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嵐を呼ぶ水無月 4

 閉店後、最中屋のおやじさんが「寿々喜」にやってきた。師匠と女将さんだけでなく、慶子さんもその場に呼ばれた。


 おやじさんが顔を顰めて謝りだす。

「悪かった。いやさ、昨日のマンションの懇親会がよ、若い人ばっかりで。和菓子が苦手なんて言うから、いろいろ熱くなっちまって。で、そこに『寿々喜』の上生菓子だよ。あれこれ言ってた人らが『紫陽花もち』を見て目の色変えてさ。もう、写真をバンバン撮りだすんだ。なんか俺もさ、それで天狗になっちまってつい『水無月』のことも話しちまったんだよ。俺もさ、『水無月』をなんどか試食しただろ。だから、なんていうかな、自分のことのようにあの菓子がかわいいんだ」

 女将さんから電話を受けたおやじさんは、すぐにマンションの掲示板に「『寿々喜』での『水無月』の販売は月末です。すみませんでした』と貼り紙をしてくれたそうだ。


――「あの菓子がかわいい」


 慶子さんもおやじさんの気持ちがよくわかる。

 五月に入ったころから、師匠は様々な『水無月』を作り、それを慶子さんや女将さん、最中屋のおやじさんに試食させた。

 はじめは自分の目の前で「寿々喜」の菓子が出来上がっていく興奮しかなかった慶子さんだったけれど、それはいつしか責任感となり、完成した今ではその気持ちは愛着となった。

 たくさんの方に食べていただきたい。

 一つの菓子に対して一体感が生まれ、そんな思いが自然とわき上がってきたのだ。

「寿々喜」で、夏越の祓に合わせて「水無月」を販売することについては、試食メンバーと「水無月」へのお問い合わせをいただいたお客様にしか伝えていない。

 もちろん、六月十六日の「嘉祥菓子」の販売を終えたあとに、店の外にも張り紙を貼る予定だ。

「寿々喜」は個人経営なので、今できる仕事の量との兼ね合いで優先順位を決めて動かなくてはならない。だから、情報の出し方にも、ちょっとした工夫が必要だったのだ。


 女将さんがおやじさんにお茶を勧め、話し出す。

「今日、やけに『紫陽花もち』が売れた理由も昨夜の懇親会に関係しているのかもしれないですね。『紫陽花もち』についてはありがたいですが、『水無月』。雨の中来店した男性が、マンションの方だと確定はできないですけれど、おじさん、気を付けてくださいね」

 おやじさんは「すまん」と言って、すすっと最中の入った袋を女将さんと慶子さんに渡してきた。

 女将さんは遠慮なくそれを受け取り、慶子さんにも貰うように言った。

「慶子ちゃんにも、迷惑かけたな。とんだことになったものだ」

 慶子さんは首を振る。

 それにしても、あの男性がマンションの住人だとしたら、時間を考えるとその人は懇親会を抜け出して「寿々喜」に来たのだ。

「やっぱり、おやじさん絡みか」

 驚いたことに、師匠は薄々あの懇親会が怪しいと思っていたらしい。

 慶子さんが口を開く。

「今の時期でも『水無月』を買えるお店ってありますか?」

「『水無月』は、京都で広まった菓子だからな。うちでも去年までは作っていなかったように、例えば、柏餅みたいにその時期になれば多くの店で扱っている菓子とは違う。『水無月』を扱っている店の中で、さらに早い時期から売っている店を探すのは大変かもしれないな」

「……それなら、デパートに入っている京都のお店なら売っているでしょうか」

「そうだな。それは十分にありだな」

 慶子さんは、いくつかのデパートと京都に本店がある店を頭に浮かべた。

「そういや、三代目はどうして『水無月』を売ることにしたんだ?」

 すっかり立ち直ったおやじさんが、お茶をすすりながら聞いてくる。

「『水無月』は、京都の和菓子店の人たちが努力して広めていった菓子だから、それを自分が作るのはどうなのかって思って。ただ、実感としてここ十年で『水無月』の認知度が東京で広がったように思えて、それと同時にお問い合わせをいただくことも増えたんですよ。あとは、ご近所の常連の方々からの希望がありましてね」

 春ごろから御隠居さんのお友だちの方々が「『寿々喜』の『水無月』が食べたい」と、店に来るたびに言ってくださっていたのだ。

 師匠は「あれは、父の策略だ」と言っていたけれど、作り手として「『寿々喜』の『水無月』が食べたい」といった言葉は殺し文句だと、女将さんがこっそり教えてくれた。

「常連さんが、そんな厄払いの菓子があるなら食べたいって。神社に行ったあとに買いたいって。孫や子どもたちと長く健康で過ごしたいって。そういった行事を「寿々喜」(うち)と一緒にやりたいって言われたら、もうね。作るしかないでしょう」


 「寿々喜」の菓子が誰のためにあるのかといえば、お客さまのためだ。

 そして、なぜ人がお菓子を食べるのかといえば、楽しみのためでもあるし、息抜きのためでもある。

 縁起をかつぎたい思いもあるし、祈りだってあるだろう。

 慶子さんだってそうだった。

 手のひらほどの小さなお菓子に、人はどうしてこうも心が動かされるのだろう。


「うちの三代目は、材料おたくだから。もう、試作の材料費だけで大変なことになってますよ。『嘉祥菓子』が終わったら、わたしは店のあちこちに張り紙して、小さな宣伝の紙も作ってお客さまに渡してばんばん売りますから。そのときは、おじさん、また宣伝よろしくお願いしますね」

「わかったよ。うちの店でも宣伝するよ」

 おやじさんは胸をどんとたたくと、そのまま咳き込んだ。


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