリとかは・・、でもオニギリ屋はコンビニなんかと競合するから・・・」
ぶつぶつ言いながら一人で盛り上がる快。
まさか手伝ってくれるとは思わなかったし、頼めるとも最初から想定もしてなかった。
これは、素直に嬉しかった。
「まだ、何も具体的に決まってないんだから、そんな盛り上がるなよ。」
すごく嬉しいんだけど、悟られたくなくて突き放した感じで言おうと試みた。
でも実際には、態度から完全に丸分かりだったと思う。
「なーに?男同士でにやけちゃって?」
と、急にユミさんに話しかけられた。
慌てふためいた俺は、
「いや、快が変なこと言うからなんですよ!」
と慌ててごまかした。
そして、その後は、二人で何時間もその話で盛り上がった。
その日は、それだけですごく満足だった。
何も始まっていないのに、何か大きな前進をしたかのように感じた。
初めて書いてみました。
全く分からない事からの挑戦です。
読んでくださった方がいましたら、ありがとうございます。




