嵐を呼ぶ水無月 1(六月)
お待たせしました、慶子さん大学生編です。
(以前HPに掲載していたものとは、お菓子の設定や物語の内容が違います。脳内で変更お願いします)
閉店間際の土砂降りの雨の中「和菓子屋 寿々喜」のガラス戸が乱暴に開けられる。
「『水無月』って和菓子、売ってるんだろう?」
傘など役に立たなかったといわんばかりのずぶ濡れ具合の若い男性が、店番をしていた慶子さんに詰め寄ってくる。
今日は、六月十三日。
「水無月」は、六月三十日に神社で行われる夏越の祓の神事と関係した菓子のため、「寿々喜」での販売は二週間以上先だった。
閉店後、鈴木家の台所のテーブルについた柏木慶子さんは、しょんぼりとした顔で師匠と女将さんを前に項垂れていた。
ここ、鈴木家の台所は、三月から「寿々喜」でアルバイトを始めた慶子さんにとり馴染みの場所となりつつある。
台所は縦に長く、小窓に面して流しとガスコンロが並んで置かれている。
そして、それに並行するように、長方形のテーブルがあった。椅子は五脚。
以前、女将さんに聞いた話によると、流しやコンロに近い席は女将さんと師匠の亡くなったお母さまが座り、その二人と向かい合っての席は和菓子さまこと鈴木学君と御隠居さんだったそうである。
師匠の席は、所謂お誕生日席だ。
慶子さんは、鈴木君の席に座っている。
女将さんに勧められた席がそこだったので、言われるがまま座ってはいるけれど、いつもなんとなく落ちつかないし恥ずかしい。
でも今は、そんな気持ちなど吹き飛んでいた。
「水無月」を求めて来店されたお客さまの怒った顔が忘れられない。
あんな顔を自分がさせてしまったのかと思うと、ふがいなさで頭がくらくらする。
「お客さまは男性で年は二十代後半くらいだと思います。『水無月』を希望されていらしたのですが、わたしの対応が悪くて。『おまえの態度が気に入らない。どうせ作るんだから、いつでも食べられるように作っておけ』って仰って、出ていかれました」
「威嚇するような、大きな声だったわ。わたしが店に出たときは、もうお帰りになったあとだったわね」
あのとき女将さんは店にいた。けれど、店の奥の電話で菓子の注文を受けていたのだ。
そして師匠は、近くの公民館へ上生菓子の配達に行っていた。
新しく建てられたマンションの住民の懇親会で、その土地は最中屋のおやじさん所有の土地だった。その縁で入った注文だったのだ。
慶子さんは男性客との会話を、感情を交えずできるだけ正確に師匠と女将さんに伝えた。
「水無月」の販売については、六月に入ってからぽつぽつとお問い合わせをいただいていた。
女将さんや師匠がするその対応を、慶子さんは間近でなんども見てきた。
だから、自分にもできると思ってしまった。
けれど、それは大間違いだった。
女将さんを呼ぶべきだった。
同じ「ない」にしろ、女将さんからの話なら、あのお客さまもあんなに怒らずに、気持ちよく帰っていただけたのだ。
しゅんとした慶子さんに女将さんがお茶を勧めてくれる。煎茶だ。両手で湯呑を包むよう持つ。
陶器越しのまろやかな暖かさがじんわりと気持ちいい。
そのままお茶を口に含むと、新鮮な香りが鼻から抜けていき、丸みのある味に心が落ち着く。
胃の中が暖かくなると、元気がでるのはなぜだろう。
「わたしには柏木さんが、そこまでお客さまがお怒りになるような対応をしているようには思えなかったわ」
「それはきっとわたしの話し方が下手で、自分の都合のいいように話してしまったからだと思います」
「そうだとしても、柏木さんの普段の様子から考えて、人の怒りを買うなんて考えられないのよね」
師匠が顎に手を置く。
「二十代の男性が『水無月』を買いに来たのか。そこの世代にも、和菓子のニーズはあるんだな。それは嬉しいな」
「……ちょっと、嬉しいとかそんな話じゃないでしょう。まぁ、嬉しいけど。じゃなくて、この萎れた柏木さんを前にして、よくもまぁ、そんな菓子の話を」
「ごめん、ごめん。そうだ、柏木さん、その男性についてなにか気になったこととか、引っ掛かっていることはあるかな」
師匠の問いかけに慶子さんは、はっと顔を上げた。
「とても、切羽詰まったような様子でした。たしかに、雨は土砂降りでしたけれど、お客さまがお持ちになっていたのは大きな傘で、それなのにまるでさしてないかのように、濡れていて」
慶子さんは男性の荒い息遣いを思い出す。
「あの方は、走ってこられたのかもしれません」
「まぁ、雨の中を? 『水無月』を買いに?」
「そうです。すごく、焦られていて」
「そんなに焦らなくても、お店が逃げるわけでもあるまいし」
「逃げます! じゃなくて、閉店時間がきます。あの方は『寿々喜』の閉店時間をご存じだったのではないでしょうか」
だから焦って、走って来たのだ。
「そうか。それなら、うちのご近所の方なんだろう。それにしても――」
そう言うと師匠は言葉を切った。
慶子さんと女将さんが師匠をじっと見ると、慌てたように「なんでもないよ」と手を振った。