嵐を呼ぶ水無月 5
翌日の六月十五日、三限目の授業が急遽休講になった慶子さんは、ぽかりと空いてしまった時間を無駄にはしなかった。
慶子さんは、挨拶をしながらおやじさんの最中屋の暖簾をくぐった。
いつも人気のお店だけれど、たまたま今は慶子さんだけだった。
お店にはおやじさんと、お店の跡継ぎであるおやじさんの娘さんがいた。
娘さんはおやじさんの倍ほどの体つきで、いつも笑顔で頼もしい。慶子さんの母と同年代だ。
「よぉ、慶子ちゃん。今日は、いくつ買う?」
「四つお願いします。あと、ちょっとご相談があるのですが」
包んだ最中を慶子さんに渡したおやじさんが「なんだい?」と聞いてくる。
「デパートに行って来たんです。それで、既に『水無月』を売り始めているお店がいくつかあったので、あの……マンションの掲示板にその情報を貼ってもらうことはできますか?」
慶子さんの言葉に、おやじさんだけでなく娘さんも反応した。
「慶子ちゃん、ほんと、いい子。うちの一番下の息子のお嫁さんに来ない?」
「ばかいえ、あんな小学生の鼻たれになんて、やれるか。あぁ、俺が五十歳若ければ」
「お父さんが五十歳若くても、多分……かなわないと思うけど。まだ、うちの息子の方が将来性を感じる」
「おまえな、男は身長でも顔でもないんだ。ハートだよ」
いつもは忙しくて、次から次へと接客をこなしていく二人だけれど、話し出すとこんな感じで止まらない。
「お父さん、お店は暇だから慶子ちゃんとマンションに行ってきていいわよ」
「おまえな。本当でも『暇』って言うな。言霊ってもんがあってな、本当に暇になっちまうだろう」
「はいはい。気を付けます」と娘さんは明るく答えると、慶子さんに「父をよろしくね」とウインクした。
マンションは、おやじさんの店のすぐ目の前にあった。
三階建の立派な建物だ。
そのエントランスに入ると、おやじさんの達筆な字で「寿々喜」の「水無月」について貼り紙があった。
「どうする? 俺がまた書くか?」
「一応、書いてきました。これでいいでしょうか」
駅の近くの文房具店で購入した、罫線なしの便箋に慶子さんは「水無月」についての案内文を書いていた。
「これでいいじゃないか。よし、貼るか」
そう二人で掲示板を向いたとき、背後を歩く人が止まった。慶子さんとおやじさんが振り返ると、一人の男性がいた。
慶子さんと目が合い、互いに「あっ」と声を出す。
男性はすぐに慶子さんから目を逸らし、そのまま歩き出したが思い直したように戻ってきた。
「あの、和菓子屋の女の子だよね」
「はい。先日は失礼しました。あの……うちではまだ『水無月』を売ってないのですが、デパートに入っているいくつかのお店ではもう買えるんです」
慶子さんは掲示板に貼ろうとした紙を、男性に渡した。
「え? なに、これ。わざわざ調べてくれたの?」
「気になってしまって」
「まいったな」
そう言うと、突然男性が頭を下げた。
「この間はすまなかった。実は妻が早産で、生まれた子も妻も病院に入院しているんだ。懇親会も本当は夫婦で出るつもりでいたけど。欠席しようかと思ったけど、和菓子が出るって聞いて。妻は甘いものが好きだから、お見舞いに行ったときの話のタネになるかと思ってさ」
そこでおやじさんから「水無月」の話を聞き、いても立ってもいられなくなり、会を抜けて「寿々喜」に行ったそうだ。
「あの、ここに記したどのお店も電話で取り置きをしてくださるそうです。是非、奥様へのお土産にしてください」
「……デパートの名まえが二軒あるけど、それぞれ行って調べてくれたの?」
「たまたま、今日は大学の授業が休講になって、暇だったんです」
男性がくしゃっと顔を歪める。
「ありがとう。実はこの町には、前の会社を首になって再就職で来たんだ。以前はもっと都会で生活していて、だから、言葉は悪いけど都落ちしたような気分でさ。そしたら、妻が早産になって、いろいろもうケチがついて。ダメになったっていうか。なんか、もうこの町っていうか町も人も気に食わなくなっていた。そんな鬱憤もあったんだ。すまなかった」
そう言うと、男性は再び慶子さんとおやじさんに謝った。
「ダメなとき、あります。わかります。だって、わたしもずっとダメでした。でも、そんなわたしをわたしの知らないところで心配して、応援してくれていた人がいました。その人は、この町が大好きだったんです。だから、ほんとうによかったです」
エントランスのガラス戸を開けて、一人の小学生の男の子が入ってきた。
男の子はおやじさんに近寄り「じいちゃん、母さんが店に戻れって」と腕を引っ張っぱりだす。
「慶子ちゃん。これが、うちの娘が言った一番下の息子だけど、どう?」
いかにもピカピカの一年生のような少年を見て、慶子さんは困った顔で笑った。
***
六月十六日。
今日は慶子さんの誕生日でもあり、和菓子の日でもある。
慶子さんは大学があったため、午後から店に入った。
慶子さんが店にいるときに、以前「紫陽花もち」を購入したベビーカーの女性が友だちと一緒に来店してくれた。女性はあの日「水無月」だけでなく「嘉祥菓子」の予約も入れてくれたのだ。
多くの方に喜んでいただいた「嘉祥菓子」を、慶子さんは自宅に持ち帰る。
家では、慶子さんの誕生日ということで、母が作ったイタリア料理が並んでいた。
母は一か月ほど前から、近所のイタリア人女性が開く料理教室に通い出していた。
女性は日本語ができないため、コミュニケーション方法は英語か身振り手振りだそうである。
テーブルには、アクアパッツアにジャガイモのオムレツ、ラザニア、バルサミコ酢が香る色とりどりのサラダが並んでいる。
楽し気なその食卓は、そのまま母の料理教室での様子を表しているようで嬉しい。
そして、おいしい食事のあとの「嘉祥菓子」争奪戦。
慶子さんは父親相手のじゃんけんで、みごと枝豆餡の田舎饅頭を手にした。
「わたしと隣の和菓子さま」、本日発売でございます。
本当に、こんな日が来るなんて……。
密かに、剣道シーンもパワーアップです。
充実の一冊。
よろしければ、是非!
もし、書籍について「あれ?」なことがあれば(いやん~~)、わたしではなくお手数ですが出版社までお願いします(ぺこり)。
富士見L文庫さま(KADOKAWA)
http://fujimishobo.jp/help/faq.php#q01
そして、淋しいけれど……番外編は明日で最後!
最終日は6話、7話と連続投稿です。
慶子さんと鈴木君、出てきますよ~~