第25状態
ベッドの中でのんびりと背伸びをする。
天井は、本物の空と同じ色をしている。
さらに、天井のそばには雲もいくつか浮かんでいる。
よく寝ることができるという宣伝文句で、最近売り始めた機械を使っているからだ。
まるで春風のような爽やかな風が、窓もドアも開けていないのにもかかわらず、部屋の中を吹き抜けていく。
それを体で感じながら、もう一度ゆっくりと背伸びをして、それから、眠っていたベッドから起き上がった。
いつもと変わらない日が、いつもと変わらずに始まる。
朝ごはんを食べている間、適当にテレビの占いを見ていた。
最新の3Dテレビで、メガネをかけずに、どんな角度から見ても、どんな距離から見ても、飛び出しているように見えるというテレビだ。
「今日は右足から玄関を出るといい…か」
そう言われても、占いというあやふやなものは、俺は信じていない。
人生はなるようになるというのが信条だからだ。
だから今日は、玄関を出る時に偶然出した左足から始まった。
登校路として歩いている十字路を左斜め向こうの方へと行くとき、ものすごい勢いの自転車が、俺の前を通った。
はっと影のようなものに気付いた時には、もう目の前にいてひやりとする。
だが、別に足に引っかかることもなく、怒号を俺に浴びせて、そのまま急カーブを描いて道の反対側へと向かった。
「朝からついてねーなー」
俺はそう愚痴ると、再び一歩を踏み出した。
とたん、右側から激しい衝撃を受けて、何が起こったか分からない間に、雲ひとつない青空を見ていた。
俺の頭が正常に動かないまま、ぼんやりとした思考の中で、横からごめんなさいという声が聞こえてくる。
やっと体中を駆け回っていた衝撃が収まって、体の節々が痛みながらも上半身を起こすと、女子の顔が目の前に迫った。
焦って、慌てて数メートル離れようとするが、体が痛くて動けない。
「大丈夫ですか?」
その制服を見る限りでは、俺が通っている高校の生徒のようだ。
この子がぶつかってきた子なのだろう。
だけど、顔は逆光になっていて、よく分からない。
もしかしたら同じクラスの子かもしれないが、女子との交流があまりない俺には分からなかった。
「ああ、大丈夫です」
本当は痛くて痛くて仕方ないが、女子の手前、泣かないように、気付かれないようにしながらゆっくりと立ち上がった。
「本当に大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫ですよ」
かるく制服のズボンについていた埃をはたきながら彼女の前で強がってみせた。
「では、急いでるので」
彼女は俺にペコリとお辞儀をしてから、学校へと駆けって行った。
俺はそんな彼女の後ろを、ゆっくりと追いかけた。
あるいていると、いつも投稿する時間あたりに花に水やりをしている泰斗さんの家の前を過ぎたあたりで、片側2車線の大きな道へ出る。
すると、道の向こう側に友人の谷屋が歩いているのが見えた。
どうしようか考えていると、向こう側が気付いたようで、手を振っている。
俺も手を振り返していると、左右を確認してから、谷屋がこちらに来た。
やってきた谷屋が合流するとすぐに俺に声をかける。
「ちーっす、何ぼっちで歩いてるんだ」
ぼっちというのは一人ぼっちの略のことだ。
「そりゃ学校へ向かってるから歩いてるんだよ」
「そういや知ってたか」
「何をだよ」
「今日さ、転校生が来るんだってよ」
「そうなのか」
「そうさ、噂によれば、なかなかの可愛い娘らしいよ」
「へえー」
語尾を下がり気味に、俺は谷屋に言った。
「なんか興味無さ気だな」
「まあね」
俺はそう谷屋に返して、それから歩くスピードを速めて学校へ向かった。
玄関にあるロッカーと廊下の境界線上に10台ほど置かれている靴掃除装置を通って、靴底や側面についた泥などの汚れを落としてから、そのままの足で教室と向かう。
すでに大半の人が、今日転校生が来ることを知っているようだ。
どんな人が来るのかとか、どこから来るのかという話で持ちきりだ。
友達と転校生の話しを適当にしていると、チャイムが鳴り、先生がまず入ってきた。
「今日はまず、みんなに転校生を紹介する」
それから、名前を呼んだ。
「矢形耶麻だ。みんなよろしくな」
それから先生は周りを見回して、空いている席を探す。
「そこ、行ってくれ」
彼女に指示した場所は、俺のすぐ横の席だ。
ゆっくりとした足取りで、ごく自然な仕草で椅子へと腰を下ろす。
「よろしくな」
俺は彼女に話しかけると、コクンと恥ずかしそうにしてうなづかれた。
それから、先生は何事もなかったかのように、連絡事項を伝えた。
すぐ横に座ったからと思って、いろいろと話しかけている間に、昔の幼馴染のことを思い出してきた。
そう言えば、幼稚園の頃に別れてきりだ。
そんな懐かしさもあって、昼休み、誰もまだ声をかけない間に、俺は彼女を昼食へと誘う。
「どう、お昼ご飯って」
「いいよ」
誰かに聞かれる前に俺は答えを得た。
「それで、一緒に飯食ってるってわけか」
「そうさ」
「お邪魔してますよ」
彼女が谷屋に答える。
「いえいえ、どうぞどうぞ」
谷屋が珍しく腰が引き気味だ。
女子との会話というのに慣れていないのだろう。
もっとも自分も慣れていないが。
「俺は別の奴らと食うことにするさ」
そういって、俺にさらに谷屋は耳打ちをする。
「楽しめよ、二人きり」
「おいこらマテや」
だが、谷屋は聞こえなかったふりをした。
谷屋に何か言うよりも前に、彼女の声が聞こえる。
「じゃあ、たべようか」
「お、おう」
俺も、どうも本調子が出ない。
きっと腹が減っているせいだと考えて、さっさと弁当を食うことにした。
放課後になって、部活の時間となった。
谷屋と一緒に俺が入っているのは、科学部だ。
今や一般的となった、液晶ホログラフィを使った、3Dソフトの開発なんぞを、10年も昔の先輩から引きついでしている。
終わりがない作業ではあるが、いつの日にか終わりが来ると信じている。
「なあ」
谷屋がつまらなさそうにプログラミングの本を読みながら俺に言った。
「なんだよ」
軽快なタップを続けていたので、俺は、すこしムッとしながら問い返す。
「あの転校生。どうなんだ」
前置きもなく、直球に聞いてくる。
「どうって、どういう意味なんだよ」
「そりゃ、一択だろ。お前があいつを好いているかって言うことさ」
「アホか」
一言でその意見は却下だ。
「なんでだよ」
「お前、一目見ただけの転校生にそんなこと言えるのかっていう話だよ」
「アリじゃねえの」
俺は、突っ込む気力もうせて、再びプログラミングへ戻った。
そこへ、誰かが部屋へと入ってくる。
彼女だ。
「あれ、なんでここに?」
俺は思わず立ち上がって、彼女のところへと寄ってみる。
谷屋も、その場に立っていた。
「えっと、ここって、科学部だよね」
「そうだけど?」
俺はとりあえず、彼女に椅子をすすめながら、話を聞く事にした。
「私って、幼稚園のころに引っ越して、それ以来、寂しさを紛らわすために、趣味に没頭するようになったの」
「趣味って、どんなの?」
俺が彼女に聞く。
「もうちょっと踏み込んで言えば、趣味が研究だって言う話なんだけどね。親がね、物性科学の専門家だから、そういうものが好きになってたのよ」
「そうなんだ」
「それで、考えてみたんだけど、ここで開発を続けてるっていう液晶ホログラフィを、もう少し改良できると思ったのよ」
「ああ、あれか」
「別に入ってもいいよね」
「いいだろうさ」
いつの間にか座っていた谷屋が、俺が彼女に答えるよりも先に答える。
「顧問のイフニ先生に、入部届け出しといて。明日から、のんびりと部活に加わったらいいから」
「そうそう。どうせ俺らしかいないし」
「分かった、じゃあ、また明日ね」
彼女が笑顔で俺たちに手を振って、部室から、颯爽と出ていった。
「……いい娘だなぁ」
谷屋がボケーとして、その後ろ姿を見ていたから、軽く頭をはたいてやり、俺は再びプログラムを書きだした。