遠隔思案
誰かかから誰かに向けたメッセージ
誤字は仕様
今回俺は君たちの前に直接姿を現す事は出来ないようだ。そこで次善の策として、こうして文字を記している。無事君たちの手にこの文書が渡ればいいのだが…まあ、必要があれば必ず手に取る事になるだろうし、必要なければ届かないだろう。
この文書がPCからのプリントでも手書きでもないのには、相応の理由がある。紙面に、早級に文字として書き込む必要があったのだ。しかも、一見して俺が書いたのだとわかってはならない。だからこうして、タイプライターなんて旧式の装置を引っ張り出してアルファベットでポチポチ打っているわけだ。…いや、こうして"都合よく"タイプライターがあった事からして、これはあの忌々しい神に仕組まれた事なのかもしれないば。物語に関わろうとすれば、俺の言動は望むと望まざるとに限らず、神の思うように動かされる。俺は神を知覚しているからこそ、神に逆らう事は出来ない。物語の主要人物たる君たちに関わるというのは、すなわち物語に関わるとう事だ。物語に関わらない限り、とっさに不本意な事をする羽目になる事はない。だが、俺が望まずとも、その方が都合がよければ俺は関わってしまう。俺の都合ではない、神の都合だ。そして、その逆もまたしかり。俺が何を知って何をしようとも、神にとって都合の悪い事象は引き起こす事が出来ない。
いや、考察をしていては幾ら紙幅があっても足りない。そろそろ本題に入ろう。
君たちはもうあの最悪に遭遇してしまっただろうか?最悪の最厄…神になり損なった狂人、今回の君たちの敵だ。君たちがアレに遭遇する事だけはわかっている。その結果はわからないが、この物語を操る神はバッドエンドを好まない。そう悪い事にはならないだろう。正し、それは君たちが主人公であった場合の話だ。まかり間違ってアレが主人公だった場合、君たちは、悲惨な結末を迎える可能性がある。主人公補正というやつだ。神の加護と言い換えてもいい。単なる加護と違うのは、最終的には良い結末を得られるとしても、そこまでの間にドラマチックな展開を求めて不幸や苦痛がもとらされる可能性がある事だ。主人公には、それに相応しいだけの苦難が訪れる事になる。
物語の視点主が即ち主人公という訳でもない。共感の得られやすい人物か、或いはその状況を最も効果的に表現できる人物、そのどちらかが視点主に選ばれる事が多い。誰の視点でもない、いわるゆ神の視点、というものになる事もあるが…まあ、何れにしても主人公が視点主ではわからない。
いや、よく考えればこの物語のジャンルによっては、主要人物であっても無事生き残れるとは限らないのだ。ホラーであれば、主人公以外全滅、という事だってありうるだろう。その逆もあり得るが。
俺からできる助言は一つ。己を見失うな。不本意な行動を取る事があれば、君たちは望む結果を手に入れる事が出来なくなるだろう。ベストエンドを望むのならば、君たちは手を尽くさねばならない。何があっても諦めず、望みを叶えるための努力をしなければならない。
この世界において、例え主人公でも成功が宿命付けられているとは断言できない。運命の神は気まぐれで捻くれている。いや、面白い事だけを求めている、というべきか。物語は神の誤楽だ。それが登場人物にとって幸いであるかなど考慮されない。俺たちにとって面白い事と神にとって面白い事は必ずしもイコールではない。神とは超越者の事であり、人から成った者ではあるが、神へと至る事ができるような人間が普通の人間と同じ思考、同じ視点を持っているわけはない。只の人では神には成れない。良かれ悪しかれ人並み外れていなければならない。だから、神に媚びてはならない。態と怒りを買うような事をするのも愚行の極みだが、その望みを図ろうとするのもまた愚かな事である。神足れない人間に神を理解する事は出来ない。事によっては、俺の様に物語上で神の思う通りに動く事しか出来ない駒になってしまうだろう。神の望んだ物語を裏切る事は困難だが、駒になってしまわない限りは可能性は零ではない。
だから、己を見失ってはならない。何があっても己の望む結末へ辿りつくために手を尽くさねばならない。
願わくばこの文書が俺の想定する君たちの元へとどかん事を。まかり間違ってアレに届いていたら目も当てられない。