千の想いのミルフィーユ
鈴木学君の父、元視点の物語です。
いい夫婦の日だと知り、急遽書きました。
1000文字程度の短めスケッチ物語。
――よかったら、これ召し上がってください。
そう言って柏木慶子さんが置いていったのは、ミルフィーユだ。
なんでも、彼女が通う大学の側に新しく開店した洋菓子店で売っていたそうだ。
友達と食べておいしかったという。
今日、11月22日は「いい夫婦の日」だそうで、これと同じ菓子を自分の両親にも買ったらしい。
ミルフィーユは「千の葉」という意味だ。
何層にも重なった生地を葉に見立てたのだ。
「千」の文字や「重ねる」に縁起の良さを感じるのか、結婚式の引き出物だけでなく、祝い菓子としても選ばれていると聞く。
「元は紅茶? 珈琲?」
薬缶に火を掛けながら、妻が聞いてくる。
店では夫を「店主」と呼ぶ幼馴染みの彼女は、夫婦二人になると呼び名を戻してくる。
「珈琲。しかし、よかったのかな」
「貰わないほうが失礼よ。こういうのは、おいしくいただいて感想を言うのが大事なの。はいはい、開けちゃって」
それもそうだなと思い、水色の包装紙を開けると――。
「カードが入っているぞ」
「え? どれどれ」
やって来た妻に封筒を渡す。
ピンク色のカードをふたりで覗く。
『お父さん、お母さん。これからもずっと仲良くね。慶子』
「……」
「……」
「まいったな。これ、間違いだろう」
なぁ、と妻に同意を求めると、驚くことに彼女はぐずぐずと泣いていた。
「……わたしたち絶対、ぜーったい長生きしようね」
妻の言葉に、はっとする。
柏木さんのお母さんは、長患いをしていた。
ご家族も大変だったと聞く。
よくある言葉の裏には、それ以上に深い想いが込められていたのだ。
夫婦が夫婦でいられる時間は有限だ。
そんなこと、熟年夫婦がすったもんだあった末に、ようやく気が付けばいいことで、10代の女の子が気にしなくてもいいことだ。
やさしい娘をかなしく思ってしまうのは、大人の勝手な見方だろうか。
「安心しろ。簡単に死なないし、死なせないさ」
吐き出すようにそう言うと、妻が目を丸くしてこっちを見てきた。
「元ってさ、たまに驚くほど凄いセリフを言うよね」
泣き顔があっという間に笑顔になった。
彼女のこの明るさに、いったい何度助けられただろう。
年を重ねて、想いを重ねて。
苦労を重ねて、幸せを重ねて。
夫婦でいる。
夫婦になる。
そして、何年経ったって、やっぱり彼女にはかなわない。
尊敬する親友でもあり、心から大切に想う女性でもある。
「ところで、このお菓子どうしようかしら」
そんな妻の声が聞こえたかのように、電話が鳴った。
久しぶりの和菓子さま。
みなさま、いつもありがとうございます。