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唐突に、体がぐっと後ろに引っ張られた。
古ぼけたキヨハルさんの写真が遠ざかる。かと思ったら、また目の前が真っ暗になった。
ぼくは瞬きをし、目を擦る。まぶたを開けているのに、今度は何も見えない。
ぼくは頭の中を混乱させたまま、ただ暗闇を途方もなく見回した。
今のは、一体なんだったんだ……!? あれが本当に2000年も前の地上世界だとしたら、どうしてキヨハルさんが指名手配なんかに……――
だってぼくは現にあの人を見た! あの人と同じ時を生きた人にも会っている!
このデータがクラッシュしていたのだろうか? まさか、これはシオンのデータだ。ぼくらGXが重要なデータを壊すわけがない。
特に、お父様に忠実なシオンだからこそ、そんなことはありえない――
その時、また頭の中で何かが弾けた。
パチンパチンと何かが音をたてていく。それと共に徐々に大きくなっていく耳鳴りに、ぼくは思わず耳を押さえた。
キン、と頭の中が張り詰める。気持ちの悪い感じに、ぼくは目をつむった。
まるで脳を圧迫されるような感覚の中で、ぼくのまぶたの裏に擦れた映像が流れ始めた。
半分砂嵐にかかったような画面……途切れ途切れになっていて、よくわからない。
音はない。色もない。ただわかることは、同じ洋服を着た、多くの少年、少女が居る。
学校……――? いや、違う、これは一体……。
擦れた画面に映る、怯えた表情の子供たち。映像の視線が上がった。背後には廃れたビル――あの街か。
その時、子供たちの背後で大きな爆発が起こった。音こそはしないが、突然映像が揺れ、太った煙が立ち昇る。
子供たちが逃げ始めた。叫び、泣き、ぼくのほうへ向かってくる。
しかしその背後で、またいくつもの爆発が起こった。爆弾が宙を飛び、それが子供たちの群れへ落ちる。
逃げて!!
ぼくはとっさに口を開いたが、声は出なかった。
まぶたを開いても、映像が流れ込んでくる。
逃げ惑う子供たち、あちこちで起こる爆発、飛び散る、人――――
ぼくは思わず口を覆った。思い出される自分の過去の過ちが、映像と重なる。
血が――真っ赤な――廊下――お父様……――!
やめろ……! もういやだ……いやだ!!
子供たちがぼくを通り抜けていく。
ぼくは擦れた映像の中で、気づけばうずくまっていた。
頭が痛い……! もういやだ、これ以上見たくない……!
助けて――助けてよ――キヨハルさん……――!!
――……キヨハル さん――……?
顔を上げたその瞬間、突然映像が途切れた。
そして突然、ぼくが落下し始めた。足元が何もなくなり、体ごと猛スピードで落ちていくのを感じる。
地下世界へ移動しているのか……風を感じる――落ちていく。深い闇の底へ。
ぼくは叩きつけられる感覚もなく、ただ体が止まったのがわかった。
小さな無数の気配がする……辺りに人の気配を感じ、ぼくは恐る恐るまぶたを上げた。
子供たちだ。さっき、何人か目にした顔が、不安げな表情で薄暗い暗闇をうろついている。
ぼくはうずくまっていた。ほんの少しの明かりを頼りに、ぼくは明るいほうへ歩み寄る。
――音のない世界で、僕は初めて動くその人を見た。
軽くこぶしに握った手から薄明かりを漏らし、キヨハルさんが子供たちの中心に居た。
アンダーグラウンドのセンターで見たあの穏やかな笑顔を子供たちに向け、「大丈夫だよ、心配ないよ」と語りかけているように見える。
子供たちは競うようにキヨハルさんに擦り寄り、そして頭を撫でてもらっていた。
ぼくも近づこうとした。あの人に近づけば、この恐怖と不安がなくなるような気がした。
しかし、ぼくが手を伸ばしたその時、突然また画面が揺れた。
フッと明かりが消え、辺りが闇に包まれる。
揺れが続く中、誰かが、ぼくの腕にしがみついてきた。小さな手だ。
ぼくはとっさに目を暗視用に切り替えようとしたが、データの中のせいなのか、それができなかった。
ぼくの周りで、大勢が揺れ動く。その中で、再び明かりが灯った。
キヨハルさんだ。今度はぼくの近くへ移動し、まるでヴォルトのように、指先から小さな炎を出している。
子供たちがまたキヨハルさんのほうへ駆け寄り始めた。
ぼくの腕を、誰かが引っ張った。さっきぼくにしがみついていた子だ。
その子が振り返った時、ぼくは驚いた。
ティーマだ。色もわからないし、髪は短いが、間違いない。顔立ちも、まん丸の目も、そっくりだ。
しかし、ぼくの知っているティーマのように明るく笑ってはせず、今にも泣き出しそうなほど不安げに顔を歪ませている。
どうやら、「早く」とぼくに言っているようだ。ぼくは引っ張られるままに、その子についてキヨハルさんに駆け寄った。
揺れが治まり、キヨハルさんがまた子供たちをなだめていく。
その中で、気づけばぼくもティーマに似た女の子も、必死にキヨハルさんに手を伸ばしていた。
助けて助けてと、ぼくの口が動いているのがわかる。
キヨハルさんが、ぼくらのほうへ手を伸ばしてきた。
キヨハルさんの大きな手が、女の子の髪を撫で、そして次にぼくの頭を軽く撫でる。
ぼくが不安げに見上げると、キヨハルさんは「大丈夫だよ」と微笑み、屈めていた体を起こした。
キヨハルさんが、大きな手が遠ざかる。妙にそれが怖く感じ、ぼくは思わずその手を掴んで止めた。
キヨハルさんが再びぼくを見つめる。しかし、キヨハルさんは少し寂しげに微笑んだと思ったら、ぼくの手をそっと解いた。
そしてまた、「大丈夫だよ」と唇が動く。
キヨハルさんがぼくに背を向け、歩き出した。子供たちがその後を追っていくが、キヨハルさんは足を速める。
ぼくもキヨハルさんを追った。怖くて怖くてたまらなくて、どうしてその手を強く握っていなかったのかと、とても後悔していた。
キヨハルさんが遠ざかっていく。明かりが、光が、唯一の、希望が……――
おいて いか ないで …… !
パチン! と頬を叩かれたような衝撃があった。
ぼくははっとまぶたを上げた。目の前には、ロストさんが居た。
「これで私の役目は終わりだ」
明るい部屋の中で、ロストさんはニッコリと微笑んで懐中時計を回収した。
隣に目を移すと、ヴォルトも目を丸くして、何が起こったのかと唖然としている。
ぼくも何が起こったのかわからないまま、ただひとりでに腕から抜け、戻っていくコードを見つめていた。
「見てきたかな?」
ロストさんの問いかけに、ぼくははっと顔を上げた。
「今のは、何なんだ?」
ぼくの前に、ヴォルトが先に問いかけた。
ぼくも同じことを質問しようとしていた。ぼくらは黙ったまま、ロストさんの答えを待つ。
「君たちの兄弟が、最後に残した記録。君たちも気づいているんだろう、あれは過去の地上の記録だ」
思ったとおりの答えが返ってきた。やっぱり、あれは地上だったんだ。
あんなに廃れて――多分、あの街だけじゃないんだろう。それじゃあ、地上の人は、一体……?
「過去ってことは、今はどうなんだ」
ヴォルトがまたきっぱりと質問をした。
「さあ……時代は変わるからね」
ロストさんは曖昧な返事を返し、そしてぼくのほうへ目を移した。
まるで青赤の瞳に誘導されるかのように、今度はぼくが口を開く。
「キヨハルさんが居た」
ぼくから飛び出した言葉に、ロストさんが「ほう」と眉を上げた。
「一つ目の記録には、写真が……二つ目の記録にも……子供たちが、あの街から、逃げて……暗闇の中に、キヨハルさんが」
ぼくは動揺を隠せないまま、つっかえ気味に今見てきたものを思い出して告げた。
きっとヴォルトも同じものを見たのだろう。ぼくを見上げ、軽く頷いた。
そう……まるで記憶のようだった。何かが撮ったりしたものではなく、きっと、誰かの記憶なんだ。
キヨハルさんが大きく見えたということは、きっと……――
「そう。二つ目の記録。あれは、ある子供の記憶だ」
まるでぼくの考えを読んだかのように、ロストさんが答えた。
すっと上げられた包帯だらけの指に、ぼくは釘付けになる。
「彼らこそ、本当のアーティフィシャル・チルドレン。造られた子供だよ」
何のためらいもなく、きっぱりと告げられた言葉に、ぼくたちは目を見開いた。
本当の、アーティフィシャル・チルドレン……? 一体、どういう意味なんだ?
「キヨハルに頼まれていたのだよ。「いつか、このアンダーグラウンドに人でない二人の子供が来る。その時は、君の知っている僕のすべてを教えてあげて」と」
「……俺たちが来ることを、予知していたってことか」
「そう」
ヴォルトの問いかけに、包帯の巻かれた指を下ろし、ロストさんが頷く。
「さて……私の知っているキヨハルも、なかなか不思議なところばかりでね……信じてもらえるか、わからないが」
いいかな? と肩をすくめるロストさんに、ぼくらは黙って頷いた。
ロストさんがオッド・アイを細め、微笑む。そしてゆっくりと、語り始めた。
ぼくらの知らない 地上世界での
残酷で 不思議で とても信じがたい 真実を。