第11状態
ベッドの中で背伸びをする。
天井は、いつものように水色だ。
窓の外にある、本物の空のように、雲もいくつか浮かんでいる。
よく寝れるようにということで、最近になって開発された機械を使っているからだ。
春風のような、爽やかな風が、窓を開けていないのにもかかわらず、部屋を吹き抜けていく。
それを顔で感じながらゆっくりと背伸びをして、それから、眠っていたベッドから起き上がった。
いつもと変わらない日が、始まる。
朝ごはんを食べている間、適当につけていたテレビの占いを見ていた。
つい先日発売開始された3Dテレビで、メガネをかけずに、どんな角度から見ても、どんな距離から見ても、飛び出しているように見えるというテレビだ。
ちなみに、別売りではあるが、匂いを出す機械もあって、それを買うと4Dで味わえるという物だ。
「今日は右足から玄関を出るといい…か」
俺は、実を言うとあまり占いは信用していない。
だから、今回も適当に足を出すことにしようとした。
その結果は、左足から出ることにしたということだ。
まあ、いつも通りにしていけば、なんとかなるだろう。
登校路にしている道の途中にある十字路を左斜め向こうの方へと行くとき、ものすごい勢いの自転車が、俺の前を通った。
気付いた時には、もう目の前にいてひやりとする。
だが、引っかかることもなく、怒号を俺に浴びせて、そのまま急カーブを描いて道の反対側へと向かった。
「朝からついてねーなー」
俺はそう愚痴ると、再び一歩を踏み出した。
とたん、右側から激しい衝撃を受けて、何が何だか分からない間に、青空を見ていた。
頭が正常に動かないまま、横からごめんなさいという女子の声が聞こえてくる。
やっと衝撃が収まって、体の節々が痛みながらも上半身を起こすと、女子の顔が目の前に迫った。
焦って、慌てて数メートル離れようとするが、体が痛くて動けない。
「大丈夫ですか?」
その制服を見る限りでは、俺が通っている高校の生徒のようだ。
制服の袖口のボタンの数から、どうも同じ学年らしい。
「ああ、大丈夫です」
本当は痛くて痛くて仕方ないが、女子の手前、泣かないように、気付かれないようにしながらゆっくりと立ち上がった。
「本当に大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫ですよ」
かるく制服のズボンについていた埃をはたきながら彼女の前で強がってみせる。
「では、急いでるので」
彼女は俺にペコリとお辞儀をしてから、何か急ぎの用事でもあるようで、学校へと駆けって行った。
俺はそんな彼女の後ろを、ゆっくりと追いかけた。
あるいていると、いつも水やりをしている泰斗さんの家の前を過ぎたあたりで、片側2車線の大きな道へ出る。
すると、道の向こう側に友人の谷屋が歩いているのが見えた。
どうしようか考えていると、向こう側が気付いたようで、手を振っている。
俺も手を振り返していると、左右を確認してから、谷屋が俺のところへ来た。
「ちーっす、何歩いてるんだ」
「そりゃ学校へ向かってるから歩いてるんだよ」
やってきた谷屋が俺に声をかける。
それから並んで歩きながら、谷屋が教えてくれる。
「そういや知ってたか」
「何をだよ」
「今日さ、転校生が来るんだってよ」
「転校生だってか」
「そうさ、噂によれば、なかなかの可愛い娘らしいよ」
「へえー」
語尾を下がり気味に、俺は谷屋に言った。
「なんか興味無さ気だな」
「まあね」
俺はそう谷屋に返して、それからちょっと歩くスピードを速めて学校へ向かった。
下駄箱の代わりにあるロッカーを経由してから、靴掃除装置を通って、靴底や側面についた泥などの汚れを落としてから、そのままの足で教室と向かう。
すでに学年の大半の人が、今日転校生が来ることを知っているようだ。
もしかしたら学校の大半が知ってるかもしれない。
いつも以上に廊下まで声が響くような感じでざわついている。
友達と話していると、チャイムが鳴り、先生がまず入ってきた。
「今日はまず、みんなに転校生を紹介する」
それから、名前を呼んだ。
「矢形耶麻だ。みんなよろしくな」
それから先生は周りを見回して、空いている席を探す。
「そこ、行ってくれ」
彼女に指示した場所は、俺のすぐ横の席だ。
彼女は、カバンを肩から提げながら俺の横に自然に座った。
俺のことを、ちょっと見ているような気もする。
「よろしくな」
俺は彼女に話しかけると、コクンと恥ずかしそうにしてうなづかれた。
それから、先生は何事もなかったかのように、連絡事項を伝えた。
それから授業ごとに必要に応じて教科書やらノートやらメモ帳やらとなっているパソコンを見せていたが、休憩時間になって何か話そうとすると、すぐに誰かが邪魔をした。
「んで、結局昼休みに誘うことはできなかったと」
「そういうことだ。ま、仕方ないさ」
谷屋達とのいつもと変わらない昼飯。
そこに、携帯にメールがやってきた。
「誰からだ」
谷屋が俺に話しかけてくる。
「ダイレクトメールさ。気にするな」
俺は谷屋にそれだけ言って、飯に戻った。
放課後になって、部活の時間となった。
谷屋と一緒に俺が入っているのは、科学部だ。
今やどんな3D機器に使われるほど一般的となった、液晶ホログラフィを使った、3Dソフトの開発なんぞを、10年も昔の先輩から引きついでしている。
終わりがない作業ではあるが、いつの日にか終わりが来ると信じている。
「なあ」
谷屋がつまらなさそうにプログラミングの本を読みながら俺に言った。
「なんだよ」
軽快なタップを続けていたので、俺は、すこしムッとしながら問い返す。
「あの転校生。どうなんだ」
直球に聞いてくる。
「どうって、どういう意味なんだよ」
「そりゃ、一択だろ。お前があいつを好いているかって言うことさ」
「アホか」
一言でその意見は却下だ。
「なんでだよ」
「お前、一目見ただけの転校生にそんなこと言えるのかっていう話だよ」
「アリじゃねえの?」
俺は、突っ込む気力もうせて、再びプログラミングへ戻った。
そこへ、誰かが部屋へと入ってくる。
彼女だ。
「あれ、なんでここに?」
俺は思わず立ち上がって、彼女のところへと寄ってみる。
空気を察したのか、谷屋はちょっとトイレ行ってくるとだけ言い残し、心細い俺と彼女だけになった。
「なにか用なのかな?」
俺は彼女に聞いてみる。
「えっと、ここって、科学部だよね」
「そうだけど?」
俺はとりあえず、彼女に椅子をすすめながら、話を聞く事にした。
「私って、幼稚園のころに引っ越して、それ以来、寂しさを紛らわすために、趣味に没頭するようになったの」
「趣味って」
「もうちょっと踏み込んで言えば、趣味が研究だって言う話なんだけどね。親が、物性科学の専門家だから、そういうものが好きになってたのよ」
「そうなんだ」
「それで、考えてみたんだけど、ここで開発を続けてるっていう液晶ホログラフィを、もう少し改良できると思ったのよ」
「ああ、あれか」
「別に入ってもいいよね」
「いいだろうさ」
いつの間にか帰ってきていた谷屋が、俺が彼女に答えるよりも先に答える。
「顧問のイフニ先生に、入部届け出しといて。明日から、のんびりと部活に加わったらいいから」
「そうそう。どうせ俺らしかいないし」
「分かった、じゃあ、また明日ね」
彼女が笑顔で俺たちに手を振って、部室から、颯爽と出ていった。
「……いい娘だなぁ」
谷屋がボケーとして、その後ろ姿を見ていたから、軽く頭をはたいてやり、俺は再びプログラムを書きだした。