第10状態
ベッドの中で背伸びをする。
天井は、いつものように水色だ。
本物の空のように、雲もいくつか浮かんでいる。
よく寝れるようにということで、CMを山のように流していた機械を使っているからだ。
春風のような爽やかな風が、どこの窓もドアも開けていないのにもかかわらず、部屋を吹き抜けていく。
それを顔で感じながらゆっくりと背伸びをして、それから、眠っていたベッドから起き上がった。
そして、天井あたりをフワフワ漂っていた機械のスイッチを切り、部屋のドアを開ける。
いつもと変わらない日が、始まる。
バターブレッドの朝ごはんを食べている間、適当にテレビの占いを見ていた。
最新の3Dテレビで、メガネをかけずに、どんな角度から見ても、どんな距離から見ても、飛び出しているように見えるというテレビだ。
「今日は右足から玄関を出るといい…か」
あまり占いは信用していないが、たまにはそれに従ってみるっていうのも、面白いかもしれない。
制服を着て、カバンの中を―といってもノートパソコン1台だけなのだが―簡単に確認してから、家から15分ほどのところにある高校へ向かって歩き出す。
玄関を出る時に右足から出てみたが、これといって変わったところは何もない。
「ま、占いだからな」
そう独り言を言ってから、学校へ向かった。
十字路を左斜め向こうの方へと行くとき、ものすごい勢いの自転車が、俺の前を通った。
気付いた時には、自転車に右足が引っ掛かってていた。
だが、ほとんどバランスを崩すこともなく、自転車に取り付ける義務の防御機能として自動的に宙返りをしてから、俺に罵声を浴びせて、その人はどこかへと走って行った。
「なんだってんだよ、ったく」
悪態をついて、それから、歩き続けた。
げた箱のような形であるロッカーのところで、谷屋と俺は合流することができた。
「ちぃーっす、どうや」
「どうやって言われても、まあぼちぼちさ」
何を言っても、結局は騒ぐので、適当にごまかしておく。
「そういやさ、聞いたか」
「何を?」
「今日さ、転校生が来るんだってさ」
「へぇ」
あまり興味なく、ロッカーのドアをバタンと閉め、教室へと上がった。
全方位靴掃除装置を通って、靴底や側面についた泥などの汚れを落としてから、そのままの足で教室と向かう。
すでに教室にいる大半の人が、今日転校生が来ることを知っているようだ。
いつも以上にざわついている。
友達と話していると、チャイムが鳴り、先生がまず入ってきた。
「今日はまず、みんなに転校生を紹介する」
それから、名前を呼んだ。
このタイミングで、転校生は教室へと入ってきた。
「矢形耶麻だ。みんなよろしくな」
その顔には見覚えがあったが、俺は何も言わなかった。
それから先生は周りを見回して、空いている席を探す。
それは、俺から見て教室の反対側にある席だった。
「そこ、行ってくれ」
彼女とは、かなり教室での距離が離れてしまった。
すこし残念に思っている俺がいるのに、俺自身が驚いていた。
遠くに座ったからということもあって、話しづらかったが、それでも問題なく、彼女とご飯を食べるという約束を取り付けれた。
なにせ、彼女の方が俺の方へと近寄ってきて、まるで昔馴染みのようなそぶりで、ご飯食べると聞いてきたのだ。
「それで、一緒に飯食ってるってわけか」
谷屋が、俺と一緒に飯を食べながら言った。
「そうさ。ま、問題ないだろ?」
「そりゃあな……」
初めて女子と昼飯を食うらしく、谷屋が珍しく静かだ。
「いつもこんな感じなの?」
「そんな感じさ」
俺は彼女の質問にそう答えて、弁当を一気に食べた。
放課後になって、部活の時間となった。
谷屋と一緒に俺が入っているのは、科学部だ。
今や一般的となった、液晶ホログラフィを使った、3Dソフトの開発なんぞを、10年も昔の先輩から引きついでしている。
終わりがない作業ではあるが、いつの日にか終わりが来ると信じている。
「なあ」
谷屋がつまらなさそうにプログラミングの本を読みながら俺に言った。
「なんだよ」
軽快なタップを続けていたので、俺は、すこしムッとしながら問い返す。
「あの転校生。どうなんだ」
直球に聞いてくる。
「どうって、どういう意味なんだよ」
「そりゃ、一択だろ。お前があいつを好いているかって言うことさ」
「アホか」
一言でその意見は却下だ。
「なんでだよ」
「お前、一目見ただけの転校生にそんなこと言えるのかっていう話だよ」
「アリじゃねえの?」
俺は、突っ込む気力もうせて、再びプログラミングへ戻った。
そこへ、誰かが部屋へと入ってくる。
一瞬期待をしたが、見たとたんにそれも失せた。
「いつまでいるんだ」
「先生。もうちょっとです」
俺が顧問のイフニ先生へと返事をする。
担当は英語で、今年から赴任してきた先生だ。
「そうか、なら早めに済ませろよ」
もうすぐ帰る時間だっていうことで、先生がやってきたのだろう。
先生は、それだけ言ってから、カラカラと、来た時と同じようにドアを閉めて出ていった。
「で、あとどれくらいで終わる?」
「数分ってとこで、キリがよくなるから。そしたら帰るか」
そして、俺は一気に今日の分を仕上げて、部活を終わらせた。
普通であれば下駄箱があるような場所にあるロッカールームにいると、転校生の彼女がいた。
「あれま、彼女がいるわ」
谷屋が俺が気づいてから言った。
「ああ、見えてるさ」
気にしないようにして、ロッカーのふたを手前に開く。
金属製の軽い扉は、音もなく開いた。
だが、ドキッとする視線を感じて、そちらに振り返ると、彼女はこちらを見ていた。
「帰るところ?」
彼女の方が、俺たちに話しかけてきた。
「ちょうどな」
「そう。じゃあ、バイバイ」
彼女は、ほほ笑んで、手を振ってから、軽く駆け足気味で俺らの目の前から、校門へと続いている長い坂道を下った。
「いつのまに、そこまで仲良くなったんだぁ」
谷屋が俺の肩をたたきながら、さっきの彼女との会話について、鋭く突っ込んでくる。
「さあな」
俺は軽く答えて、すぐにロッカーから出ていく。
「おい、答えろよ」
「いいじゃないか」
俺は谷屋につつかれながら、彼女の後をゆっくりと追うようにして、坂道を下った。