第21状態
ベッドの中でゆっくりと意識を取り戻す。
目を開けてまず見える天井は、いつものように空色だ。
そこには雲もいくつか浮かんでいる。
よく寝れるようにということで、ついこの間売られ始めた機械を使っているからだ。
春風のような爽やかな風が、どこの窓もドアも開けていないのにもかかわらず、部屋を吹き抜けていく。
それを顔で感じながらゆっくりと背伸びをして、眠っていたベッドから起き上がった。
いつもと変わらない日が、今日も始まる。
朝ごはんを食べている間、適当にザッピングをして落ち着いたチャンネルの占いを見ていた。
見ているテレビは最新物で、メガネをかけずに、どんな角度から見ても、どんな距離から見ても、飛び出しているように見えるという3Dテレビだ。
「今日は右足から玄関を出るといい…か」
あまり占いは信用していない。
だからこそ、占いを気にせずに、玄関を出た。
「左足か」
俺は左足から、今日の第一歩を踏み出した。
登校路にある十字路を左斜め向こうの方へと行くとき、車よりも速い自転車が、俺の前を通った。
気付いた時には、もう目の前にいてひやりとする。
だが、引っかかることもなく、怒号を多分俺に浴びせて、そのまま急カーブを描いて道の反対側へと向かった。
「朝からついてねーなー」
俺はそう愚痴ると、再び一歩を踏み出した。
とたん、死角になっていた右側から激しい衝撃を受けて、何が何だか分からない間に、きれいな青空を見ていた。
頭が正常に動かないまま、横から女子のごめんなさいという声が聞こえてくる。
やっと体中を駆け巡っていた衝撃が収まって、体の節々が痛みながらも上半身を起こすと、女子の顔が目の前に迫った。
焦って、慌てて数メートル離れようとするが、体が痛くて動けない。
「大丈夫ですか?」
その制服を見る限りでは、俺が通っている高校の生徒のようだ。
立ちあがって、俺の方に手を差し伸べてくれているが、その顔は逆光でよく見えない。
「ああ、大丈夫です」
本当は痛くて痛くて仕方ないが、女子の手前、泣かないように、気付かれないようにしながら、手を掴んでゆっくりと立ち上がった。
「本当に大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫ですよ」
かるく制服のズボンについていた埃をはたきながら彼女の前で強がってみせた。
「では、急いでるので」
彼女は俺にペコリとお辞儀をしてから、学校へと駆けって行った。
俺はそんな彼女の後ろを、ゆっくりと追いかけた。
あるいていると、いつも水やりをしている泰斗さんの家の前を過ぎたあたりで、お片側2車線の大きな道へ出る。
すると、道の向こう側に友人の谷屋が歩いているのが見えた。
どうしようか考えていると、向こう側が気付いたようで、手を振っている。
俺も手を振り返していると、左右を確認して、トラックを通してから、谷屋がこちらに来た。
「ちーっす、何歩いてるんだ」
「そりゃ学校へ向かって歩いてるんだよ」
やってきた谷屋が俺に声をかける。
合流してから、ほぼ同じ歩幅で再び歩き出す。
「そういや知ってたか」
「何をだよ」
「今日さ、転校生が来るんだってよ」
「転校生だってか」
「そうさ、噂によれば、なかなかの可愛い娘らしいよ」
「へえー」
語尾を下がり気味に、俺は谷屋に言った。
「なんか興味無さ気だな」
「まあね」
俺はそう谷屋に返して、それからちょっと歩くスピードを速めて学校へ向かった。
下駄箱のような所に置かれているロッカールームから、教室へとつながっている廊下の境目に置かれている靴掃除装置を通って、靴底や側面についた泥などの汚れを落としてから、そのままの足で教室と向かう。
すでに大半の人が、今日転校生が来ることを知っているようだ。
いつも以上にざわついている。
友達と話していると、チャイムが鳴り、先生がまず入ってきた。
「今日はまず、みんなに転校生を紹介する」
それから、名前を呼んだ。
「矢形耶麻だ。みんなよろしくな」
それから先生は周りを見回して、空いている席を探す。
「そこ、行ってくれ」
彼女に指示した場所は、俺のすぐ横の席だ。
でも、俺のことを、ちょっと見ているような気もする。
「よろしくな」
俺は彼女に話しかけると、コクンと恥ずかしそうにしてうなづかれた。
それから、先生は何事もなかったかのように、連絡事項を伝えた。
すぐ横に座ったからと思って、いろいろと話しかけている間に、昔の幼馴染のことを思い出してきた。
そう言えば、あいつとは幼稚園の頃に別れてきりだ。
そんな懐かしさもあって、昼休み、誰もまだ声をかけない間に、俺は彼女を昼食へと誘う。
「どう、お昼ご飯って」
「いいよ」
誰かに聞かれる前に俺は答えを得た。
それから谷屋が俺の横に座る。
「おう、彼女も一緒か」
静かに、立ったままで谷屋は俺たちに聞いた。
「お邪魔してますよ」
彼女が谷屋に答える。
「いえいえ、どうぞどうぞ」
谷屋が珍しく静かだ。
いつもなら、量子色力学とか、よく分からない話ばかりをするっていうのに。
「俺は別の奴らと食うことにするさ」
そういって、俺にさらに谷屋は耳打ちをする。
「楽しめよ、二人きり」
「おいこらマテや」
だが、俺の言葉は谷屋には聞こえていなかったようだ。
そして、さらに彼女の声が聞こえる。
「じゃあ、たべようか」
「お、おう」
俺も、どうも本調子が出ない。
きっと腹が減っているせいだと考えて、さっさと弁当を食うことにした。
放課後になって、部活の時間となった。
谷屋と一緒に俺が入っているのは、科学部だ。
今や一般的となった、いろんなところで使われることになった液晶ホログラフィを使った、3Dソフトの開発なんぞを、10年も昔の先輩から引きついでしている。
終わりがない作業ではあるが、いつの日にか終わりが来ると信じている。
「なあ」
谷屋がつまらなさそうにプログラミングの本を読みながら俺に言った。
「なんだよ」
軽快なタップを続けていたので、俺は、すこしムッとしながら問い返す。
「あの転校生。どうなんだ」
直球に聞いてくる。
「どうって、どういう意味なんだよ」
「そりゃ、一択だろ。お前があいつを好いているかって言うことさ」
「アホか」
一言でその意見は却下だ。
「なんでだよ」
「お前、一目見ただけの転校生にそんなこと言えるのかっていう話だよ」
「アリじゃねえの?」
俺は、突っ込む気力もうせて、再びプログラミングへ戻った。
そこへ、誰かが部屋へと入ってくる。
彼女だ。
「あれ、なんでここに?」
俺は思わず立ち上がって、彼女のところへと寄ってみる。
空気を察したのか、谷屋はちょっとトイレ行ってくるとだけ言い残し、心細い俺と彼女だけになった。
「なにか用なのかな?」
俺は彼女に聞いてみる。
「初めましてっていうよりかは、お久しぶりっていったほうがいいかもね」
彼女は俺に、間違いなくそういった。
何が何だか分からないため、俺は彼女に聞き返す。
「どういうこと」
「これ、見覚えない?」
彼女が俺に見せたのは、彼女の生徒手帳に挟まれた、古い一枚の写真だ。
おそらく彼女が幼稚園の頃の写真だろう。
だが、その写真の中で笑っている小さな彼女の横に見知った顔があった。
「もちろん、俺が幼稚園の年長の頃に撮った写真だな」
そこで俺はやっと気付いた。
「そうか、君か」
彼女は軽くうなづいた。
「名前だけで分からなかったのかしらね」
「引っ越したのは、もうずいぶんと前の話だろ」
「でも、覚えておいてほしいじゃない。昔はよく一緒に遊んだ仲なんだし」
「そうだけどさ…」
彼女は、俺との間合いをじりじりと詰めていた。
「昔から思ってたことがあるの」
「なに」
距離は1メートルもないだろう。
早く谷屋が戻ってきてほしいと願いながら、彼女の話を聞き続ける。
「小さなころ、私がまだ恋なんて言葉を知らなかったころから、私はあなたが好きです」
その告白は、俺の身構えていない心にストレートに響いてきた。
「でも、長い間離れていたんだから、その頃とは変わってるかもよ」
舌を噛みながら俺は、彼女に行ってみたが、彼女は首を横に静かに振った。
「いいえ、あなたは変わってない。だって、その笑顔に惚れたのだから」
自然と俺は笑っていたようだ。
そして、外でしっかりと話を聞いたであろう谷屋が、やっと部屋へと戻ってきてくれた。
「おう、お二人さん。お熱いこったで」
「うるせーぞ、外野が」
でも、俺は嬉しかった。
また、一緒に彼女といられる、それを考えるだけで、楽しめそうだ。