茨姫は人による
「そもそも、断罪人形って気絶するもんだったの?」
「基本的に、即死や損傷でない脳震盪などの衝撃波は回復せずにそのまま伝わりますから、たまにありますわ、ミスター」
「先に言ってよ、僕思いっきり蹴っちゃったじゃんか!!」
「まだ後29回分残ってますわ、ミスターメグル」
「鬼だこの人!!」
そう、こそこそと居心地の悪そうに会話していた巡は、ため息をついた。
結局、指導者役である野田梅芳、ジェンダーはあの巡渾身の一撃で脳震盪を起こして昏倒し、変身が解けた後の最初の姿であるゴスロリ青年の状態でトレーニングルームの床で寝かしていた。彼を運び出すのは身長的に無理があり、なおかつあの直後猫化状態が解けてしまった巡と戦力外のベリーの二名はこのままここに居るのであるが(ベリーは普通に出ていこうとしたが、巡が必死で引き止めた)、30分経っても目を覚ます様子がない。
あれだけのことをやられておきながら、遺恨がないのかというとないでもないが、流石にこのまま放置していくのも人間的にどうかと思われた。
だが、個人的にはそろそろ彼には起きてほしいところである。……ベリーと二人きりで会話するにも、そろそろネタが尽きかけてきていた。
「趣味とかはあるの?」
「料理とお掃除、裁縫という設定ですわ、ミスター」
「設定ってナンデスカ」
「父上のプログラムリストにあったはずですわ」
……や、
「じゃあ、何か好きなものとか」
「好きなものとは何ですか?」
「……嗜好とか?」
「そのような概念は特にありません」
など、会話になってんだかなっていないんだか分からない現状である。
こんな美少女と二人きりだというのに、この調子ではこちらのライフポイントが削られる一方である。こうなると、早急にあれでもまともな会話の成立した彼に戻ってきてもらいたいものだが、彼を気絶させたのは紛れもなく自分だ。
「あの、脳震盪を回復する裏技とか知らないかな?」
「安静にすることですわ、ミスター」
「いやそうだけど、断罪人形ならではのなんかとかさ!」
ベリーは数秒思考した後、返答した。
「彼個人ならあるかもしれませんわ、ミスター」
「え、なに」
「確か彼は茨姫という童話の映画が大好きで、アタシもカワユイ美少年に起こされたいわと常常発言を「ごめん、もういい、オチが読めた」」
「ですから彼に熱いベーゼを提供すれば目覚めるのではないかと」
「いいと言ってんだろ!!」
誰がやるかそんなこと!!
「貴方は容姿は日本人男子の平均ですが、彼は全然イケんじゃねっていう」
「砕けて喋れんじゃねえかあんた!!しかも前半確実に抉ったぞ!」
「なんのことですか、ミスター」
ベリーはいつもと同じ無表情で、全然思い当たる節はないという風に淡々と言った。
「そもそも何でそんな喋り方してんですか」
「父上の言いつけですわ、ミスターメグル」
「実は、某国の最新型アンドロイドで、機械的にしか喋れないという背景事情とか」
「そんなものないです」
きっぱりと彼女は言い放った。
「完璧キャラ作りじゃないですか」
「キャラ作りですわ」
やましいことなど何もないといった風に堂々とした風に彼女は言った。
「Daからアタシ普通にspeaクとかーできなくもないnだじゃんでtyyaaa」
「無茶苦茶バグってるじゃないですか!」
やっぱり普通に喋れない人間だった。すると、彼女は口を結んで黙り込み、そっぽを向いた。
「あの、すみません」
無言。
「本当にすみません、地雷踏みました」
無言。
「許してください、わざとじゃないんです」
「ダメよ、あの子あれでも気にしてんだからあ」
その声に、慌てて床を見ると、ニヤニヤとクレオパトラの姿勢で梅芳さんがこちらを眺めていた。
「大丈夫ですか、梅芳さん」
「……梅子よ」
その言葉はスルーをした。
「いつから起きていたんですか」
「キスの話題してた時から」
結構前からじゃねーか。
「アタシに王子様からのチッスをくれるかと思って待ってたんじゃないんだからねっ」
「誰がしますかんなもの」
「ひどいわ、アタシのキスの価値がその程度だっていうわけ?」
むしろ犬に喜んで譲ります。
よよよと泣き崩れた格好になる梅芳さんに思わず冷たい目線になる。
「そもそも、エセツンデレは売れませんよこのご時勢」
「誰がツンデレよ、アタシはいつでも美少年にはフルオープンデレよ」
「今すぐ閉店してください」
「もう、グルたん冷たあい」
先ほどまでとはえらい態度の違いに、頭の打ちどころでも悪かったのかという疑惑が浮かぶ。
「ベリーもいつまでもすねてんじゃないわよ、アナタが変なのなんていつものことじゃない」
……ブリザードが吹き荒れた。
「ミスター」
ベリーは、氷のような空気を漂わせて言った。
「案内役を交代しますわ」
「あら、悪いわね」
荒縄のような太い神経をした梅芳さんは、それを快諾した。
ベリーは、白い髪を広げて踵を返して立ち去っていった。背筋の綺麗に伸びた、その背中を困って眺めていると、梅芳さんが口笛を吹いた。
「ホント、めっずらし……」
「何がですか、明らかに怒らせてるじゃないですか」
流石に文句を言わせてもらうと、梅芳さんは肩を竦めた。
「だから、それが珍しいって言ってんのよ。あの子、いつもはあんなに感情が浮き沈みするような奴じゃないんだから」
「え?」
梅芳さんはその厳つい顔に並ぶ目を細める。
「断罪人形の内で最も冷徹で、無感動な人形。敵味方に永遠の乙女とか、不死身の次号とか呼ばれているほど、この組織の中でもトップクラスの歩く機密が、よくまあ……」
僕は戸惑って答える。
「でも、普通に女の子に見えましたけど」
「アナタ、相当な変わり者よね」
断言されてしまった。
「アタシたちは、誰も進んであの子に関わりたくはないわ。一緒に仕事をする、仲間だとは思っているけど絶対に友達になんかなれない。なりたくでもない」
彼は、嫌悪するように吐き捨てた。
「気持ち悪いんだもの」
それは。
「居るだけで、見ただけで違和感、非適合の存在。集団が集まったとして、彼女はきっとどのグループにも弾かれる存在だわ」
それは、
「アナタは何を考えて彼女と話そうと思ったの?」
唐突に思った。
直接こう言われたら、彼女は、果たして泣くんだろうか。
こんな感情に晒され続けて。
もし泣けないとしたら、とても。
「別に、何も考えていませんよ」
ああそうか、僕は。
「……そう、なら、それはそれでいいわ」
梅芳さんは、僕の手を取った。
「では、アタシが男子寮に案内してあげるわ」
そのまま恋人繋ぎをされそうになって僕はその手のひらを振り払う。
「もう、照れなくてもいいのに」
「別に照れてませんよ」
……恐らく僕は、彼女が。
可哀想な人だと思ってしまっていた。
あの全てを立ち入らせない瞳を見た時の、真っ先に浮かんだ哀れみに、僕は蓋をした。
全然幸せそうではない彼女に、記憶を失ってから初めて安堵を覚えたなど。
僕だけが知っていればいい現実だった。