第15状態
ベッドの中で背伸びをする。
天井は、毎日おなじみの水色だ。
本当の空のように、雲もいくつか浮かんでいる。
よく寝ることができるようにということで、先月売り始めた機械を使っているからだ。
春風のような爽やかな風が、窓を開けていないのにもかかわらず、部屋をゆっくりと吹き抜けていく。
それを顔で感じながらゆっくりと眠っていたベッドから起き上がった。
いつもと変わらない日が、今日も始まった。
朝ごはんを食べている間、適当にテレビの占いを見ていた。
最新タイプの3Dテレビで、メガネをかけずに、どんな角度から見ても、どんな距離から見ても、飛び出しているように見えるというテレビだ。
「今日は右足から玄関を出るといい…か」
あまり占いは信用していない。
だから、今回も適当に足を出すことにしようとした。
その結果は、左足から出たというわけだ。
まあ、いつも通りに適当にしていけば、なんとかなるだろう。
登校路としている道の3分の1ほど来たところにある十字路を左斜め向こうの方へと行くとき、ものすごい勢いの自転車が、俺の前を通った。
気付いた時には、もう目の前にいてひやりとする。
だが、自転車は引っかかることもなく、怒号を俺に浴びせて、そのまま急カーブを描いて道の反対側へと向かった。
「朝からついてねーなー」
俺はそう愚痴ると、再び一歩を踏み出した。
とたんに、体の右側から激しい衝撃を受けて、何が何だか分からない間に、どこまでも澄んだ青空を見ていた。
頭が正常に動かないまま、横からごめんなさいという声だけが聞こえてくる。
やっと体中を駆け抜けていた衝撃が収まって、体の節々が痛みながらも上半身を起こすと、女子の顔が目の前に迫った。
焦って、慌てて数メートル離れようとするが、体が痛くて動けない。
女子が、若干遠ざかったと思ったら、太陽を背にして立ちあがったところだった。
「大丈夫ですか?」
その制服を見る限りでは、俺が通っている高校の生徒のようだ。
「ああ、大丈夫です」
本当は痛くて痛くて仕方ないが、女子の手前、泣かないように、気付かれないようにしながらゆっくりと立ち上がった。
「本当に大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫ですよ」
かるく制服のズボンについていた埃をはたきながら彼女の前で強がってみせた。
「では、急いでるので」
彼女は俺にペコリとお辞儀をしてから、学校へと駆けって行った。
俺はそんな彼女の後ろを、ゆっくりと追いかけた。
あるいていると、いつも花壇に水やりをしている泰斗さんの家の前を過ぎたあたりで、片側2車線の大きな道へ出る。
すると、道の向こう側に友人の谷屋が、ゆっくりと歩いているのが見えた。
声でもかけてやろうかと考えていると、向こう側が気付いたようで、手を振っている。
俺も手を振り返していると、左右を確認してから、谷屋がこちらに来た。
「ちーっす、何歩いてるんだ」
「そりゃ学校へ向かってるから歩いてるんだよ」
やってきた谷屋が俺に声をかける。
「そういや知ってたか」
「何をだよ」
「今日さ、転校生が来るんだってよ」
「転校生だってか」
「そうさ、噂によれば、なかなかの可愛い娘らしいよ」
「へぇ」
語尾を下がり気味に、俺は谷屋に言った。
「なんか興味無さ気だな」
「まあね」
俺はそう谷屋に返して、それからちょっと歩くスピードを速めて学校へ向かった。
どこぞの宇宙開発の公社が開発したという話の靴掃除装置を通って、靴底や側面についた泥などの汚れを落としてから、そのままの足で教室と向かう。
すでにかなりの人が、今日転校生が来ることを知っているようだ。
いつも以上にざわついている。
友達と話していると、チャイムが鳴り、先生がまず入ってきた。
「今日はまず、みんなに転校生を紹介する」
それから、名前を呼んだ。
「矢形耶麻だ。みんなよろしくな」
それから先生は周りを見回して、空いている席を探す。
「そこ、行ってくれ」
彼女に指示した場所は、俺のすぐ横の席だ。
なんとなく見覚えがあるその人は、俺の横に自然に座った。
でも、俺のことを、ちょっと見ているような気もする。
「よろしくな」
俺は彼女に話しかけると、コクンと恥ずかしそうにしてうなづかれた。
それから、先生は何事もなかったかのように、連絡事項を伝えた。
すぐ横に座ったからと思って、いろいろと話しかけている間に、昔の幼馴染のことを思い出してきた。
そう言えば、幼稚園の頃に別れてきりだ。
そんな懐かしさもあって、昼休み、誰もまだ声をかけない間に、俺は彼女を昼食へと誘う。
「どう、お昼ご飯って」
「いいよ」
誰かに聞かれる前に俺は答えを得た。
「それで、一緒に飯食ってるってわけか」
「そうさ」
「お邪魔してますよ」
彼女が谷屋に答える。
「いえいえ、どうぞどうぞ」
谷屋が珍しく腰が引き気味だ。
どうやら、女子と飯を食うのは初めてのようだ。
「俺は別の奴らと食うことにするさ」
そういって、俺にさらに谷屋は耳打ちをする。
「楽しめよ、二人きり」
「おいこらマテや」
だが、俺の言葉は谷屋には聞こえていなかったようだ。
そして、さらに彼女の声が聞こえる。
「じゃあ、たべようか」
「お、おう」
俺も、どうも本調子が出ない。
きっと腹が減っているせいだと考えて、さっさと弁当を食うことにした。
放課後になって、部活の時間となった。
谷屋と一緒に俺が入っているのは、科学部だ。
今や一般的となった、液晶ホログラフィを使った、3Dソフトの開発なんぞを、10年以上も昔の先輩から引きついでしている。
諸先輩方がどうしてこんなことを始めようとしたのか、今となっては謎である。
そういうことで、終わりがない作業ではあるが、いつの日にか終わりが来ると信じている。
「なあ」
谷屋がつまらなさそうにプログラミングの本を読みながら俺に言った。
「なんだよ」
軽快なタップを続けていたので、俺は、すこしムッとしながら問い返す。
「あの転校生。どうなんだ」
直球に聞いてくる。
「どうって、どういう意味なんだよ」
「そりゃ、一択だろ。お前があいつを好いているかって言うことさ」
「アホか」
一言でその意見は却下だ。
「なんでだよ」
「お前、一目見ただけの転校生にそんなこと言えるのかっていう話だよ」
「アリじゃねえの?」
俺は、突っ込む気力もうせて、再びプログラミングへ戻った。
そこへ、誰かが部屋へと入ってくる。
一瞬期待をしたが、見たとたんにそれも失せた。
「いつまでいるんだ」
「先生。もうちょっとです」
俺が顧問のイフニ先生へと返事をする。
担当は英語で、今年から赴任してきた先生だ。
「そうか、なら早めに済ませろよ」
もうすぐ帰る時間だっていうことで、先生がやってきたのだろう。
先生は、それだけ言ってから、カラカラと、来た時と同じようにドアを閉めて出ていった。
「で、あとどれくらいで終わる?」
「数分ってとこで、キリがよくなるから。したら帰るか」
そして、俺は一気に今日の分を仕上げて、部活を終わらせた。
普通であれば下駄箱があるような場所にあるロッカールームにいると、転校生の彼女がいた。
「あれま、彼女がいるわ」
谷屋が俺が気づいてから言った。
「ああ、見えてるさ」
気にしないようにして、ロッカーのふたを手前に開く。
金属製の軽い扉は、音もなく開いた。
だが、ドキッとする視線を感じて、そちらに振り返ると、彼女はこちらを見ていた。
ニコッと微笑みかけると、彼女は何も言わず、顔を伏せて逃げるように帰ってしまった。
ちょっと残念に思っているところを、まるで心を見透かすように谷屋が俺に言ってきた。
「あーあ、にげちまったか」
「なんか悪人がいいそうな台詞だな」
「俺が悪そうに見えるか」
残念ながら見えるのだが、そんなことを言わずに適当に流した。
「今日もこれで終わりだなぁ」
歩きながら伸びをして谷屋に言う。
「まあな。これからどうするつもりだ」
バス停までの間は、こうやっていつも谷屋とだべっている。
「夕飯食って、勉強して、風呂入って勉強して、パソコンして寝るかな」
実際には勉強せずにパソコンばかりをしているだろうとは思うが、それは問題じゃない。
勉強はそこそこできるからだ。
それよりも問題は、彼女のことだ。
「それで、彼女はどうなんだ」
そのことを見透かすように、谷屋はニヤニヤしながら声をかけてくる。
それを聞き流しながら、3次元携帯で、現在のバス位置を確認する。
「もうすぐでバス停にバスが来るな」
そう言って、俺はカバンを前に持ってきて、抱きかかえるように持ち直す。
それを見た谷屋は、やれやれと言った感じでふうと息をもらし、手を振ってくれた。
「彼女のことなんて、これからさ」
俺はそう言ってから、一気にバス停に向かって駆け出した。