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8・夜舟は密やかに(後編 上)

 合宿、最終日。

 午前中はいつもの稽古が行われ、午後には試合が予定されていた。

 試合に参加しない柏木かしわぎ 慶子けいこさんたち初心者チームは、午前中が稽古納めとなった。

 いつもとはやはり少し違う空気の中で、昼食は終わった。

 試合には出ない慶子さんでさえ、食べ物が喉につまりそうな感じがあった。




「柏木さん」

 試合見学のために、道場の後部にいた慶子さんの隣にOGの一人が座り、小声で話し出す。

「柏木さんは、上だけじゃなくて、下も見るのよ」

 つまり、足さばきにも注目しろということだ。

 その先輩からは、稽古中に何度か足さばきのことで、慶子さんは注意をうけていた。自分が足りないところの参考となる動きを見る機会があるのは、ありがたい。

 そして、こうしたOGからのアドバイスがなければ、自分は漫然と試合を見ていたかもしれないのだ。

「一年生は、竹刀の構え方に注目ね」

 幸い慶子さんは、竹刀を比較的上手く定位置にキープすることができたが、一年生はよく「下がり気味」や「上がりすぎ」などの注意を受けていたのだった。

 

 OBが審判となり試合が始まった。

 まずは、経験のある一年生男子と二年生男子の組み合わせだった。

 学年に関係なく、実力は互角ともいえる組み合わせもあった。

 初めて見る剣道の試合に、慶子さんは思わず息を止めて見入ってしまった。

 まだ、自分の動きだけで一杯一杯な慶子さんにとって、自分の動きだけでなく相手の動きもよみ、そして攻撃をしかけていくさまは、大袈裟に言うのなら神技のように思えたからだ。

 思えば、じっくりと剣道を見るのは、入部のあの日以来で、あの時に比べれば少しは剣道を知った慶子さんなだけに、その動きの上手さや凄さを、より感じとれていた。

 しかし、試合。

 自分にも、できる日が来るのだろうか。

 正直、そんな日が来る自信のかけらも何もない慶子さんだった。


 一、二年男子の次は、経験のある一年女子と山路さん対OGの試合が行われた。

 OGの迫力に押されてか、実力を十分に出せないまま終わってしまった一年生たちだった。

 そして、山路さん。

 山路さんとOBが進み出ると、道場の空気がサッと変わったのが慶子さんにも分かった。

 礼の後、静かな道場に二人の声が響きだした。

 見ている慶子さんの拳にも、力が入ってしまう。

 山路さんは、積極的に前へと攻撃に出ていった。

 しかしながら、山路さんの打った面、そして続けての胴、残念ながらいずれも入らなかった。

 代わりに、後ろに下がったOGから山路さんに向けての面があった。

 あっ、と慶子さんが思った瞬間、それをぎりぎりで山路さんはかわした。

 けれど攻撃の勢いに乗ったOGは、やや体制の崩れた山路さんの竹刀を鋭く払うと、再び面を打ってきた。

 OGの声とともに、竹刀が面に入ったいい音が響く。

 慶子さん、ほぉとため息をつく。

 その後、なんとか山路さんも一本返すが、結果としてはOGの勝ちであった。

 

 続いては、三年男子にOBを加えての試合だった。

 慶子さんの目の前で、今までとはがらりと違った速度の世界が、始まりだした。

 技を繰り出す速さといい、動きのキレといい、迫力といい、どこをどう見ていいのか、何がなんだかさっぱりな世界だった。

 そんな動きにも少しだけ目が慣れたころ、和菓子さまの試合が始まった。

 和菓子さまの相手はOBだった。

 OBは現役部員より参加人数が少ないので、和菓子さまの前までは、三年生同士の試合だったのだ。

 残る部員は、和菓子さま、和歌山真司わかやま しんじ君、福地ふくち 裕也ゆうや君、そして北村きたむら はやて君の四人だった。

 北村君のことは、「副部、北村の方がまだましだったのに」と、山路さんがぼやいていたのを聞いたことがあったので、覚えていた。

 覚えていた、などというのが北村君に関する慶子さんの意識だが、実は北村君とは一度同じクラスになったことがあったのだ。

 しかし、慶子さんも慶子さんだったが、北村君も北村君だったため、同じクラスであっても一度も話したことはなかったし、接触もなかった。

 北村君は無口な人だった。極端に。

 慶子さんは剣道部に入ってからも尚、まだ北村君と話したことはなかった。

 部内では、和歌山君と仲がいいらしい。

 和歌山君は一人でも賑やかなだけに、面白いコンビだと慶子さんは思った。


「小手、面!」

 OBの細かな動きとともに、積極的に和菓子さまに打ちこんでくる様子が目に入る。

 さらに、慶子さんがOGからアドバイスされた足さばきに関して、和菓子さまの相手のOBは、小柄だからだろうか、とても自由にスムーズに行っていて、そのフットワークの軽さには目を見張るものがあった。

 ついつい、その足さばきに目がいっていた時。

 スコーンと、まるで面のお手本のような音が響いた。

 和菓子さまの一本が入った。

 ひたすらOBの足元に注目していた慶子さんは、残念ながらその様子を(視界には入ってはいたが)、しっかりとは見ることはできなかった。

 そして、続く試合の中でも、どうしても慶子さんはそのOBの足元に目がいってしまい、和菓子さまが小手を決めたときも、やはりその瞬間を見ることはできなかった。

 和菓子さまは、勝ったけれど、完全燃焼気味な慶子さん。

 良かったけれど、良くないような。

 

 OBの中には、慶子さんたちのように体の真ん中あたりで竹刀を構えるのではなく(これを「中段の構え」という)、もっと上の方で構える攻撃的な「上段の構え」をする人もいて、さらに別世界の試合が展開されていった。

 特に、最後の北村君とOBの試合は、声だけ聞くと喧嘩とも思えるような大きさと、激しいつばぜり合いのため、道場内の緊張は最高潮だった。




「凄かったね、北村。負けたけど」

 部室に戻る途中で山路さんが言う。

「うん。もう、心臓が破れるかと思った」

 そう慶子さんが返した時、「お~や、おや、女子諸君」と言いながら和歌山君が会話に加わってきた。

 和歌山君は、あぁ疲れたぁ、と言いながら山路さんの肩に手をまわすと(その手は速攻で山路さんに振り払われてしまったが)「ねぇねぇ、ボクの試合も見ててくれた?」と訊いてきた。

「見ました。凄かったです」

 和歌山君の相手のOBは、小柄だった和菓子さまの相手とは対照的に、和歌山君の体の倍ほどある体格のいい人だった。

「確かに凄かったよ。いろんな意味で、雪村ゆきむらさん。大学進んでから、より体でかくなっているし、しかも本気だすし。で、ボク、負けちゃうしぃ」

 わざとメソメソしたような顔で、「慰めてよ、山路ぃ」と和歌山君が山路さんにもたれかかる。(そしてそれは、お決まりのように、再び山路さんに速攻で振り払われたのだったが)

 和歌山君の話に出てきた雪村さんというのは、彼の対戦OBの名前だろう。

「あぁ、鈴木が羨ましいよ。俺も、呉田くれた先輩ならよかったのになぁ」

「あぁ、呉田先輩! 相変わらず、軽やかだったね。ステップの達人!」

「そうそう、蝶のように舞い、ハチのように刺す!」

 山路さんと和歌山君がにやりと笑う。

「ほら、呉田先輩はね、しつこくも、鈴木をご指名だったからね。和歌山には出番なしよ」

 呉田さんは、和菓子さまの相手の小柄なOBの名なのだろう。

「鈴木もさ、ここんとこ練習さぼっていたからダメダメかと思ったら、まぁ、それなりにほどほどって感じだったね」

「あれ。もしかしてアンタでしょ。呉田先輩に鈴木が練習不足だって情報流したの。だぁから、先輩は、嬉々として鈴木をご指名してきたのね」

「嬉々として? なんか、変な感じがする」

 その言葉の違和感に、思わずそう訊いてしまう慶子さん。

「ごめん、ごめん。そうよね。ちょっと嫌な言い方だったよね。まぁ、呉田先輩ってわたしたちの一つ上の先輩なんだけど。鈴木とは色々歴史があって」

 そう言うと、山路さんと和歌山君は顔を見合わせて頷きあった。

「鈴木って背が高いでしょ。それって中学に入学した時からそうで。まぁ、さすがに、今と同じくらい背が高かったってわけじゃないけどね、勿論。で、一方、呉田先輩はというと。まぁ、今も昔も変わらず、コンパクトといいますか。でもって、鈴木ってさ、何を考えているか掴みどころがないっていうかさ、飄々としたところが昔からあって。で、まぁ、呉田先輩はさ、ともかく熱い人なわけよ。そうなると、つまりが。……ねぇ」

 そう言って、山路さんは肩をすくめる。

「呉田先輩も、散々いびっていた相手が、一年後に自分よりも剣道が上手くなったわけだから、余計にむかつくよなぁ」

 いびっていた?

 慶子さんの眉間に皺が寄る。

「あ、いびるなんて、マジでしていた訳じゃないから……多分。呉田先輩、悪人ってわけじゃないんだから。ただ、そう、山路が言ったように熱いっていうか。熱すぎるっていうか。それから、呉田先輩の「対鈴木」が始まってさ。鈴木に負けないように、すげー練習して。それで、まぁ……勝っていたよな、鈴木に」

 和歌山君が山路さんに相槌を求める。

「うん。まぁ、勝ってはいたわね、呉田先輩」

 そう言った後、二人は考え込むように黙ってしまった。

「まぁ、あれだ! ほれ、呉田先輩も少し気の毒っていうか。山路、覚えてるか? 先輩の憧れの女子部の人が、鈴木にお熱だったこと。呉田先輩の態度には、報われない恋も絡んでいたのだよ」

「あぁ、あったわね、そんな面倒なことが。それにしてもお熱だなんて、妙に古い表現じゃない。和歌山」

「レトロかい? まぁ、ともかくさ、それで呉田先輩がとても落ち込んだのは事実だし。そういやさぁ、その先輩だけでなく鈴木って妙に年上に人気があったよなぁ」

「あら。人気があった、なんて過去形にしないでよ。今だって、とある情報筋によると、お店に来るミセスを魅了しているらしいわよ。鈴木は」

 その山路さんの言葉に、慶子さんは以前聞いた「マダムキラー」という渾名を思い出した。

「……あれ。予想外。全体的に無反応なんだけど」

「……だから、言ったでしょ。あんたが思う通りのことはないって」

 山路さんは肩をすくめると、慶子さんの顔を見た。

 すると、山路さんだけでなく、和歌山君も慶子さんの顔をじっと見ていた。

「な、なんでしょう」

 二人の視線に焦りながら、まさか、と思いさりげなく手で口を覆う慶子さん。

 昼食に食べたものが歯に挟まってでもいるんだろうかと、見当違いな方向に思考がいっていた。

「ねぇ、山路。なんかボク、キミの気持ちがよぉーくわかるよ。なんつーか、保護欲? あぁ、これじゃ、どこかの和菓子屋と同じじゃないか」

「ねぇ、和歌山。わかるのはキミの勝手だけど、そこまでだからね。間違ってもそれ以上の欲を出さないで頂戴よ・ねっ」

 ふふーん、と鼻息を荒くしながらも見つめあう二人。

 そんな二人を眺めながら、剣道部は本当に仲がいいなぁと思う慶子さんだった。



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