第26状態
ベッドの中でゆっくりと目を覚ます。
天井は、相変わらず空色だ。
時間によって変わるその色に染まらずに、雲もいくつか浮かんでいる。
よく寝れるようにということで、最近売り始めた機械を使っているからだ。
春風のような爽やかな風が、窓やドアを開けていないのにもかかわらず、部屋中を吹き抜けていく。
それを顔で感じながらゆっくりと背伸びをして、眠っていたベッドから起き上がった。
いつもと変わらない日が、いつもと変わらず始まる。
朝ごはんを食べている間、適当につけたテレビの占いを見ていた。
最新の3Dテレビで、メガネをなくても、3Dに見えるというテレビだ。
「今日は右足から玄関を出るといい…か」
あまり占いは信用していないが、たまにはそれに従ってみるっていうのも、面白いかもしれない。
制服を着て、カバンの中を――といってもノートパソコン1台だけなのだが――簡単に確認してから、家から15分ほどのところにある高校へ向かって歩き出す。
玄関を出る時に右足から出てみたが、これといって変わったところは何もない。
「ま、占いだからな」
すぐに変わるわけじゃないかと思って、学校へ向かって歩き出した。
登校路にしている十字路を左斜め向こうの方へと行くとき、ものすごい勢いの自転車が、俺の前を通った。
気付いた時には、自転車に俺の右足が引っ掛かってていた。
だが、自動的に宙返りをして、俺に罵声を浴びせてから、その人はどこかへと走って行った。
「なんだってんだよ、ったく」
悪態をついて、それから、歩き続けた。
あるいていると、いつも畑に水やりをしている泰斗さんの家の前を過ぎたあたりで、片側2車線の大きな道へ出る。
すると、道の向こう側に友人の谷屋が歩いているのが見えた。
どうしようかと考えている間に、谷屋は俺に気づくことなくどんどんと学校側へと歩いていく。
俺は何も言わずに学校で落ちあえるように歩きながら、どんどんと登校路を歩いた。
他の高校なら下駄箱がある位置にあるロッカーのところで、谷屋と俺は合流することができた。
すぐに俺に話しかけてくる。
「ちぃーっす、どうや」
「どうやって言われても、まあぼちぼちさ」
何を言っても騒ぐのは目に見えているので、適当にごまかしておく。
「そういやさ、聞いたか」
「何を?」
「今日さ、転校生が来るんだってさ」
「へぇ」
あまり興味なく、ロッカーのドアをバタンと閉め、教室へと上がった。
ロッカールームと廊下の間にある、全ての汚れを洗い落とすことができる靴掃除装置を通って、靴底や側面についた泥などの汚れを落としてから、そのままの足で教室と向かう。
教室へ行く途中で大半の人が、今日転校生が来ることを知っているようだ。
いつも以上にざわついている。
友達と話していると、チャイムが鳴り、先生がまず入ってきた。
「今日はまず、みんなに転校生を紹介する」
それから、名前を呼んだ。
ドアがからりと開くと、女子が入ってくる。
「矢形耶麻だ。みんなよろしくな」
先生が名前を言ってくれた。
それから先生は周りを見回して、空いている席を探す。
それは、俺から見て教室の反対側にある席だった。
「そこ、行ってくれ」
彼女とは、かなり教室での距離が離れてしまった。
すこし残念に思っている俺がいるのに、俺自身が一番驚いていた。
それから授業ごとに、彼女の方を見ていたが、横にいる女子と仲良く机を並べて勉強を受けているようだ。
俺はそれを見ていることだけしかできなかった。
昼休みになっても、すぐに女子同士仲良くなったようで、ご飯を誘うこともできずに、相変わらずの面々と一緒に昼飯を食べていた。
「んで、結局昼休みに、彼女を誘うことはできなかったと」
「そういうことだ。ま、仕方ないさ」
いつもと変わらない昼飯。
そこに、携帯からメールがやってきた。
「誰からだ」
谷屋が俺に話しかけてくる。
「ダイレクトメールさ、気にするな」
幸せを与えるための何とかと書いてあるスパムメールだ。
俺は谷屋にそれだけ言って、飯に戻った。
放課後になって、部活の時間となった。
谷屋と一緒に俺が入っているのは、科学部だ。
今や一般的となった液晶ホログラフィを使った3Dソフトの開発なんぞを、10年も昔の先輩から引きついでしている。
終わりがない作業ではあるが、いつの日にか終わりが来ると信じている。
「なあ」
谷屋がつまらなさそうにプログラミングの本を読みながら俺に言った。
「なんだよ」
軽快なタップを続けていたので、俺は、すこしムッとしながら問い返す。
「あの転校生。どうなんだ」
何も隠さずに、直球に聞いてくる。
「どうって、どういう意味なんだよ」
「そりゃ、一択だろ。お前があいつを好いているかって言うことさ」
「アホか」
一言でその意見は却下だ。
「なんでだよ」
「お前、一目見ただけの転校生にそんなこと言えるのかっていう話だよ」
「アリじゃねえの?」
俺は、突っ込む気力もうせて、再びプログラミングへ戻った。
そこへ、誰かが部屋へと入ってくる。
実のところは一瞬期待をしたが、見たとたんにそれも失せた。
「いつまでいるんだ」
「先生。もうちょっとです」
俺が顧問のイフニ先生へと返事をする。
担当は英語で、今年から赴任してきた先生だ。
謎が多い先生で、実は魔法使いじゃないかという説だってある。
「そうか、なら早めに済ませろよ」
もうすぐ帰る時間だっていうことで、先生がやってきたのだろう。
先生は、それだけ言ってから、カラカラと、来た時と同じようにドアを閉めて出ていった。
「で、あとどれくらいで終わる?」
「あと数分ってぐらい、キリがよくなるから。したら帰るか」
そして、俺は一気に今日の分を仕上げて、部活を終わらせた。
普通であれば下駄箱があるような場所にあるロッカールームにいると、転校生の彼女がいた。
「あれま、彼女がいるわ」
谷屋が俺が気づいてから言った。
「ああ、見えてるさ」
気にしないようにして、ロッカーのふたを手前に開く。
金属製の軽い扉は、音もなく開いた。
だが、ドキッとする視線を感じて、そちらに振り返ると、彼女はこちらを見ていた。
ニコッと微笑みかけると、彼女は何も言わず、顔を伏せて逃げるように帰ってしまった。
ちょっと残念に思っているところを、まるで心を見透かすように谷屋が俺に言ってきた。
「あーあ、にげちまったか」
「なんか悪人がいいそうな台詞だな」
「俺が悪そうに見えるか」
残念ながら見えるのだが、そんなことを言わずに適当に流した。
「今日もこれで終わりだなぁ」
歩きながら伸びをして谷屋に言う。
「まあな。これからどうするつもりだ」
バス停までの間は、こうやっていつも谷屋とだべっている。
谷屋はバス通学をしているからだ。
「勉強して夕飯食って、勉強して、風呂入って勉強して、パソコンして寝るかな」
実際には勉強せずにパソコンばかりをしているだろうとは思うが、それは問題じゃない。
勉強はそこそこできるからだ。
それよりも問題は、彼女のことだ。
「それで、彼女はどうなんだ」
そのことを見透かすように、谷屋はニヤニヤしながら声をかけてくる。
それを聞き流しながら、テレビのように、どのような方向から見ても立体視できる3次元携帯で、現在向かってきているバスの位置を確認する。
「もうすぐでバス停にバスが来るな」
そう言って、谷屋はカバンを前に持った。
「彼女のことなんて、これからさ」
俺はそう言ってから、一気にバス停に向かって駆け出した。