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19・ふたたびの、仙寿(前編)/(三月)

最終回なのに、まえがきです。

物語に早く進みたい方が多いと思いますので一点だけ。

今月は、季節が一巡したということで、和菓子に関する記述はあまりありません。

剣道部員たちの卒業についての物語が中心です。ご理解いただけたらと思います。




 季節は、ぐるりと一回り。

 

 弥生、三月、ひな祭り。

「あこや」に「菱餅」「ひなあられ」。

「草餅」食べて、厄を除け。

 そして、全てのはじまりの「仙寿」。

 慶子さんは、母親と一緒に雛人形をしまいながら思った。

 一年前は出会いの季節だった三月が、今はそれぞれの旅立ちの季節であると。


 卒業式まで、あとわずか。

 




 伸びてきた髪を指先でつまむと、和歌山わかやま 真司しんじ君は、はぁとため息をついた。

 春休みには、じいちゃんの畑の手伝いに行くことになっている。和歌山君は土いじりが好きなので、文句はあれこれと言ってみるものの(これは甘えだって自覚はある)、実際のところ野菜作りは好きだった。

 それをはっきりと意識したのは、この間の夏休みのことで、畑仕事に夢中になるあまり剣道部の合宿に遅れてしまったほどだ。

 そして、進路も、親やじいちゃんを巻き込んで大騒ぎした挙句、滑り込みで運よくアグリカルチャー系の大学への学校推薦をちゃっかりと取り、合格まで手にしていた。

 学校の成績もまぁ良く、部活もまぁまぁ続けていたというのが幸いした。

 やるべき時にやるべきことをやっているということは、強みになる。いつなんどき、こういったチャンスが降ってくるか、わかったもんじゃない。

 しみじみと実感した和歌山君。

 なのに、彼の表情には覇気がない。いつもより多い回数、側にある鏡を覗き込んでは、再びため息をつくあり様だ。和歌山君は、絶壁気味の後頭部をひと撫ですると「頭の形がなぁ」と、つぶやいた。

 和歌山君は、じいちゃんも好きだし、畑仕事も好きだ。

 そのじいちゃんは、和歌山君を見ると、彼の頭を坊主にしたがる。

 春休みの自分の髪型を思い、和歌山君はやれやれとため息をついた。



 岡山おかやま 康弘やすひろ君は、先日送られてきた大学の入学書類をまじまじと見ながら、この一年のことを振りかえった。

 両親ともに公務員である彼にとり、進路とは即ち両親と同じ道であった。それが両親の意向でもあったし、昨今の日本の状況を思えばその答えは、正解以外のなにものでもない。そう、自分でも思っていた。

 人生に冒険は不要である。

 しかし、高校二年生の冬、たまたま友人から貰ったチケットで観に行った映画で、全てが変わった。岡山君は、映画と出会ってしまったのだ。一本の映画が、岡山君に「映画の世界」への扉を示してしまったのだ。

 岡山君は映画館を出るなり携帯電話でこの監督について調べ、その足で彼の係わった映画のDVDを借りた。

 それからが大変だった。

 岡山家始まって以来の、大乱闘時代が始まった。

 当然、大反対の両親とは、しつこいまでの話し合いが行われ、時には、人格を否定されるような言葉も言われた。

 しかし、結果、現在彼は希望した大学への入学書類を手にしている。受験に関しては、自慢じゃないが、日ごろから成績は上位で、勉強は苦ではなかったため、スムーズだった。

 けれど、ここがゴールじゃない。四年間の執行猶予だと思っている。

 実のところ両親は、岡山君が「映画の世界」に進むことを認めたわけじゃないからだ。そのことを、岡山君は誰よりもよくわかっていたのだ。

 人生に冒険は不要である?

 NO。

 人生こそ、冒険だ!



 年度末で忙しい両親に代わり、北村きたむら はやて君は中学二年生の弟のために昼ご飯を作り始めた。インスタントラーメンだ。

 自宅で公認会計士の事務所を開く北村家では、こうしたことはよくおきる。北村君は、焼きそばや、うどん、ラーメンといった麺類なら、母親よりもうまく調理できるようになっていた。

 弟がラーメンの器や箸を用意しながら、話しかけてくる。

「兄ちゃんも、やっぱり会計士になるの?」

「そうだよ」

「兄ちゃんは、数字が好きだもんね。俺は全然好きじゃない。むしろ嫌い。勉強だって嫌いだし、うちの仕事なんて継ぎたくない」

 弟の言葉を背で聞きながら、北村君はラーメンにいれるキャベツや玉ねぎを鍋に投入した。醤油味の煮卵とチャーシューは昨夜作ったし、もやしは、すでに別の鍋で軽くゆで、塩コショウとゴマ油であえてある。白髪ねぎは、今日は割愛しよう。

「いいんじゃないか。ただ、それならなおさら、勉強はしておいたほうがいい」

「会計士を目指さないなら、別に、勉強なんかしなくてもいいじゃん」

「俺の友達の和歌山は、高校三年の夏休みに突然進路を変えて、農業系の大学に学校推薦で入った。公務員を目指していた岡山は、高校二年生の終わり辺りから映像関係の大学進学を考えていたようで、合格した。いつ、どんなタイミングで、なにに出会うかわからない。その道に進む切符を手に入れるために、学生である俺らが持てる武器は、勉強であり成績なんだ」

「……なんか、説得力あるな」

「ある意味、勉強は楽かもしれないよ。正解があるし、もらった点数の分だけ評価されるから」

 北村君は、自分たちとは別の評価の世界へ身を置くことを選んだ鈴木すずき まなぶ君を思いながら、テーブルの上に鍋のまんまのラーメンをどんと置いた。それを、弟がせっせと二人分の器に取り分ける。

 野菜たっぷりのラーメンに、味付けもやしにチャーシュー、煮卵。

「兄ちゃん、俺、思うんだけどさ。兄ちゃんは、会計士よりラーメン屋が合うと思う」

「……」

 北村君の明日はどっちだ。



 福地ふくち 裕也ゆうや君は、腕を組んできた常盤ときわ 冬子ふゆこさんに嫌そうな目を向けた。

 密着している為、福地君からは常盤さんの頭のてっぺんしか見えないが、そのてっぺん一つとっても常盤さんは美少女だった。

「なんで俺を選ぶかなぁ」

「この間は、北村でしょう。その前は和歌山だから、今回は福地で、次回は岡山。言わせてもらえば、美人でオトコマエの常盤さんに腕を組まれて嫌そうな顔をするのは、剣道部の三年男子くらいよ」

「鈴木には頼まないのか?」

「わたしだって、そこら辺は察して人を選ぶんです」

 常盤さんはそう言うと、ほらほらと福地君をひっぱり歩く。

 卒業式の練習も終わり、ぞろぞろと教室に戻ろうとする途中で、福地君は常盤さんに捕まった。その様子を見ていた山路やまじ あかねさんに「ファイト」なんて言われて、げんなりした福地君。告白の定番とも言われる校舎裏まで、連行されている。

 一昨日、北村君から、常盤さんに酷い目にあわされたと聞いた。彼女に恋する男に、あやうく殴られそうになったのだ。とんだ災難だったとぼやく北村君を笑っていた福地君だったが、まさか自分も同じ憂き目にあうとは予想していなかった。しかも、常盤の話では、北村君だけでなく、和歌山君もすでに生贄になったとか。そういった情報は、共有してほしい。常盤のモテ具合を甘く見ていた。

 まだ受験を終えていない仲間はいるものの、概ね付属大学や学校推薦で大学を決めるこの学校の生徒たちは、卒業までの数日間をこうした「イベント」で盛り上げて過ごしていた。

 ミス学園に輝いたこともある常盤さんだけに、こういった「イベント」への呼び出しは多い。そしてそのたびに、常盤さんは目についた剣道部仲間を連れては、断りに行くのだそうだ。

 思えば、毎回、毎回、常盤は律儀に、その「イベント」に付き合ってあげている。無視だってできるだろう。なにも、告白される側が、告白する側につきあう理由なんてないのだから。

 呼び出す男たちは、どれほどの勝算を考えているのだろうか? 

 ゼロに近くても、告白したいものなのか? 

 想いを伝えたいのか? 

 そこまでの恋情を、福地君はまだ知らない。


 

 山路 茜さんは困っていた。 

 中学校から何度か同じクラスになった男子から「柏木さんを紹介してほしい」と、頼まれたのだ。

 紹介といっても、文字通り自己紹介をしあうようなものではなく、その裏にはきっちりとラブがあるんだろうなと察してしまう紹介だ。

 いつもの山路さんであれば、はなから受けないけれど、「もうすぐ卒業」という独特の空気の中で無下にできなかった。

「本人に聞いてみるから、返事はそのあとで」

 とりあえずそう答え、教室を出た山路さん。いざ、柏木さんのクラスに向かおうとした途端、足が鈍った。

 彼女はきっと会うだろう。会うだけでなく、相手に絆され、付き合ってしまうかもしれない。

 十分にあり得る。

 なにせ、柏木さんは前科持ちだ。

 柏木さんが剣道部に入ったのだって、引退まで一緒に活動してくれたのだって、ある意味、鈴木君や山路さんに絆されたからに違いない。

 悩む山路さんの目に、廊下の前方を行く背の高い男の背中が映った。なんと、良いタイミングか! 

「ちょっと、鈴木の旦那、緊急事態発生よ」

 足を止めた同級生を誰もいない視聴覚室に誘う。そして、今あったこと全てを話した。

「――と、いうわけなのよ。どうしたらいいと思う?」

「無視」

「え? む、無視? どういう意味よ」

「ほっとけ、って意味」

「ほっとけ? 何もするなってこと?」

「そう。直接本人ではなく、山路に『紹介して』なんて頼んできたんだろ。なんだそれ。問題外。うっちゃれ」

「うっちゃ……」

 思いもよらぬ、鈴木君のはっきりとした言葉に、山路さんは驚いた。

「つまり、あんたもそうしてきたのね」

 山路さんの問いに、鈴木君は答えない。

 昨年五月に行われた新入生のための部活勧誘において、柏木さんの頑張る姿が一部の男子に好評だった。鈴木君は、部活だけでなくクラスも柏木さんと同じだった。そのため、彼に何人かの男子生徒が彼女を紹介してほしいと相談したらしい「噂」を耳にした。てっきりガセネタだと思っていたけれど。

「でも、もしそんなことして、直接本人に言うなんてことになったら、どうするのよ」

「直接言えたら、山路には頼まないだろう。それに、もしそんなことになったなら、相手に断りに行く時に、ついて行ってもいいし」

「ついていく? あんた、なに言ってんの。それに、どうして柏木さんが断るって決めつけるの? 彼女、絆され体質なんだから、情に流されるかもしれないよ。剣道部に引き込んだのだって、そんな感じだったじゃない」

「断るよ」

 迷いなく鈴木君が答える。

「え? なに? もしかして、すでに二人はそんな関係なの?」

 鈴木君は答えない。

「たいした自信家ね。柏木さんは、あんたがなにも言わなくても、大人しく待っているとか思っているの? 自覚してるなら、行動に移しなさいよ。誰かにとられちゃうよ」

「絆され体質につけこめない」

「そうだけど」

「それに、どんな言葉も嘘になる」

「……」

「なるようにしか、ならないでしょ」

 今の鈴木には、なにもない。

 自分の未来さえわからない。

 だから、柏木さんに、約束さえできない。

 正論だけど、なんだか悲しい。

「鈴木って、女の子を見る目はあるんだね」

「そりゃ、どうも」

「わたしね、柏木さんがとても好きなの。わたしはずっと彼女の味方でありたいの。だから、たぶん、きっと、あんたの味方でもあるんだわ、悔しいけど」

「そうか」

「でもね、わたしが男だったら、確実にあんたのライバルだったんだからね。それを忘れないでね」

「覚えておく。山路、ありがとう」

 鈴木君が笑った。その笑顔を、山路さんは悪くないと思った。



 柏木 慶子さんは、戸惑っていた。

 常盤さんに引っ張られて、連れていかれた校舎裏には、去年、慶子さんと同じクラスだった男の子がいた。山路さんや福地君から、常盤さんへの告白イベントの話は聞いていた慶子さん。話によると、毎回、常盤さんはボディガードとして剣道部男子を連れて行くのだそうだ。

 ちょっとした修羅場になると福地君は話してくれたが、今回、選ばれたのは慶子さんだった。目の前の男の子を見て、慶子さんは慄く。修羅場って、なにが起きるのだろう? くわしく話を聞いていればよかった。

 けれど、次第に腹も立って来た。

 告白だからって、女の子をこんな人気のないところに呼び出すのは、おかしい。慶子さんだって怖いと思う様に、常盤さんはもっと怖いに違いない。そして、彼女は、毎回毎回、男子からのこの告白イベントに付き合ってあげているらしい。常盤さんは、なんて優しいのだろう。慶子さんの心に、常盤さんの力になりたいと思う気持ちがわきあがってきた。

 常盤さんが慶子さんと腕を絡ませ、体をぴたりとつけてきた。常盤さんの長い髪からは、シャンプーのいい香りがした。

 男の子が、常盤さんと慶子さんをかわるがわる見て、目を泳がせる。

「こーいうことなんだけど。ご理解OK?」

「……女の子同士、仲がいいってことだけだろう」

「男が入る隙なんかないっていいたいの。ましてや、なんなの? 関係も築かぬまま、いきなり告白なんて、ないわ。プロセスを踏まずに、お姫様をゲットしようなんて甘い。キミは恋愛をなめている」

「なんだよ。柏木さんも同じ意見かよ」

 男の子が顔を赤くして慶子さんに視線を向けた。

 彼は常盤さんが好きなのだろう。

 好きだから、告白する。

 それは、あたりまえの感情だ。

 気持ちを伝えたいのは、慶子さんだってよくわかる。

 人を好きになるきっかけは様々で、恋にもいろんな形がある。

 それを否定するつもりはない。

 ただ、慶子さんの好きは違う。

 慶子さんの好きは、交わされた言葉や、重ねられた信頼、友情。そのさきに、ようやく見つけた大切な気持ちなのだ。

 目の前の男の子は、一般的な意見ではなく、そんな慶子さんの意見を求めている。

「わたしも、常盤さんと同じです」

 どうか、常盤さんの気持ちが伝わってほしい。

「……わかった。反省する。大学も同じだから、そこで、頑張るよ」

 その男の子は、慶子さんをじっと見ると、ふいに視線を上にあげ苦い顔をしたものの、黙ってその場から立ち去った。

 慶子さんと常盤さんは、揃って大きなため息をついた。自然と組んでいた腕も離れる。

「わたし、手汗をかいちゃいましたよ」

「あれ? 柏木さんって告白って初めて?」

「初めてですよ。常盤さんって、本当にもてるんですね」

「え? わたし?」

 常盤さんが、ぎょっとした声を出す。

「福地君や山路さんから聞いてましたけど、まさか、わたしまで告白現場に駆り出されるとは思ってませんでした」

「あれ? うーん。おかしいな」

「大学、常盤さんと同じなんですね。気を付けてくださいね」

「……そうだよね。気を付けないと。山路だけでなく、福地や北村に伝えるわ」

 大学は違っても剣道部の絆は凄い。慶子さんは、感動する。

 ふいに、足音がした。

 慶子さんと常盤さんが揃って振り向くと、和菓子さまこと鈴木 学君がいた。和菓子さまは、見るからに不機嫌そうだ。

「きみたち、なにやってんの? こんな人気のない場所に女の子二人で乗り込むなんて、なに考えているの?」

「常盤さんと、ちょっとお話しがあって、わたしが誘って」

「話しなら、もっと明るい場所でしなよ」

「おっしゃる通りです」

 慶子さんは項垂れる。

「鈴木、いつからいたの?」

()()()()()()()()()()は、確認した」

「わたしが言うのも野暮だけど、鈴木さぁ、京都へ行くのやめたほうが――」

「ダメです。京都には行った方がいいです」

 常盤さんの言葉を慶子さんが遮る。

「学びたい場所があるなら、そこに行くべきです。常盤さんだってそうでしょう?」

「まぁ、そうだね。そうだった。ごめんね、柏木さん」

 常盤さんが慶子さんの手を握った。

「わたし、柏木さんに言ってなかったと思うけど。あなたのこと、好きよ」

「わたしも常盤さんが好きです」

「――だって、鈴木。羨ましいか」

「ハイハイ、ソーデスネ」

 和菓子さまのおどけた返事に、慶子さんと常盤さんは顔を見合わせて笑った。笑いながらも、慶子さんは心がスカスカするようなさみしさを感じていた。

 和菓子さまが京都に行ってしまったら、今のように偶然顔を合わせる機会はなくなる。

 京都。

 和菓子さまが、京都のどこで暮らし、どのお店で学び、どのくらいの間修業をするのか、慶子さんは知らない。

 ――知りたい。

 それは、友達として許される範囲?



 学校の帰り、慶子さんが「寿々喜」の暖簾をくぐると、女将さんと御隠居さんが顔を突き合わして相談していた。

「お忙しいようなら、また後できますが」

「ごめんなさい、柏木さん。そんなんじゃないの。お父さんがね、また。旅に出るって言いだしたから、少し時期を待ってくださいってお願いして。カレンダーを見ていたのよ」

 そういえば、慶子さんが初めて御隠居さんを見たのは、クリスマスの頃だ。

「毎回、どれくらいの期間、旅に行かれるんですか?」

「ぼくね、だいたいいないね。お正月は家族と一緒だけど、あとはあちこち。ヒッチハイクだから、寒い間は嫌ね」

 ヒッチハイク! 御隠居さんは、何歳だろう。

「危ない目にあったこと、ないですか?」

「ここでの生活以上に、危ない目にはあったことない。今じゃないよ。昔、大昔。ガイジンが和菓子作るなとか、アメリカに帰れとか、もう、酷かったから」

「アメリカが故郷なんですね」

「違う。故郷は、ここ。ぼく、奥さんと幼なじみだもん。日本人は、不思議。外国人を見ると、みんなアメリカから来たと思うんだもん」

 御隠居さんは、慶子さんに椅子を勧めてきた。慶子さんの向かいに、御隠居さんが座る。女将さんがお茶を用意してくれた。

「大昔、嫌だったね。今はあの頃とは比べものにならないくらい、平和。ガイジンだって、いじめられない。ヒッチハイクだって、すいすいできるほど。奥さんと夢見た未来がここにあるのに、奥さんがいないのは悲しい」

 女将さんが、でも、お父さん、と話し出す。

「お店に、学もいなくなって、さらにお父さんまでいなくなると、いよいよなんだけど」

「いよいよ、でいいんじゃないの?」

「そうよね、お父さんからGOも出たし、そうするわ。未来あるお嬢さんを囲い込むようで、心が痛むけど」

「かわいい学君のためだもん。少しくらい、エゴ出してもいいじゃないの。どう思う? 柏木さん」

 どうにも、こうにも話の流れがつかめない慶子さん。もう一度、話を聞こうと思ったけれど、お店の経営に関する話に自分の意見は不要だろう。女将さんと御隠居さんが乗り気なら、それでいいのだ。

「いいと思います」

 にこりと笑う慶子さんに、御隠居さんは、飲んで飲んでとお茶を何杯も勧めてきた。




 浮足立った卒業式までの数日が過ぎた。 

 学校に置いてあった各自の荷物の持ち帰りにより、教室はどんどんとクラス独自の色を失っていった。

 そんな中、教室の黒板には、次々と寄せ書きが集まった。

 自分が進む大学名や、好きだった購買部のパンのベストテンや、宛先のない告白文などさまさまな言葉が、所狭しと色とりどりのチョークで書かれた。 

 くすくすと笑いながら秘密の言葉を書き込むクラスメイトとともに、慶子さんもそこに言葉を寄せた。


 

 そして、卒業の日が来た。



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