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 見開かれたパープルの瞳から、みるみるうちに涙が溢れ出てくる。

 あんなに気丈そうな人が泣く姿は、その時のぼくにはあまりにも衝撃的だった。

 ぼくは何を言っていいのかわからず、伸ばすか伸ばさないかのところで、ただ手を戸惑わせることしかできなかった。

「立てよ」

 ぼくの後ろで、マルシェさんがきっぱりと言った。

 その声に答えるように、フランさんは急に立ち上がり、ラボの中へ駆け込んでいく。

「どうして早く言わなかったのよ!」

 後を追って飛び込んだぼくの目の前で、フランさんが泣き声交じりに叫んだ。

 睨みつける先はロストさんだ。ロストさんは笑みを消し、そして黙って首を横に振った。

「キヨハルの願いだ。君には秘密にして欲しいと」

「何よそれ! 女には教えられないってこと!? 私はただの飾りじゃないのよ! 弱くないの!! あの人なんで……そんな大切なことを……!」

「フラン、君を愛していたからこそだ。恐らく、君には自分が兵器として造られた人間だと知られたくなかったんだよ」

「知ったからって信じるとでも思ったの!? 嘘だって、また能天気なバカ話してるんだって、そう思うに決まってるじゃない! 恐れたり嫌いになったりなんか、するわけないじゃない……っ!!」

 フランさんの瞳からまた涙が溢れ、そして言葉が飲まれた。

 手のひらに顔を埋め、フランさんがその場に崩れ落ちる。

「神に愛されたあの人を……誰が嫌うっていうの……」

 指の間から、くぐもった泣き声が漏れた。

 ロストさんはフランさんに歩み寄り、そっとその肩をさする。

「あの人はいつもそうよ。笑顔でごまかして、何もかも一人で抱え込んで……私たちは何なのよ……結局あの人のお荷物だっただけじゃない……! 私だってあの人を……支えていきたかった――!」

「君は十分キヨハルを支え、救ったよ。考えてごらん……何千年もの時を生きたキヨハルが、一度でも自ら命を絶とうと思ったことはないと思うかい? しかし、キヨハルは生き続けた。それを止めたのは、君の存在だったのだろう」

 優しく語りかけるロストさんに、フランさんは少し震え、首を横に振った。

「私だけじゃないわ――あの人は、皆を愛していた」

 震えた擦れ声が消える。その後声を漏らすことなく、フランさんは泣き続けた。

 しばらくフランさんを慰め、そしてロストさんが体を起こす。

「さて……他に私に聞きたいことは、あるかな?」

「あんたは何者なんだ?」

 間髪いれず、またヴォルトがきっぱりと問いかけた。

「何千年もの時の記憶を――なぜそう簡単に語れる」

 真っ直ぐに見据えるヴォルトの視線に、ロストさんはふと目を細める。

「私は……私自身にも謎が多くてね。ひとつ言えるのならば……私は時に帽子をかぶせる者」

 ロストさんはそう言って、頭の上のシルクハットを指さした。

 その意味がわからないようで、ヴォルトは顔を顰める。ヴォルトがわからないということは、もちろんぼくもわかっていない。

 その時、ぼくらの背後で靴音が響いた。

「キヨハルの遺体は、ロストによって保存されている」

 ぼくらに歩み寄りながら、マルシェさんが言った。

 思わず耳を疑うような言葉に、ぼくは振り返る。遺体を、保存?

「一体どうやってそんなことをしているのかはわからないが――キヨハルが死んでから今までの間、ずっとキヨハルの体は腐敗していない。俺たちがロストに頼んだんだ。キヨハルの遺体を、この姿形のまま永遠に保存して欲しいってな……。帽子屋は、そういう仕事だ」

 マルシェさんはそう言うと、「まだ謎ばかりだけどな」と無精ひげの生えたあごを撫でた。

 まさかそんな、信じられない。

 そんな気持ちが表情に出ていたのか、ロストさんがクスッと小さく笑った。

「不思議な能力を持った、フランやマルシェのような人間が居る。そして感情を持ったロボット、君たちが居る。何千年もの時を生きた、キヨハルが居る――ならば、私のような存在があっても、おかしくはないとは思わないかい?」

 ロストさんはそう言って、オッド・アイをニッコリと細める。

 何だかうまく丸め込まれたような気がしたけれど、信じられないような事実を次々に聞かされたぼくには、それがもっともな言葉のように思えた。


 声を押し殺して泣き続けるフランさんが落ち着くまで、その場でぼくらは黙っていた。

 やがてフランさんが自分から立ち上がり、「ごめんなさい」と呟いた後は、一人でセンターのどこかへ消えてしまった。

 おそらくキヨハルさんの側に行ったのだろうと、ぼくは思った。

「お前らも、そろそろ帰れ」

 マルシェさんが短くなったタバコをくわえたまま、腕時計を見て言った。

 その言葉に、ぼくはずいぶん長い時間この場に居たことに気づいた。ぼく自身はそんなに時を感じていなかっただけに、まるで何かの魔法にかかったかのように思えた。

 ヴォルトはまだ少し何か不満げだったが、ぼくがそっと覗き込むと、一人で扉へ向かって歩き出した。

 ぼくはその後を追いつつ、もう一度だけ振り返る。

「あの」

 どうしても気になることがあって、ぼくは小さく呟いた。

 ロストさんがシルクハットを直していた手を止め、ぼくをじっと見据える。

 何度見ても不気味に思うオッド・アイに少し怯んだが、ぼくは問いかけた。

「さっき見た、二番目の子供の記憶……あれは、一体誰の」

「わかっているんじゃないかい?」

 ロストさんがすぐにそう返し、ニッコリと笑んだ。

 その言葉に、ぼくは思わずドキッとする。そうだ、薄々だけど、わかっていた。

「公司長、ギルバート=アリックス。彼のものだ」

 ロストさんがきっぱりと言った。やっぱり――思ったとおりの返事だった。

 それが、ぼくらを造り出した、お父様の……本当の名前。

 ……なるほど、自らの分身――GXか……。

 ぼくの中に、古い記憶のデータがよみがえる。

 押し寄せる恐怖に潰されそうになりながらも、助けを求め、キヨハルさんに必死に伸ばした手……どれほどの憎しみを、どれほどの恐怖を、お父様は暗闇の世界で感じてきたのだろう。

 ぼくは顔をうつむかせ、恐る恐る口を開いた。

「お父様……公司長は、悪というべきなんでしょうか。それとも……――」

 呟くようなぼくの小さな声に、ロストさんはすぐに返事を返さなかった。

 マルシェさんとロストさんの黒い靴だけが、ぼくの視界に映る。

 少しの間の後、ロストさんの長いマントが、ゆっくりと揺れた。

「……かつて、ギルバートは自分たちを造った人間たちを悪と憎んだ。しかしもしそうでなかったら、人間を親として慕ったかもしれない。それを決めるのは、君たち自身なのだよ」

 まるでキヨハルさんのように、優しく微笑みかけるような言葉に、ぼくはうつむいた顔を上げることはできなかった。


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