一二〇 蜀漢最後の戦い
~~~蜀 剣閣 姜維軍~~~
「放て!」
「うおおっ!? な、なんだこの矢の雨は!
威力といい大きさといい、ただの弩ではないぞ!」
「諸葛亮が開発したという連弩だな。剣閣に配備していたか」
「矢の用意も連弩のメンテナンスも万端だ!
いくらでも撃ってくれ! 羌族の科学力も世界一イイイ!!」
「撃て! 撃ちまくれ!!」
「てーーーッ!! っていっぺん言ってみたかったんですよ私!」
「これつ は みをまもっている」
「問答無用の連弩のロンド、連打の連射に乱打の乱射、
尻尾を巻いて逃げるの得策、いったん退き立てるぞ対策」
「鄧艾の言う通りだ。このままでは狙い撃ちで治療費も馬鹿にならない。
撤退して体勢を立て直すぞ」
「チッ。やむをえんか……。退け!!」
~~~蜀 剣閣 魏軍~~~
「これつ は やくそうを つかった!
これつ の キズが かいふくした!」
「連弩の噂は聞いていたが、あれほど厄介な代物だとはな」
「だが矢弾など無限にあるわけではない。
撃ち尽くさせればそれまでだ。問題にもならん」
「……兵を盾にして強引に力攻めするつもりか?」
「それが一番、手っ取り早いな」
「馬鹿な! 兵や軍資金こそ無限にあるわけではないのだぞ。
どれだけの犠牲を強いるつもりだ!」
「効率など問題にしていない。
蜀を攻め滅ぼすために、最も早い手段を講じるだけだ」
「………………」
「これつ は ブキミに ほほえんでいる」
「……鍾会に提案、俺に妙案。
蜀の桟道、突っ切れ間道、行くの賛同? 着けば感動」
「剣閣の背後に回り、蜀の桟道を抜け成都を急襲する?
下らぬ。成功の見込みは皆無に等しい」
「成功すればさほど犠牲を払わずに蜀を滅ぼせるだろうが……」
「そんな自殺行為を奨励できるものか。
やりたければ手勢だけで勝手にやればいい」
「快諾いただき解決いただく。
目に物見せるぜ、行こうぜ師纂」
「なっ……俺もだと!?」
「フッ。確かに貴様は鄧艾の副将に付けてやったな。
一蓮托生だ。行け」
「くっ……本当に勝算はあるんだろうな!」
「益州くまなく歩いてマッピング、蜀の桟道夜にはチェックイン。
蜀軍蹴散らす楽しいクッキング、ショッキング見せるぜ鄧艾接近」
「……自信はあるようだ。
鍾会の許可は出た。後は任せたぞ」
~~~蜀 剣閣 姜維軍~~~
「切れ者と聞いていましたが鍾会とやらも大したことありませんね。
数に任せて力攻めするだけで、被害を増やす一方です」
「おそらく連弩を撃ち尽くさせる魂胆でしょう。
兵の命を命とも思わない非情な方だ」
「私の見るところ、彼は合理主義者だ。
力攻めが剣閣を落とす早道だと考えているのだろう」
「それにしても拍子抜けだな。
魏軍にはなんの変化も見られない。
攻め寄せては連弩に撃退されて逃げていくだけだ」
「姜維さんなら剣閣を落とすためにどんな策を立てますか?」
「簡単だ。一か八か背後に兵を回す」
「背後に? 蜀の桟道を越えるのですか?」
「そいつは無理ってものだぞ。
桟道は鳥や獣でさえ容易に越えられない。
ましてや武装した兵になど無理だ。
万が一行けたとしても軍隊の規模になどならん」
「姜維さんは魏軍も桟道に兵を回していると考えているのですか?
しかし彼らに変化は見られませんよ」
「背後に兵を回すことが肝要だ。
多勢は必要ない。変化が見られないほどの小勢なのかもしれない」
「……お前、本当に魏軍が迂回策を取っていると考えるのか?」
「鍾会はそんな危ない橋を渡るまい。
だが、それを考える将が他にいてもおかしくはない」
「しかしいたとしても小勢なのでしょう?
背後の城にも兵が詰めています。そうそう簡単に破られるとは思えません。
姜維さんの杞憂ですよ」
「……私もそう思う。考え過ぎだろう」
「また性懲りもなく魏軍が攻めてきたぞ! 連弩を浴びせるか?」
「連弩は最小限にし岩や煮え湯を落とせ。
撃退したら連弩を回収し、補修せよ。持久戦のため倹約に努める」
「望むところだ! 兵糧なら十年分は蓄えてある。
魏軍を何度でも撃退してやろうぜ!」
~~~魏 鄧艾軍~~~
「これが音に聞く蜀の桟道か……。
何が道だよ。崖沿いにぼろぼろの木で足場を組んだだけじゃねえか。
見ろよ、ちょっと踏んだだけでぐらついてやがる。今にも落ちそうだ」
「………………」
「……やっぱりどう考えても無理だぜ。
なあ大将、悪いことは言わねえ。今からでも引き返すべきだ」
「桟道切り抜け背後にルッキング、蜀軍出くわしすかさずドッキング」
「な、なんだって? 前から思ってたがアンタは何語をしゃべってるんだ?
吃音というか、外国語混じりで歌ってるだけじゃないのか?」
「重量オーバー足元バラバラ、重装オープン身体がラクラク」
「よ、要するに、ええと、装備を捨てて身軽になれと言ってるんだな?」
「古人は言ったこの橋渡るべからず、個人が言ったこの橋渡るべきです」
「どうあっても諦めるつもりは無いようだな……。
命令とあってはしかたねえ。武人の辛いところだ。
野郎ども! 桟道を踏み抜かないように、身体を軽くしろ!
甲冑は捨てて最低限の装備になれ!」
~~~蜀 胡済軍~~~
「くそっ! 野盗に襲われているうちに道に迷ってしまった。
すまない姜維、またお前を待たせてしまうとは……」
「こ、胡済殿。な、なぜ私を連れて行くのだ。
私は戦の経験など全くない文官だぞ。役には立てん」
「アンタは諸葛亮丞相の遺児なんだろう?
だったら悪魔のような神算鬼謀を受け継いでいてもおかしくないだろ」
「…………だ、大事なことを告白しよう。
わ、私は実は、諸葛亮丞相とはなんの血縁もないのだ!!」
「ああ、知ってる」
「知ってる!? で、ではなぜ赤の他人の私を――」
「丞相に直接関わった奴ならみんな先刻承知だ。
お前が丞相の子を騙る偽者だなんてことはな。
劉禅陛下だって面白半分で登用しただけだ」
「それなら早く帰してくれ! 私は戦えない!
私はただ丞相に『余と黄月英の末裔を名乗り劉禅を笑わせろ。
必ずや登用される』と吹き込まれただけの書生なんだ!」
「マジで丞相が一枚噛んではいたのかよ……。
そ、それはともかくだ。俺らはともかく民衆や将兵の多くは、
アンタが本当に丞相の子だと信じている。
そのアンタが前線に出張れば、彼らは勇気づけられるだろう」
「そ、そんなことのために危険な前線に……」
「丞相の遺児を騙ってさんざん良い思いをして来ただろうが。
少しはツケを払いやがれ!」
「そ、そんなあ……」
「ちきしょう! また野盗に出くわしたか。
お前や黄皓が政治をかき回したおかげで治安が荒れ放題だぜ。
だがここは俺が引き受けた。地形から見てもうじき綿竹関に着くだろう。
急いでそこまで逃げ込め!」
「し、しかし……」
「つべこべ言うな! さっさと行きやがれ!!」
「ひいいっ!!」
~~~魏 鄧艾軍~~~
「こりゃあ流石に無理だ。
ものの見事な断崖絶壁。垂直に切り立ってて、足を掛ける場所さえ無い。
斥候の話じゃ、ずっと崖が続いて回り道もできないそうだ。
こんなの絶対無理だっての。なあ、大将だってそう思うだろ」
「………………」
「え? 毛布なんか出させてどうするつもりだよ。
自分がくるまって、それを縄で何重にも縛らせて……。
おいおいおいおい。
何をする気かわかっちまったよ。正気か大将……」
「山あり谷あり俺らの人生、山下り谷下り越えるぜ万歳」
「ど、どうなっても知らねえぞ。
お前ら聞いてたよな? お、俺は大将の命令だからやるんだぜ。
ちゃんと証人になってくれるよな?」
「迷わず投げろよ鄧艾投擲、毛布にくるまり谷底ゴロゴロ、
下りれぬ谷底鄧艾投棄、とっくにできてる決死の覚悟」
「あ、アンタがやれって言ったんだからな?
恨むんじゃねえぞ……。うおおおおおおっ!
行けええええっ!!」
「………………ッ!!」
「ど、どうだ無事か?
は、ははは……。う、動いてるぜ。
生きてやがるぜ。なんて奴だよ……。
や、野郎ども! 大将に続くぞ!
あの人にできて俺たちにできねえ道理があるか!?」
~~~蜀 永安~~~
「こんな夜更けにどこに行くつもりだい、閻宇さん」
「ギクッ! こ、これはザマスね、
いわゆる姜維の援軍に出かけようと思ったザマして……」
「夜中に? たったの100人ぽっちで? 家財道具や金目の物を担いで?
副官の俺に相談もせず? 声も足音も忍ばせて?」
「ギクギクッ!!
て、敵を騙すにはまず味方からという考えザマスよ」
「はあ……。別に逃げるのは構わないし、気づいたからいいけどさ。
面倒だから先に言っておいて欲しかったな」
「つ、次からは気をつけるザマスよ」
「……いちおう言っておくけど姜維将軍の援軍に行くなら西だよ。
そっちは東。逃げるんじゃなくて呉に亡命するつもり?」
「ギクギクギクッ!!!
ええと、今日は西の方向がちょっと運勢が悪いザマスから、
いったん東に向かってから西へ回ろうと……」
「都にチクったりしないから安心しなよ。
この永安ごと呉に寝返ったりしなかったことは評価してる。
兵も残してくれたし、まあ後は俺に任せて」
「…………すまんザマス」
「野盗がはびこってるから気をつけて。
あと200人くらい護衛を増やしたほうがいいよ。後から送っとく」
「…………面目ないザマス。
健闘を祈ってるザマスよ。では、達者でいるザマス!」
「……いてもいなくても同じような大将だったけど、今日から俺が責任者か。
蜀の滅亡も避けられそうにないし、気が滅入るよ……」
~~~魏 鄧艾軍~~~
「つ、ついちまった……。
あの地獄の一丁目みてえな蜀の桟道を越えて、本当に敵の城まで来ちまったぜ」
「ここで終了? ここから登頂。全てが始まり全てが終わる」
「あ、ああ。そうだな、まだ安心はできねえ。
いよいよここからが本番だ。
だがどうするよ? 途中で何人も脱落して、今や俺らは1千足らずの小勢だぜ」
「山中散らばり揚げるぜ軍旗、参上俺たち上げるぜ歓喜」
「な、なるほど。山のあちこちで旗を押し立て鬨の声を上げ、
俺らの数を何十倍にも見せかけるんだな。
よ、よし。やってやろうぜ! あの決死行と比べりゃ城攻めなんて屁でもねえや!
まずはこの江油城を落とし、続けて隣の楽城を落とす!
行くぜ野郎ども!!」
~~~蜀 江油城~~~
「ななななななんの騒ぎだ!?」
「あっ! お前負けそうだからって盤を引っくり返したな!
この卑怯者め!」
「そそそそそそれどころではない!
い、今のは鬨の声ではなかったか!?」
「そんな馬鹿な。魏軍は姜維が剣閣で食い止めてるんだぞ。
こんな後方に敵が現れるわけないだろ」
「ききききき聴いたか!?
今のは絶対に銅鑼や鉦の音だ! 敵だ! 敵襲だ!」
「だから蜀の桟道を越えて魏軍が現れるわけないっての。
酔っぱらいの喧嘩か何かだよ。
それよりもう一局やろうぜ。また盤を引っくり返したら今度は容赦しな――」
「………………」
「………………」
「ぎゃあああああ!!
だだだだだ誰かいる! 青い! 青いぞ!
敵だ! 魏軍だ! 敵襲だ!!」
「へ…………?」
「兵の抵抗も大したことなかったが、守将はもっと酷いな。
のんきに碁なんて打ってやがる」
「蜀軍ショッキング、魏軍にドッキング、
ここから始まる鄧艾クッキング、ここらでちょっくら休憩パーキング」
「ななななななんだ!?
なんと言ってるんだ!?」
「要するにお前らは完全に包囲されてる、
おとなしく降伏しろってことだ」
「みみみみみ見ろ!
周りの山のあちこちに魏軍の旗が…………。
おおおおお終わりだ! 蜀の滅亡なんだ!!」
「とととととということは、わ、私の楽城ももう陥落したのか!?」
「あ? ……ああ、そうだな。とっくに陥落してるぜ」
「こここここ降伏する! 降伏します! 降伏させてください!」
「わわわわわ私もです! 降伏させてくれたらなんでもします!」
(やれやれ。蜀が滅びる理由がよくわかるぜ……)
~~~蜀 成都~~~
「江油城と楽城が落ちただと!?」
「馬鹿な! いくらなんでも早すぎる!」
「剣閣はまだ姜維が守っているのだろう?
魏軍は蜀の桟道を抜けてきたというのか……?」
「だが桟道を抜けられる程度の小勢になぜ城が落とされるのだ。
永安の閻宇も何をしているのだ!」
「ぼくちんにも何が何やら……。
ただ星を見ても、各地の弟子たちの話からも、情報は確かなようです」
「……魏軍はもう綿竹関にも迫った頃合いか?」
「はい。綿竹関に向かっていた胡済将軍は野盗の群れに囲まれ消息不明、
諸葛瞻は綿竹関に入りましたが、実戦経験のない彼にどこまでできるか。
だいたい偽者ですし」
「この成都に魏軍が迫るのも時間の問題というわけか……」
「……陛下にはこのことは?」
「まだ話せてません。
最近は黄皓を筆頭に宦官が陛下の周りをがっちり固めて、
近づけもしない有様ですし……」
「しかし事ここに至っては判断を仰がずには済むまい。
黄皓を力ずくで排除してでも――」
「黄皓ならもう逃げたよ」
「うひゃああああ! へ、へ、陛下!?」
「な、なぜ床下から陛下が!?」
「ほら、前に蔣琬が玉座の裏に掘った抜け穴だよ。
軍議場に通じてたんだね。よっこらしょっと。
ふう、久々に宮廷から外に出られたよ」
「陛下……もしや我々の話を?」
「うん、聞いてた。
黄皓にブロックされてる間に大変なことになってたんだね」
「黄皓は逃げたのですか?」
「朕をディフェンスに定評のある宦官に包囲させて、その隙に自分だけね。
保身と欲の塊みたいな人だったよね~。見てて飽きなかったな」
「……ご決断ください陛下!
魏軍の魔の手は目前に迫り、我々はもはや風前の灯に――」
「うん。降伏しよう」
「こ、降伏ですか……」
「だって絶対に勝ち目ないじゃん。
魏軍に勝てるのは姜維だけなのに、もう姜維が戻るのは間に合わない。
朕は無能だし、満足に戦える将もいないから時間稼ぎも無理。
降伏するしかないって」
「…………無念です!
我々の力が至らなかったばかりに!」
「みんなはよくやってくれたじゃん。
わしは遊び呆けてただけだけど、これまで国を滅ぼさずにがんばってくれた。
今度はわしがみんなを守る番だね。
うまく魏に取り入って、これ以上の犠牲は出させないよ」
「陛下…………」
「降伏文書は譙周が書いてくれるかな。
今まで無能なわしに尽くしてくれてありがとう。
本当に楽しかったよ。わしは蜀に生まれて幸せだった……」
~~~蜀 剣閣 姜維軍~~~
「そうですか……成都が……」
「ちきしょう!! 俺達の戦いはいったいなんだったんだ!?」
「……全ては僕の責任だ。
蜀の桟道を抜いての奇襲を予見しながら、対策を打てなかった。
いや、打たなかったんだ。僕の油断が蜀の滅亡を招いた」
「なぜ、思うように采配を振るわなかったのですか?
そもそも漢中を捨て、剣閣に籠城する策も消極的に過ぎました」
「僕は……怖かったんだ。
戦えば戦うほど、丞相の偉大さがわかった。
僕は失敗してばかりで、何もできなかった。
まるで眼を開けたまま空を飛ぶ夢を見ているようだった……」
「相変わらず何を言ってるのかよくわからないが……。
姜維、お前は馬鹿だ。
俺達はお前を認めていた。お前の命令ならどんなことでも従った!
お前の思うままに、戦えば良かったんだ!!」
「……これがあなたの選択なら、私達は後悔していませんよ。
でも、他ならぬあなた自身が後悔しているようだ」
「そう、何者も僕の世界を変えられなかったんだ。
僕はこの世の全てが僕を追い詰めるためにあるように思っていた。
錆びつけば二度と突き立てられず、つかみ損なえば我が身を裂く、
刃に似た誇りに、僕は苛まれていた……」
「そ、それでとにかくどうするんだよ。
魏からの降伏勧告を受けるのか? 早く返答しないと攻め込まれちまうぞ!」
「受け入れるしかない。
だが……僕は諦めない」
「姜維さん…………」
「君達は陛下を守ってくれ。
僕は……もう手遅れだけど、今から僕は、僕の戦いを始めようと思うんだ」
~~~~~~~~~
かくして蜀は滅びた。
だが姜維の戦いは終わらない。
命を賭けた最後の戦いが始まろうとしていた。
次回 一二一 姜維の戦い