嵐を呼ぶ水無月 7(最終話)
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慶子さんが神社に行くシーンを未読の方は、この前の話、6話へどうぞ。
さて、京都にいる鈴木学君は、修業先の和菓子屋の寮で生活をしていた。
寮は、昔ながらの家を改築した、なかなかに趣のある建物だった。
木製の低い門をくぐる。
すると、すぐ目の前に狭い庭があり梅の木が植えてあった。
梅の木の右のガラスのはまった引き戸をあけると、土間のような玄関兼食堂がある。
それを抜けて二階への階段を上がって突き当りに、学君の部屋があった。
ちなみに、部屋は一階に四部屋と二階に六部屋の計十部屋だ。
どの部屋もベッドと洋服ダンスで一杯の狭いものだったけれど、窓からはいい風が入った。
寮の郵便ポストは共同なので、個人情報などない。
そこに月に一度、学君あてに柏木慶子さんからのはがきが届く。
それは、学君が想像した「手紙」とは大きく違ったけれど、でも、なんというか彼女らしくてやっぱりいいなと思ってしまう自分は、相当やられていると思う。
街中で、柏木さんの好きそうな封筒と便箋を見つけたので送ろうかと思ったけれど、それではまるで、長い手紙を欲しているようで(欲していたのだが)、やめた。
そもそも、学君は彼女の住所を知らなかった。
卒業式の日に彼女が手紙をくれると言った時点で、そこらへんの情報確保といった認識が甘くなってしまったのだ。
失敗だ。
けれど、その失敗のおかげで、思いがけず彼女と話すことができた。
それにしても、好きな女の子の声の破壊力は、半端ない。
――「きっと柏木さんも好きだと思う。だから――」
だから、おいでよ。
自分でも信じられないけれど、あの瞬間、学君は柏木さんを京都に誘おうとした。
柏木さんが京都に来てくれたとしても、案内などできるような暇などないのに。
それなのに、柏木さんに「京都に行きたいです」と言わせたかった。
……ダメだ。相当どころじゃない。
完全にやられている。
学君は首を振ると、彼女から届いた四通目のはがきを手にとった。
昨日届いたそれには、父が作った「水無月」が描いてある。
それを見ると、胃がぎゅっとした。
父が考えた「水無月」は、上下二層になっていた。
下の層は「水無月」でよく使われる外郎、ではなく葛だった。
葛に黒糖と寒天も加えられたものだ。
その上は、寒天にこし餡を混ぜたものを使っていた。
形のある豆は一粒だけ。
丹波の黒豆を皮まで柔らかく甘くしたものだけだった。
柏木さんの説明によると、食べ物を飲み込む力が弱くなってきた人でも喉につかえない「水無月」を目指したのだという。
そんな風に、父が新しいことに向っているのかと思うと誇らしい気持ちになるけれど、どこか心の底にざらりとした嫌な痛みも感じる。
負けたくない人がいる。
その人は、息子なんか忘れたように自分の道を進んでいる。
早く一人前になりたい。
でも、じっくりと学びたくもある。
狭い部屋、あっと言う間の窓辺に学君は立つ。
京都の暗闇が広がる。
とても静かである。
猫が鳴く声さえ、響きそうな夜である。
多分、先輩に怒られるだろう。
でも、かまわない。
先の見えない遠い闇に向けて、学君は大きく息を吸うと「負けねーぞ」と、叫んだ。