笑わない少女
「そろそろ説明はそれくらいで宜しいのではなくて、ミスターライム」
突然、涼やかな声が部屋に響いた。
「おー、世話役は結局お前に決まったのか、ベリー。これはまた微妙にミステイクというかなんというか」
「あら、私以外の人形は皆嫌がってこちらに押し付けてきたのですわ、ミスター」
「……お前も悪い奴じゃないんだけどなー、いかんせんいたいけな男の子には相性が悪い気がするんだが……」
「No.6アンド7の双子に任せるよりいくらかマシと認識致しますわミスター」
「それっていくらかだろ?お前も決して配慮できるような子じゃないよな?」
「皆忙しいのですもの、仕方ありません。No.1の探索に手間取っていると記憶しておりますわ」
そのやり取りに呆気にとられ、ぼろぼろ零れていた涙が止んだ。
年頃14歳ほどの少女はこちらに向き直ると硬い表情のまま優雅に一礼する。その混じり気のない白髪のロングヘアはさらりと揺れて、俯きがちであったその顔に彩られた両の眼がこちらを捉える。
熟れた苺のように紅いその眼差しに既視感が一瞬通り過ぎるのを感じたが、気のせいかと見過ごした。
「ベリー・グレイナーと個体名を貰っております。貴方のプログラムをクラッシュさせていただきましたわ。ミスターメグル」
プログラムとクラッシュ。耳慣れぬ単語を理解するのに数秒を要したが、
「つまり、お前の記憶を消したのはこいつってことだよ」
そう言われるのと同時にようやく事態が飲み込めた。
つまるところ、この目の前に居る少女に僕という人格は欠損させられたらしい。
らしい、というのは結局のところ、現実味がとことん感じられないからだ。
怒りとか、悲しみとか、そういうものが全てどこか切り離されていて、恐らくそのことに怒るに値する僕自身を、彼女は持って行ってしまったような気がする。
「……そうですか」
僕はようやく、そう返答した。人間、許容量を超えるとむしろ感情は希薄になるようだった。
「貴方のサポーターにさせられましたので、よろしくお願いしますと挨拶文を言わせていただきますわ、ミスター」
淡々と抑揚なく言われた台詞は、微妙に悪意を感じる言い回しだった。
本人の表情はあくまで微動だにしない彫刻のような無表情なので、その意図は読めなかったものの、普通に考えれば十分に嫌味な自己紹介だ。
「……よろしくお願いします」
全然よろしくしたくない。むしろさっきの看護師さんでお願いしたいですとは到底言い出せない空気だったので、僕は引きつった顔で会釈を返した。
いくらか冷静さを取り戻した頭で彼女をよくよく眺めると、少女が絶世の美人であることに気がついた。
天界の麗人のごときその一つ一つのパーツが極まった顔の造りや、血色の薄く白くて細い肢体、ま白く流麗に流れた長髪に、前髪は眉の辺りでぱっつんと一文字に切られている。また、特徴的な目はガラスのように澄んでいて、フサフサの睫毛の下に紅玉の瞳がこちらを向いている。
一言で言えば、人ではありえないほどの美貌だった。
しかし、これほどの美少女に見つめられながらにして僕は、困惑以上の感覚は全くといっていいくらいに浮かばなかった。……むしろ、極まりすぎていて僕の内心は彼女にどん引いていた。
関わりたくない。ここまで至極面倒そうな人間に絶対に関わりたくはない。
痛さすら感じる空気の中、最初に動いたのは、ライムだった。
「……じゃあ、そういうことで。ベリー、後は任せたからよろしくな」
ひらひらと手を振ると、こちらの空気を読まずに男は素早くドアから外へ立ち去った。
――――あいつ逃げやがった!!
うわ、ひでえと僕は心の中で悲鳴を上げる。
すると、こちらの気も知らず、ベリーさんは僕の手を握ると。
「トレーニングルームに案内しますわ、ミスター」
そう言って、手を繋いだまま僕を引っ張って廊下へ出た。
体温の低い、柔らかな手のひらが僕の手を包み、朱色のポンチョがひらひら揺れて、甘やかな香りが鼻腔をくすぐった。
僕は、当惑したまま尋ねる。
「あの、手は繋いだままですか」
流石に女の子とお手手繋いでは恥ずかしいのですが。
「行方不明になると困るのですわ、ミスター」
「ならねえよ!!そこまで近視じゃないよ!」
「アンテッドに視力は関係ありませんわ」
「違う!そこを返しちゃ何かが違う!!」
隣の僕を見つめ、瞬きをする。
ベリーさんは首をかしげ、
「何か、と代名詞では、具体的説明に欠けますわ。ミスターメグル」
しまった。普通に仲良くコントをしてしまった。
しかし、このまま沈黙を続けるのも精神的にキツイものがあるので、僕はしばらく思考した後、話題振りに挑戦した。
「あの、トレーニングルームは何のために向かってるんですか」
「何のため、ですか」
少女は少しだけ黙ってから、口を開いた。
「貴方の能力の暴発を防ぐために、コントロールを身につけてもらいます」
「暴発したらどうなるんですか?」
「辺りが吹き飛びますわ、ミスター」
…………はい?
「具体的には、四方に渡って、能力別に何らかの現象が吹き荒れ、無差別に攻撃しますのですわ」
「怖っ」
「トレーニングルームには、No.4を呼んでありますから、そこで実践練習ですわ」
何をやらされるのか、不安を覚える。
「ベリーさん、僕、急用を思い出したんですけど」
廊下の真ん中で僕は立ち止まり、慌てて言った。
「何ですか?」
「ちょっとトイレに行きたくなったみたいで」
「必要ありませんわ」
「いやでも、今すぐ漏れそうなんですよ」
「気のせいですわ」
「何でっ!?」
ベリーさんは、至極当たり前だろうといった風に、
「だって、断罪人形には排泄機能はありませんから」
と僕に死刑宣告をした。
「……ないんですか」
「私達は、製作された時点で時が停止しています。よって、食事も排泄も代謝もありません、ミスターメグル」
超ハイブリッドだった。
「しかも、例え戦いで腕が切れたり折れたり飛んでいったり、ましてや内蔵が飛び出たり脳が挫傷したり眼球が抉られるなどの拷問に遭っても、瞬時に完治もとい初期状態までリターンされるのですわミスター」
「グロイグロイグロイ」
無表情でエグイ内容をさらっと口にした彼女は、衝撃の事実を口にした。
「しかし、痛覚は勿論あるのですわ」
「どんな生き地獄だよっそれ!!」
「五感や神経系統は既存のままでありませんと、どうしても不良品ができてしまうらしいですわ」
「知りたくなかった事実をありがとうございます、ベリーさん」
ありがとうもへったくれもない。
それでは、もしも水中で溺死したらエンドレスなわけか。
嫌すぎる。
それに、もし事故に遭ってバレでもしたら大変なことになりそうである。
「今、この場で試すことも可能なのではありますが……」
そう言うと、ポンチョの中に手のひらを突っ込み、一つの物体を僕に見えるように取り上げた。
パイナップル型のそれは紛れもなく。
「危険ですから仕舞ってください、お願いします」
僕は無表情で瞬時にそう言った。
間髪入れる間もなかった。それを使われたら大惨事だ。
彼女は、どことなく残念そうな雰囲気を漂わせながら、それをいそいそと懐に収める。
……大きくて立派な手榴弾でした!!
「つかぬことをお聞きしますが、どれくらい武装してるんですか」
「……ごめんなさい、覚えていませんわ、ミスター」
覚えきれないほど持ってるんかい。
ベリーさんは、魔法使いであったはずではなかったのでしょうかと疑問を覚えた自分は一体間違っているのだろうか。
「男は狼ですから持って行きなさいと沢山持たされたのですわ」
「僕、全然信用されてなかったんですね」
握られている手のひらが段々冷たく感じてきたのは僕の気のせいだろうか。
窓の外はもうすでに暗く、廊下も陰気な空気をはらみ始めている。
その中、ベリーさんは冷えた指先でぎゅっと僕の手のひらを握り締め、
「行きますよ」
そう返事をして、先を歩き始めた。
しばらく歩いた後、彼女はぽつりと唐突に呟いた。
「ベリーと」
「え?」
「ベリーと呼んでくださいね、ミスターメグル」
そう言った彼女の顔は相変わらず無機質なままで、何を考えているか読み取れなかったが。
僕は、戸惑いながら頷いた。
「分かった、……ベリー」
返事は、返ってこなかった。