一二二 暴君ふたり
~~~益州 魚腹浦~~~
「密かに奇襲を仕掛けられる間道を見つけるか、
水の手を完全に断てればいいんだがな……」
「それにしても気味の悪いところだな。これは兵士の石像か」
「ところどころに像を配置して迷路のようにしてあるな。
金持ちが庭でも造ろうとしたのか?」
「ん? おい丁封。何か聞こえなかったか?」
「はあ? 別に何も聞こえねえぜ」
「そうか。俺の勘違いならいい――」
「い、いや、俺にも聞こえたぞ。なんだこれは?
地鳴りか? 地震でも起きてるのか?」
「これは……いかん! 水の音だ!
走れ丁封!!」
「は、走れっていったい――な、なにィ!?
み、水が! 濁流が――ぎゃあああああっ!!」
~~~旧蜀 永安~~~
「丁封が突如流れ込んできた濁流に呑まれた?」
「ああ。潮の満ち引きを利用し、海水を引き込む仕掛けがしてあったらしい。
まさかあんな所に罠が張ってあったとは……」
「おい呉軍。いったい何があったんだ?
急にすごい水の音がしてびっくりしたぞ」
「とぼけるな! 姑息な罠を仕掛けおって!」
「俺も知らないよ。あれは魚腹浦の辺りだっけ?
そういえば昔、諸葛亮丞相が何かを仕掛けたとか聞いたような」
「諸葛亮が? 神算鬼謀で知られる彼のことだ。
敵の侵攻に備えて何か手を打っていたというのか……」
「そんなことより、諦めて逃げた方がいいんじゃないかな。
ほら、あっちを見てみなよ」
「これつ が あらわれた!」
「なに!?」
「これつ は
ごぐん たちが みがまえるまえに
おそいかかってきた!」
「クッ! 魏の援軍が現れたか!」
「これつ は なかまを よんだ!
とうひんが あたらしく あらわれた!」
「敵は泡を食ってるぞ!
今だやれ! 軍需物資を略奪しろ!」
「駄目だ、石兵の罠にはまって負傷者も多い。
ここは全軍撤退しろ!」
~~~永安~~~
「おかげで助かったよ。味方だと思っていいのかな?」
「ああ。司馬昭様は貴官を魏の臣下として受け入れる用意がある」
「蜀の最後の一人として孤立無援で半年もがんばってきたのに、
魏の臣下になるのも複雑だけどね。
断ることはできるかな? 兵や民のみんなと自給自足くらいできるし」
「そんなひどい……」
「我々としては貴官の意志を尊重したいところだが、
魏も呉も国境線に近いこの城を見過ごすことはできない。
遠からず争奪戦に巻き込まれるだろう」
「だろうね。言ってみただけ。
――ところで、成都はどうなったの?
鍾会が反乱したことは風の噂で聞いたけど」
「反乱は速やかに鎮圧された。
だが乱戦の中で鍾会はもちろんのこと、
鄧艾、師纂、姜維、張翼、傅僉らは揃って命を落とした」
「そっか…………」
「上手く行けば貴官がこのまま永安の守りを任されるだろう。
私は成都の統治を任されているが、都までコレツに案内させよう」
「ぎ のくにへようこそ!」
~~~魏 洛陽の都~~~
「本当にすごいなあ。
あちこち見させてもらったけど、蜀と比べたら魏は大都会だよ」
「フン、益州の片田舎と比べられたらお世辞にもならんぞ」
「わしはお世辞なんて言わないって。つくづく無謀な戦いだったと思うよ。
こんな大国を相手にそこそこやれてたのは、
諸葛亮やみんながすごかったんだなあってさ」
「益州の片田舎が恋しいか?」
「いやあ、魏で見るもの全てが目新しくて、帰りたいとは思わないなあ」
「フン、そうか」
「それにほら、空も日も空気も人も、本質的なものは蜀と何一つ変わらないよ。
益州に残してきたみんなのことは毎日考えるから、別に恋しくなんてないし、
わしみたいな無能な殿様なんていない方が、みんな幸せに暮らせるだろうからさ」
(この男…………)
「あ、でもこういう場合は恋しいですって言ったほうがイメージ良いし、
もしかしたら蜀に帰してもらえるかもしれないんだよね。
郤正に言われてたのに忘れてたよ」
(本当に無能なのか? それともそう装っているだけか……?)
「どうしたの? わしの顔に何かついてる?」
「いや、腑抜けた顔だと思ってな」
「それはパパ譲りだから勘弁してよ。
司馬昭さんこそ顔色悪いけど平気? 元からそういう顔?」
「余計なお世話だ。益州ではなく并州か涼州にでも送ってやろうか」
「おっ、いいねえ! いつか行ってみたいと思ってたんだ。
皇帝なんて不自由だからさ、好きに旅行もできないんだよね」
「………………」
~~~呉 建業の都~~~
「予算? 政策? そんなもの適当にやっておけ。
適当では何もできないだと?
孫休陛下から全権を託された丞相である、
この私の言うことが聞けないと言うのか!?」
「おお、精が出るな濮陽興」
「張布か。最近は忙しくてなかなか話もできんな。
お前こそ軍事の最高権力者として辣腕を振るっていると聞くぞ」
「わっはっは! この前も東と西の兵員を総入れ替えしてやったわ。
たまには空気を一新せねば汚職がはびこるからな」
「そのための予算が取れなくて困っているとか泣きつかれたところだ。
金がなければ年貢を増やすなりなんなりすれば良かろうに。
無能な部下ばかりだと苦労が絶えんなあ!」
「まったくだ!」
「タイトなタスクのようだね諸君」
「こ、こ、これは陛下!?
お、お部屋を出られるとは珍しい……」
「飲み物のおかわりをもらおうと思ってね。
イノベーションなソリューションを実現するためには、
脳への糖分の補給がマストだ。
今度はフラペチーノのトールを頼むよ」
「は、はあ。
ところで陛下は、今はなんの学問の研究をされているのですかな?」
「いや、今は一休みして今度産まれる息子達の名前を考えている。
私だけじゃなくカスタマーのコンセンサスも得られ、
もちろんベネフィットもフィックスさせ、同時にシナジー効果も期待できるような、
そんなフラッシュアイディアをリテラシーしてるところさ」
「いやあ、我々にはさっぱりわかりませんが流石ですなあ!」
「国のことは諸君に任せた。
私は研究に戻るとしよう」
「……皇帝になっても何も変わらんなあの人は。
おかげで俺らは好きにやらせてもらってるが」
「だが、交州が離反したことくらいは耳に入れといた方が良くないか?」
「いやいやいや! 余計なことを言って陛下が国政に戻ったらどうするんだ。
俺らが好き放題やってたことも露見しちまうぞ!」
「それもそうだな。
蜀の滅亡の件はお前から報告してもらってるし、交州くらい別にいいか」
「は? 蜀のことなんて報告してないぞ。何の話だ」
「おいおい! この前の書簡で頼んだろ!
……マジで言ってないのか?」
「言ってねえ」
「………………まあ、いいか」
~~~魏 洛陽の都~~~
「うわああん! 司馬昭様ああ!
せっかく蜀を滅亡させて、天下統一も間近なのに!
こんなところで亡くなるなんてないよおお!」
「そう嘆かれるな石苞殿。
泣いてくれる方が一人でもいて、甥(司馬昭)も喜んでいるだろう」
(石苞さんは司馬昭に抜擢されて日の目を見た人だから悲しんでるが、
他の連中は内心では喜んでるだろうな。
それにしても急病で死ぬなんてあっけない最期だった。
独裁者の末路なんて誰も似たようなものになるんだな……)
「泣き声がやかまし過ぎて朝議が進まぬ!
誰か石苞将軍を外に連れ出せ!」
「ほらほら迷惑だそうですよ。
泣いたってどうせ生き返らないんですからいいかげんやめて下さい。
邪魔をしないようにあっちへ行きましょう」
(最強かよあいつ……)
「蜀が滅びたとはいえ、天下はいまだ定まってはいない。
司馬昭様に代わり、晋王の座を継ぐ方を選ばねばならぬ。
しかし不幸中の幸いにも、司馬昭様はご臨終の間際に、後継者を指名して――」
「待て。それは曹奐陛下にお決めいただくのが筋であろう。
曹髦陛下が亡くなられた時とは事情が違うのだぞ」
「しかし陛下はここのところ体調が優れず、今日も東の別荘でご静養中とのことだ。
ここは国政を滞らせないためにも司馬昭様のご遺志を尊重し、
遺言どおりに粛々と事を進めるべきかと?」
「そうやってなし崩しに事を進めようとしても私は――」
「まだ会議終わらないの? どうせ僕様になるんだから時間の無駄だよ無駄」
「司馬炎……」
「無駄なことは嫌いだな。さっさと決めなって。
僕様が新しい王様だと早く知らせなよ」
「言葉を慎め司馬炎! まだ父君の喪も明けておらぬのだぞ!」
「大叔父さんは細かいなあ。喪中なんて無駄。無駄の極み。
僕様が王になったら無駄は全部省いていくよ。
そうだなあ、まずは皇帝という無駄を省こうか」
「!?」
「僕様より権力のない皇帝なんて無駄だよ。無駄無駄。
この際、綺麗さっぱり取っ払って、僕様が皇帝になるべきだ」
「な、なんという……司馬昭とてそこまでは考えていなかったのだぞ!」
「父だってもう少し長生きしたら考えたさ。
……いや、あの人って腹黒いからな。自分では手を汚さず僕様にやらせたかな。
ほら、死ぬ前もはじめは僕様じゃなくて司馬師伯父さんの息子を、
無駄に後継者に指名しようとする素振りを見せたじゃん。
どうせみんな反対すると思ってたくせに、無駄に遠慮して見せるあたり流石だよ」
「……どうですかな諸君。
司馬炎殿下の聡明さは存分にわかっていただけたことと思う。
東でご静養中の曹奐陛下も同意されることだろう」
(何が聡明なものか! 父や伯父にも勝る暴君の誕生ではないか……)
~~~呉 建業の都~~~
「あわわわわわ。たたたたた大変なことになったぞ」
「おおおおお落ち着け濮陽興!
呉、呉の重鎮たる我々が落ち着かなくてどうするのだ!」
「重鎮だと思ってるのはアンタらだけだよ」
「ななななな何か言ったか張悌!?」
「別に。それよりさっさと裁定を下してくんな。
次の皇帝は急逝した孫休陛下が指名した幼いガキか、
それとも年食った一族の誰かか」
「そそそそそそれが容易に判断できんから、
こうして討議しているのだろうが!」
「困った困った。実に困ったぞ。本当に困った。
まさか孫休陛下がこんなにも急に崩ぜられるとは……」
「やあねえ、迷うことなんてないじゃないの。
同盟国の蜀が滅びちゃって、魏の呉への侵攻が現実的になったいま、
幼児を皇帝にするなんて怖くてしかたないじゃない。
だったらやることは一つよ」
「岑昏の申す通りだ。我々は孫皓殿下を推薦する」
「孫皓……殿下というと、孫和様の遺児か」
「そうだ。孫皓殿下はかの孫策様の威風を感じさせる方。
この乱世の中で呉を支え、そして覇王と成りうる唯一の方である!」
「……で、でも孫皓殿下って、あの方だよな」
「ああ、あの方だ」
「……覇王っていうか魔王じゃねえのか?」
「魔王でも大いに結構じゃないの!
はっきり言って今の呉は風前の灯よ。
この状況を覆すには魔王のような風格漂う孫皓様しかいないって話!」
「むう……どう思う、張布よ?」
「確かに孫休様の幼い子息よりは良いと思うが……」
「毒をもって毒を制すって考えだぜ、そいつは」
「我ら武官のやることは変わりない。
宮中のことを判断するのは貴公らだ」
「魏の侵攻はもう明日にも始まってもおかしくないのだぞ!
迷っている暇はない! 太陽の昇らぬ日が無いように、
国に皇帝不在の空白期を生じさせてはいかんのだ!」
「そ、そこまで言われては、私も反対するつもりは無いが……」
「お、おう。俺も孫皓様で異存はないぞ。
元から殿下の素晴らしさは耳に届いていたしな!」
「よく言うぜ。俺には岑昏も万彧も、
私腹を肥やしたいから孫皓を推薦しますって
言ってるようにしか聞こえなかったがな」
「なんですって!?」
「悪いな。俺は思ったことは言わずにいられねえたちなんだ」
「かの諸葛瑾様に推挙されたからといい気になりおって。
新政権に貴様の居場所があると思うなよ!」
「推挙されたからこそ、あの人の期待を裏切りたくねえだけだ。
……いや、もう何も言わねえよ。
丁奉さんの言う通り、俺らは戦うだけだ。国のため、民のためにな」
~~~数年後 呉 建業の都~~~
「まず即位するやいなや先帝(孫休)の妻子を殺させ、
お父上(孫和)のために豪奢な墓を建て、盛大な葬儀を行ったな」
「身内には優しいのかと思いきや、
冷遇されていた自分に何かと目を掛けてくれた先帝の妻子を抹殺だ。
目的のためには手段を選ばん」
「気に入らない側近を殺して、他の側近に食わせたこともあったな」
「後宮に国中から集めた数千人の美女を入れて、裸で相撲を取らせもしたな」
「正確には裸に黄金のかんざしを挿して、だ。
いったいどんな趣味なんだ。
豪華なかんざしを揃えるために国庫が空になったと聞く」
「特に寵愛していた側室が亡くなると国葬を催して、
それで孫皓が死んだと勘違いした輩が反乱も起こしたぞ」
「予言者に天下統一できるとおだてられたら、
急に洛陽に向かって車を走らせ、一人で晋を制圧しようともしたな」
「逆らう者はその車で車裂きの刑にしたし、
宮廷には人を突き落とすためだけに川を通したな」
「それに……まだ言おうか?」
「俺達も確かに権力を得てからはやりたい放題やってきた。
だが、孫皓陛下とは比べ物にならんだろう。
なあ、万彧よ?」
「む、むう……。私もそれは認めるにやぶさかではない」
「認める認めないの問題じゃないんだ。どうすんだよ?」
「ああ。いったいどうするんだあれを?」
「廃位……するしかあるまい」
「今さら遅いんだよ!
そもそもお前がアレを推挙しなければ良かったんだ!」
「その通りだ! お前さえ、お前さえ勧めなければ」
「そういうお前らだって最後は賛成しただろうが!」
「こんなことになるなら賛成しなかった!」
「結果論じゃねえか!!」
「黙れ。そして死ね。孫皓は静寂を愛する」
「そ、孫皓……」
「孫皓陛下、である。
牢の中では静かにするものだ。さもなくば死ね」
「へ、陛下! 私はこの二人とは違います!
あなたを皇帝に推挙したのは他ならぬ私なのです!
どうか、どうか寛大なお心で……」
「お前達はみな孫皓を非難した。その罪、万死に値する」
「……もう諦めよう。
陛下、どうか出来るだけ苦しまずに済む死に方を賜りたく――」
「刑を執行する。死ぬまで殴り合え」
「へ?」
「今。すぐ。ここで。殴り合え。孫皓はそれを見ている」
「そ、それが処刑方法……ですか?」
「やれ。孫皓の予想では張布が勝つ」
「か、勝ったら生き残れ――」
「勝ち残った者は死ぬまで自分を殴れ。孫皓はそれを見ている」
「……なあ。お前らに殴り殺されるのと、
自分で自分を殴り殺すのはどっちが苦しいんだ?」
「知るか!!」
~~~~~~~~~
かくして魏と呉に暴君が立った。
魏は滅び晋が生まれ、
三国の歴史は終止符を打とうとする。
次回 一二三 三国統一