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織姫は普段から、なにかと彦星を気にかけてくれる。
今回の大空の実験のことだってそう、それを聞きつけてわざわざ必死に引き止めに来てくれたのだ。普通の先生なら、知っていたって放っておくだろう。それどころか理事長や校長なら嬉々として駆けつけ問題行動を起こしたと騒ぎ立てて懲戒処分にもしかねない。なのに彼女ときたら、心の底から本気で心配して駆けつけてきたのだ。信じられないお人よしである。
まあ、それは彼女が心優しい保健室の先生だからだろうし、特別な感情があるわけではないだろう。だが、それにしたって、自ら世話を買って出るなんて人が良すぎなじゃいだろうか? 普段からぼーっとしてて危なっかしい彼女の事だ、こんなふうにあっさり男に引っかかることも少なくないんじゃないか。
と、彦星は思ったが、まあ世話さえしてくれればなんでもいいのでそこら辺の事は気にしないことにした。
「というわけで。今日から先生は私の家で預かりますね」
保健室に戻った織姫は、彦星を抱っこしたまま、嬉しそうに言う。
「一人で暮らせるから大丈夫だよ」
苛立たしげに舌打ちする彦星だったが、
「でも先生? その背の高さだと自分で食事の用意もできませんし」
「食事はいつもコンビニ弁当だ」
「だめです、体に悪いですよっ! ちゃんと栄養のあるものを作ってあげますからね?」
「コンビニ弁当に野菜ぐらい入って」
「いーから、これは命令です」
め、と子供を叱る様に、織姫が言う。
彦星はこれ以上なにか文句を言っても押し切られると思い、渋々、彼女の家で暮らすことを承諾した。まあこの体で今までと同じように暮らすのは確かに難しいだろうし、コンビニで酒も買えないだろう。自分で変えないなら織姫に買ってもらうしかない。
「わーったよ、ったく」
「それにしても、どうやったら元の姿に戻るんでしょうね」
「さーあなぁ」
どうせロクでもない方法なんだろう、と、今はそれしか考えられなかった。
結局その日は体調不良で早退ということにして、放課後までずっと保健室で寝ていた。
そして授業が終わり、生徒も職員も帰った頃、織姫に連れられて彼女の家へと向かった。
織姫の家は広めのワンルームマンションで、女の子らしいインテリアですっきりまとめられている。彦星の家はと言うと四畳半一間のボロアパートで競馬の雑誌やコンビニ弁当のかすで部屋が埋め尽くされていて、自分以外の人間が入る余地もない。まあ、実際、わざわざ家に来るような友人もいないのだが。
「好きに使ってくださって構いませんからね」
織姫が優しく微笑む。
「お、おお。まあ、ゆっくりしてやる」
今まで女性と付き合ったことがないわけではないが、付き合った女性はどれも自分と似た感じか、後は恋人というより肉体関係だけのドライな関係だったりで、正直、こんないかにも女の子という部屋に入ったことはなかった。それに気づいた途端、気恥ずかしさでどこに身を置いていいのかわからなくなってしまった。
なので、とりあえず、ベッドに腰掛けた。
「あ。先生、今日の晩ご飯はオムライスですけどいいですか?」
「な、なんでもいーよ別に」
「わかりました。じゃあ、ちょっと待っててくださいね」
そうして織姫は笑顔で台所に向かった。
織姫の作ったオムライスはコンビニ弁当より遥に美味しかった。まあ、当たり前なのかもしれないが……正直、彦星はこれまで手料理というものを食べたことがなかった。そんな機会がなかったのもそうだが、作ってくれる人がいなかったのだ。恋人だって割り切った関係で、そんなにこまめに世話をしてくれるような人間じゃなかったし、親だって――
「美味しいですか、先生?」
突然声を掛けられて彦星はむせ返った。
「すいません、大丈夫ですかっ?」
「うるせえ、急に声かけんなっ」
「ご、ごめんなさい。だっておしゃべりしながらお食事した方が楽しいかと」
「楽しくねえよっ!」
「そんなことありません、楽しいですよ!」
織姫は真剣な顔して訴える。
全く面倒くさい、と彦星は舌打ちをした。
「っつーかよ、お前なんで俺の世話なんかする気になったんだよ。なんもでねぇぞ。むしろ借金してんだけどな」
「だって先生、かわいいんですもん。それにその体で一人で生活するのはしんどいでしょう? お買い物だって大変でしょうし」
「まあ、そうだけどよ」
「大丈夫です。ちゃんとお世話して差し上げますから、任せてください」
織姫はうふふっと笑い、自分のオムライスをすくって彦星の口に放り込んだ。
本当になんで、こんなことに……織姫の行為が気恥ずかしくて、彦星はぷいっと顔を逸らした。
「あ。お食事終わったら、お風呂に入りましょうね? 任せてください、隅々まで洗って差し上げますから!」
「あーそう、もうなんでもいいよ。って、風呂っ?」
いやいや、風呂はさすがにまずいだろう?
そうツッコミを入れたかったが織姫は食べ終わった皿を回収し、鼻歌を歌いながらキッチンに入って行ってしまった。
「いや。さすがに、冗談……だろ?」