第17状態
俺は、ゆっくりと目を覚まし、さわやかな陽気の中、ベッドの中で背伸びをする。
天井は、いつものように水色だ。
空のように、雲もいくつか浮かんでいる。
よく寝れるようにということで、最近売り始めた機械を使っているからだ。
春風のような、透き通るような風が、窓を開けていないのにもかかわらず、部屋を吹き抜けていく。
それを顔で感じながらゆっくりともう一度背伸びをして、それから、眠っていたベッドから起き上がった。
いつもと変わらない日が、今日も今日とて始まる。
朝ごはんを食べている間、適当にテレビの占いを見ていた。
最新の3Dテレビで、メガネをかけずに、どんな角度から見ても、どんな距離から見ても、飛び出しているように見えるというテレビだ。
「今日は右足から玄関を出るといい…か」
あまり占いは信用していない。
だから、今回も適当に足を出すことにしようとした。
右か左かという2択ながらも、占いなんてどうでもいいと思っている俺は、左足が自然と前へ出た。
まあ、こんな調子だけど、なんとかなるだろう。
十字路を左斜め向こうの方へと行くとき、ものすごい勢いの自転車が、俺の前を通った。
気付いた時には、もう目の前にいてひやりとする。
だが、引っかかることもなく、怒号を俺に浴びせて、そのまま急カーブを描いて道の反対側へと向かった。
「朝からついてねーなー、占いの所為か」
俺はそう愚痴ると、再び一歩を踏み出した。
とたん、右側から激しい衝撃を受けて、何が何だか分からない間に、雲ひとつない青空を見ていた。
すぐそばに、カバンが落ちるドサッと言う音が聞こえてくるのが、やっと頭で判断できる。
頭が正常に動かないまま、横からごめんなさいという声が聞こえてきた。
やっと体中を襲っていた衝撃が収まって、体の節々が痛みながらも上半身を起こすと、女子の顔が目の前に迫った。
焦って、慌てていくばくか離れようとするが、体が痛くて動けない。
「大丈夫ですか?」
その制服を見る限りでは、俺が通っている高校の生徒のようだ。
逆光で、顔はうまく見えることができない。
「ああ、大丈夫です」
本当は痛くて痛くて仕方ないが、女子の手前、泣かないように、気付かれないようにしながらゆっくりと立ち上がった。
「本当に大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫ですよ」
かるく制服のズボンについていた埃をはたきながら彼女の前で強がってみせた。
「では、急いでるので」
彼女は俺にペコリとお辞儀をしてから、学校へと駆けって行った。
俺はそんな彼女の後ろを、痛い足を引きずりながら、ゆっくりと追いかけた。
あるいていると、いつも水やりをしている泰斗さんの家の前を過ぎたあたりで、片側2車線の道へ出る。
反対側の歩道を見ると、友人の谷屋が歩いているのが見えた。
どうしようか考えていると、向こう側も気付いたようで、手を振っている。
俺も手を振り返していると、左右を確認してトラックが通り過ぎてから、谷屋がこちらに来た。
「ちーっす、何歩いてるんだ」
「そりゃ学校へ向かってるから歩いてるんだよ」
やってきた谷屋が俺に声をかける。
谷屋がこちらに来た分、歩くスピードを緩める。
「そういや知ってたか」
「何をだよ」
「今日さ、転校生が来るんだってよ」
「転校生だってか」
「そうさ、噂によれば、なかなかの可愛い娘らしいよ」
「へえー」
語尾を下がり気味に、俺は谷屋に言った。
「なんか興味無さ気だな」
「まあね」
俺はそう谷屋に返して、それからちょっと歩くスピードを速めて学校へ向かった。
全ての汚れを落とすという触れ込みで学校が買ったといううわさがある靴掃除装置を通って、靴底や側面についた泥などの汚れを落としてから、そのままの足で教室と向かう。
すでにかなりの多数の人が、今日転校生が来ることを知っているようだ。
いつも以上に、教室の中が騒がしかった。
友達と話していると、チャイムが鳴り、先生がまず入ってきた。
「今日はまず、みんなに転校生を紹介する」
それから、名前を呼んだ。
「矢形耶麻だ。みんなよろしくな」
それから先生は周りを見回して、空いている席を探す。
「そこ、行ってくれ」
彼女に指示した場所は、俺のすぐ横の席だ。
彼女は、俺の横に、当たり前のようにして座る。
でも、俺のことを、ちょっと見ているような気もする。
「よろしくな」
俺は彼女に話しかけると、コクンと恥ずかしそうにしてうなづかれた。
それから、先生は何事もなかったかのように、連絡事項を伝えた。
すぐ横に座ったからと思って、いろいろと話しかけている間に、幼稚園のころに別れたきりの幼馴染のことを思い出してきた。
そんな懐かしさもあって、昼休み、誰もまだ声をかけない間に、俺は彼女を昼食へと誘う。
「どう、お昼ご飯、一緒にって」
「いいよ」
誰かに聞かれる前に俺は答えを得た。
「それで、一緒に飯食ってるってわけか」
「そうさ」
「お邪魔してますよ」
彼女が谷屋に答える。
「いえいえ、どうぞどうぞ」
谷屋が珍しく腰が引き気味だ。
「俺は別の奴らと食うことにするさ」
そういって、俺にさらに谷屋は耳打ちをする。
「楽しめよ、二人きり」
「おいこらマテや」
だが、俺の言葉は谷屋には聞こえていなかったようだ。
そして、さらに彼女の声が聞こえる。
「じゃあ、たべようか」
「お、おう」
俺も、どうも本調子が出ない。
きっと腹が減っているせいだと考えて、さっさと弁当を食うことにした。
放課後になって、部活の時間となった。
谷屋と一緒に俺が入っているのは、科学部だ。
今や一般的となった、液晶ホログラフィを使った、3Dソフトの開発なんぞを、10年も昔の先輩から引きついでしている。
終わりがない作業ではあるが、いつの日にか終わりが来ると信じている。
「なあ」
谷屋がつまらなさそうにプログラミングの本を読みながら俺に言った。
「なんだよ」
軽快なタップを続けていたので、俺は、すこしムッとしながら問い返す。
「あの転校生。どうなんだ」
何の前置きもなく、ド直球に聞いてくる。
「どうって、どういう意味なんだよ」
「そりゃ、一択だろ。お前があいつを好いているかって言うことさ」
「アホか」
一言でその意見は却下だ。
「なんでだよ」
「お前、一目見ただけの転校生にそんなこと言えるのかっていう話だよ」
「アリじゃねえの?」
俺は、突っ込む気力もうせて、再びプログラミングへ戻った。
そこへ、誰かが部屋へと入ってくる。
一瞬期待をしたが、見たとたんにそれも失せた。
「おい、いつまでいるんだ」
「先生。もうちょっとです」
俺が科学部顧問のイフニ先生へと返事をする。
担当は英語で、今年から赴任してきた先生だ。
イフニ先生は、アメリカのどこかの大学で工学博士号を取った先生らしい。
なんで、こんなところにいるのか、それは誰も知らない。
「そうか、なら早めに済ませろよ」
もうすぐ帰る時間だっていうことで、先生がやってきたのだろう。
先生は、それだけ言ってから、カラカラと、来た時と同じようにドアを閉めて出ていった。
「で、あとどれくらいで終わる?」
「数分ってとこで、キリがよくなるから。したら帰るか」
そして、俺は一気に今日の分を仕上げて、部活を終わらせた。
普通であれば下駄箱があるような場所にあるロッカールームにいると、転校生の彼女がいた。
「あれま、彼女がいるわ」
谷屋が俺が気づいてから言った。
「ああ、見えてるさ」
俺が答えると、にやっと谷屋は笑って、俺先帰るわなと言った。
その言葉で、彼女が俺らの存在に気づいたらしく、こっちを見て、ほほ笑んできた。
「じゃあな」
「おいちょっと待てや」
だが、俺の声は、谷屋に届かず、さっさと駆けだして言ってしまった。
気まずい雰囲気の彼女と俺だったが、俺が先に声をかける。
「元気?」
「まあ、元気よ」
彼女のロッカーへとゆっくりとした足取りで近寄っていく。
「そりゃよかった。よかったら、途中まで一緒に行こうか。まだ、このあたりの道、わからないだろ」
「…おねがいできるの?」
彼女は、俺をじっと見ている。
「このあたりには、生まれた時からいるからな。どこに何があって、どんな抜け道があるか。全部知ってるぜ」
「……昔から変わらないね」
そんなことを言ったような気がした。
「ん?」
俺は、とりあえず聞き返す。
「なんでもない」
彼女は、目を俺からそらして、うつむいて言った。
「そっか」
俺はそう言って、谷屋が通ったのと同じ道を、ゆっくり二人で歩いて降りた。