猫耳は他人だからこその萌え要素
「まあ、アタシの有能さは今から見したげる。実戦よ」
そう言って伸びをすると、ニヤリと不敵な笑みを梅芳さんは浮かべた。
その瞬間、彼の全身は融解し、解れて崩れて一つの造形に変化していく。
見る見るうちに作られたのは、鍛え上げられた肉体を持ったアスリート。
オイルに輝く褐色の肌。練り上げられた究極の美。白くキラメク並んだ歯。
筋肉を盛り上げた大柄なボディビルダーの男は、いい笑顔で腕を振り上げ、床に打ち付けた。
地震のように部屋が振動し、轟音が鳴り響く。
明らかに歴戦の戦士を目の前にした僕は、冷や汗を背筋に伝うのを感じながら、彼に尋ねた。
「えっと……どうなさるおつもりで?」
答えを聞く前に、僕の視界は真っ暗になった。
一瞬だった。
僕がようやく事態を飲み込んだのは、再生の終わった目で梅芳さんを視認した時だ。
彼が振りかぶった拳は刹那、僕の頭を西瓜のように軽々と打ち砕いたらしい。余りの衝撃に、僕の身体は痛覚を感じる間もなく再生に移行したようだ。
悲惨に飛散した鮮血と、脳漿が湯気を立てて消えていく。
それが自分のモノだという現実味がわかなかったけれど、反射的に傷口をかばった手のひらが、真っ赤に血濡れたのを二つの目で捉えた瞬間。
ぶる、と身体が震え、僕はがむしゃらに脚を動かして脱兎の如く彼から逃げ出した。
――――怖い。
其れは、間違いなく人外の。
神話のヒーローにだってなれてしまうような超常の暴力で。
ほんらい、ぼくなんかがあいてになるようなもんなんかじゃ無い。
「――――が、はっ」
再び、瞬間で間合いを詰められ、今度は僕の下半身、腰に激痛が走る。
華麗に決められたキックは軽々と僕の腰を下段に蹴り飛ばす。手加減されたのだろう、今度は先ほどとは違って確実に意識を削り取る痛みが僕を襲う。
なんだ。
なんだってこんな目に合わなくちゃいけないんだ。
腰の骨が粉々に砕かれても、
意識を取り戻せば走っている僕が居る。
腹部に穴が空いても、
瞬時に再生された悲鳴は血を吐くこともない。
まるでデタラメだ。
こんなことが、こんなことがあってたまるかってんだ。
…………ちくしょう。
何度殺されても途切れることのない虚ろな意識で、その理不尽さに心が折れそうになる。
三十回くらいからだろうか、理不尽な暴力は、
いつしか回数を重ねる度に唯、熱さばかりが全身焼けるようで。
僕の身体を吐きそうで焼けそうで抉れそうで、歯が削れそうなほどに噛み締めた口の味は鉄の味が喉の奥から響いていた。
「この子、いくらやっても無駄ね」
遠くから、言葉がノイズ混じりに降っている。
微かな既視感と締め付けられるような痛みが瞬間、胸に走る。
記憶の彼方の誰かの姿が眼前の男に重なって視界がブレた。
「――――ちが、う」
無意識の叫び。
この男に言っているのか。
彼方の見知らぬ人間に叫んでいるのか。
いくら暴力を振るわれても動かなかった心の奥から。……ぼく、は。
「……僕は駄目な奴なんかじゃあない!!」
ドク、と鼓動が一つ跳ねた。
心臓が脈打ち、全身に熱いものが巡る。
今まで身体も魂も雁字搦めに縛っていたものが、バラバラに砕けていくような。
人間の殻を、かなぐり捨ててしまうような。
嬉しい、うれしいと身体が悲鳴を上げる。
哀しい、かなしいと悲痛に心が泣いている。
いつの間にか、僕は泣いていた。
ただ、無心に男の矜持もなく、子どものように泣いていた。
いつの間にか、近くにいたらしい。
「お疲れ様でした、ミスター」
少女は無表情に、僕に声を掛けた。
「能力の発現を確認しましたわ、安定性も確認されました。パーフェクトです、ミスター」
その言葉に、僕は瞬きをした。
「…………え?」
「アナタ、自分の姿を見てみなさいよ、なかなかキュートだから」
その梅芳さんの言葉に嫌な予感を感じながら、マジマジと身体を確認する。手のひらには、指が五本。その指にはフサフサと黒い毛が生えていて、大きな鋭い鉤爪がついていた。
念のために尻と頭を触ると、長い尻尾と二つの獣のシンボル。
三角形の耳が、僕の頭にあった。
「…………うわ、」
「猫っ子になっちゃうなんて予想外だったわ、精々狩られた時のデータから身体強化だと思ってたから。あそこまで制御にかかると思わなかったから、こっちも目一杯攻撃しちゃって御免なさいねえ」
軽かった。
人を散々瀕死になるまでいたぶったにしては吹けば飛ぶような扱いだった。
そして、こちらに向かっていきなり、舌の根も乾かないうちに物騒にもキックを繰り出してくる。慌てて、その場から飛び退いた。
「……あらん」
そのまま連続で蹴られ、狙いをすまして殴りかかられ、僕はそれを認識した瞬間、反射的によけて逃げ回る。
身体が、軽い。
重しを付けていたものが全部取り払われたように、感じた通りに身体が動く。
よけることすらできなかった先ほどまでとは違う格段の進化に、梅芳さんは更に獰猛な笑みを深める。
「断罪人形No.4、ジェンダー
――――断罪を執行します」
そう高らかに宣言すると彼は全身を本物の獣に変えていく。
百獣の王、獅子になった彼はこちらに向かって大きく口を開いて襲いかかる。
だが、今の僕は目の前の強敵にも、感じるのは畏怖と歓喜。
……試したい。
自分の力を、ぶつけられるのが、嬉しいという本能的な思いが身体を突き動かす。
その姿、軌道を僕は見切り、大きく地面から踏み切った。軽々と宙に跳躍し、大きく身体を捻ってライオンの頭に向かって。
――――全体重を掛けて脳天に踵落としをした。
2013,10,10
修正