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15・掌の上の山茶花/(十二月)

 王様の耳はロバの耳。

 慶子さんの頭に、いつかと同じフレーズが蘇る。

 以前も口止めはされなかった。

 そして、今回も。

 それは信頼されているというよりも、そこまでの間柄ではないのだと、慶子さんには思えた。



 

 ジングルベルのメロディが街のあちこちで流れる十二月、試験の最終日をどうにか終えた柏木かしわぎ 慶子けいこさんはふらつきながらも家に向っていた。

 目指すはベッド。ともかく眠りたかった。

 試験中の睡眠時間は、あるようなないようなものだった慶子さん。一刻も早くお気に入りのふもふもとしたブランケットにくるまって、思う存分眠りたかった。

 いつもよりも軽めのカバンが肩からずり落ちるのを押さえた時、肘の内側でカバンの外ポケットにある携帯電話が震えたことに気がついた。 

 おそらく母親からのメールだろうと思い、道の端により携帯を開いた。

「あぁ、はいはい」

 案の定の母親からのその内容は、図書館で予約した推理小説を取ってきて欲しいというものだった。母親は、運がいいというか、タイミングがいいというか。慶子さんは今まさに図書館の前を通過中。母親からの神がかったメールに感心していると、電柱の上に留まっていたカラスと目が合った。ちらりと、この鳥は母親の使いだろうか、などとファンタジーなことを考えた慶子さん。そして、そういえばそんな小説を以前読んだことも思い出し、さらにそういえば、最近は勉強ばかりで(!)本を読んでいないことにも気が付いた。

 せっかく図書館に寄るのならと、自分が読む本も物色しようと慶子さんは思った。


 にまにまとしながら図書館を出る慶子さん。以前から読みたいと思っていたファンタジー小説を見つけたのだ。 

 カバンの中には、母親の本と自分の本。好きな物語を読めるというだけで、どうしてこんなにわくわくするのだろう。眠気も忘れ足取りは軽やかだ。そして、軽やかついでに、慶子さんは裏の通りをお散歩しながら帰ることにした。

 昔ながらの家が多いこの通りには、童謡に出てきそうな垣根もあり、慶子さんは心の中でその歌を口ずさんだ。ジングルベルもいいけれど、この景色にはこの歌が合う。

 慶子さんの目に、またまた歌の通りの山茶花の花が映った。紅色くれないいろしたその花は、咲く花も少ないこの季節において、ひときわ鮮やかだ。心にしみる光景に、慶子さんはしばし立ち尽くす。寒風にゆれるその花は、健気ですらある。

 春、どこまでも歩いて行きたくなるような陽気に誘われこの道を歩いた時は、花のつぼみが今まさに開くようなそんな期待感があった。季節は変わり、景色も変わった。

「寿々喜」の大きなダクトが目に入る。

 あの日、ここからあの甘くいい匂いがしなければ、慶子さんは「寿々喜」に行くことはなかっただろう。一期一会の出会いが、慶子さんの今へと続いている。


ふわりと、ダクトから甘い香りが漂ってきた。慶子さんは足を止めた。

この匂いはなんだろう。

慶子さんは首を傾げ、あの日のように、角を曲がり「寿々喜」の店の前へと行った。

 お店を見る限り、特別に変わった様子はなかった。はてと思い、視線をダクトのある方向へと向けた時だ。

「Hahaha!  Hahaha!」

「寿々喜」から出てきた大きなサンタクロースが、慶子さんの目の前にやってきた。赤と白の服を着たサンタクロースは、赤い帽子も被っていた。

 髭は付け髭のようだったが、帽子から出ている銀髪は、鬘ではなくどうみても本物だった。鼻は高く、目の色も少し淡くて。つまりが、外国人のおじいさんだ。

 和菓子屋さんの前でサンタクロースに遭遇する確率は、どれくらいのものだろうか。たとえそれが天文学的数字だろうと、ともかく慶子さんは遭遇したのだ。

「Merry Xmas!」

 サンタクロースはそう言うと、持っている袋から小さなビニール袋を出し慶子さんに渡してきた。

「さ、サンキュー」

 慶子さんは受け取りながら、なんとか英語でお礼を言う。慶子さんは渡されたものを見た。 それは、人形の形をしたクッキーで、クリスマスシーズンによく見るものだった。

「寿々喜」で作ったものだろうか? でもまさか、「寿々喜」でクリスマスクッキーは作らないだろう。つまり、これは、なに?

「おや。お嬢さんは、うちのお得意さんかな」

 慶子さんは驚いた。今、自分にはこのサンタクロースの話した内容が分かったのだ。このところ頑張った勉強の成果がこんな形で出たのだろうか。

「お嬢さん、よかったらお茶でも飲んでいくかい?」

 サンタクロースが、「寿々喜」を指す。

 なんと。今も聞きとれた。

 ここで、ようやく冷静にこの状況を理解した慶子さん。サンタクロースの話す言葉は、英語ではなく全て日本語なのだ。そして、このサンタクロースに自分はお茶に誘われたのだ。

 けれど、慶子さんがその結論を出すよりも早く、いつかの春の日をなぞるように、慶子さんはサンタクロースにより「寿々喜」の店内へと連れて行かれたのだった。 


「いらっしゃいま」

 ま、のところで言葉を止めたのは、師匠だ。

 眉間に皺を寄せながら、サンタクロースと慶子さんを交互に見ていた。

「この子、すごく可愛いでしょう。ぼくが見つけたお客様。お店の前で拾ったよ」

 軽い言葉でサンタクロースは言うと、最早指定席のようになった店内の椅子を慶子さんに勧めた。

「ぼく、お茶いれるけど、はじめ君も飲むでしょ」

 会話から察するに、元君とは師匠のことだ。師匠の名前は、鈴木すずき はじめさんなのだ。

「お父さん。菓子を配るのはともかくとして、その格好はやめてくださいよ」

「学君にお願いしてせっかく買ったのに。まぁ、いいや。愛しい息子の言うことは聞かないとね」

 お父さん。

 息子。

 サンタクロースは、師匠のお父さん。

 ――「そういえば、近々うちのじいさんが戻ってきますよ」

 つまり、この方は和菓子さまこと鈴木すずき まなぶ君のおじいさんだ。

 和菓子さまには、和だけでなく、洋も血も入っていたのだ。


 慶子さんがおとなしくお茶を飲んでいると、サンタクロースから和服に着替えた小粋な御隠居さんがやってきた。

 店には師匠に代わり女将さんがいた。

「おとうさん、柏木さんは大切なお嬢さんなんだから。勝手に連れ込んじゃダメなんですよ」

「お嬢さんは、柏木さんっていうの。やっぱり常連さんね。若い女の子が来てくれるなんて、ありがたいね」

「学の同級生さんなんですよ」

「おぉ! 学のガールフレンド!」

 慶子さん、あやうく持っていた湯呑を落としそうになる。今のは、一体どういった意味での使用なのだろうか。英語と日本語だと、単語が持つ意味が違うようだ。とはいえ、そんなことを聞けるはずもなく、曖昧な笑顔で誤魔化す慶子さんだった。

「学君、ぼくに似ているからモテるでしょ」

 モテるかと聞かれると、そうなのだろう。夏合宿での蝶先輩とのごたごたの一因は、先輩の好きな女性が、和菓子さまを好きだったからだと聞いた。

 けれど、似ているかと聞かれると困ってしまう。背格好の立派さは、確かに御隠居さんの血なのだろうけど、顔立ちは真逆だ。どこからどう見ても西洋的な顔立ちの御隠居さんと、和風な和菓子さま。

 首を傾げる慶子さんに御隠居さんはくすりと笑うと、「ここ」と左の目もとのほくろを指した。

「あ! 確かに、似ています」

 似ていると言うのも変か。和菓子さまにも、目元に小さなほくろがあるのだ。

「ふふ。でしょ。学君には色気があるから」

 色気! 御隠居さんの言葉に、慶子さんは合点した。和菓子さまの、爽やかとは言い切れないアンバランスは、色気だったのだ。慶子さんは、すっきりした。

 色気のキーワードで、マダムキラーだとか、高校の先輩にモテたとか、和菓子さまに関してのそんな話が、ようやくつながった気がした。つまりそうか、色気か。色気なんだ。慶子さんは頷く。御隠居さんに教えてもらわなければ、慶子さんには答えの出せない分野だった。

「それに比べ、ぼくの息子の元君は、喜一郎きいちろうさんに似ちゃったからな。なんか渋いんだよね」

 またまた、新しいお名前だ。喜一郎さんとはどなただろうか。

「おとうさん、もう少し丁寧に柏木さんにお話ししてくださいよ。あのね、喜一郎というのは、主人の母の兄でこの店の二代目なんですよ。早くに亡くなったので、お店は今は亡き主人の母と、ここにいる父が継いでくれました」  

 師匠のお母さんは鈴子さんというらしい。そして、鈴子さんの夫が御隠居さんだ。

「元君を見ていると、喜一郎義兄にいさんがいるみたいね」

 御隠居さんが言う。

「伝統もいいけど、今も大事なのにね」

 そう言うと御隠居さんは、肩をすくめてショーケースを見た。

 生憎持ち合わせがなく、今日は菓子を買って帰れない慶子さん。ちらりと見たショーケースには、慶子さんの大好きな上生菓子が綺麗に陳列されていた。


 慶子さんが持ち帰った御隠居さんからのプレゼントを母親は目ざとくみつけ、お茶をいれだした。

 クッキーは、蕎麦の味がした。ダクトからの匂いは蕎麦粉だったのだと、慶子さんは納得した。クッキーはサクリとした食感が心地よく、口の中でほわっと溶け、ついつい次の一枚へと手が出てしまいそうなおいしさだった。

 ――伝統もいいけど、今も大事

 御隠居さんの言葉を思い出すと、慶子さんの心はざわざわとしてくるのだった。




 試験翌日の朝一番の授業から、初日分のテスト返しが行われた。先生達も採点に気合が入っていたのだろう。

 頑張って勉強をした成果か、はたまた酉の市でのお参りが効いたのか、今のところ慶子さんの答案はなかなかの高得点だった。

 ほっとした気持ちで午前の授業を終え昼休みを迎えた慶子さんのところに、剣道部の福地ふくち 裕也ゆうや君がやって来た。クラスメイトとお弁当を広げようとしていた慶子さんは、断りを入れ、席を外した。


 校舎の各階のちょっとしたスペースには、簡単なテーブルとイスが置かれている。勉強したり、お弁当を食べたりする場所として、よく利用されていた。

 福地君はそこに慶子さんを誘った。慶子さんは言われるままに大人しく椅子に座った。

福地君の今日のお昼は購買部のパンのようで、袋からは手品のようにパンが次々と出てきた。その数、計六個!

 驚く慶子さんに気付かすに、福地君はビニール袋を破りパンを出すと勢いよく食べだした。

「鈴木のこと、柏木さんも知っているだろう? 俺、もうショックで、食欲ないよ」

 あっという間に一つ目のパンを食べた福地君は、二つ目のパンの袋を開けながら話し出した。

「俺さ、今朝、聞いたんだ。鈴木から進路のこと。大学に行かないで、和菓子の修業をするんだってな」

 慶子さんは、福地君の言葉を聞きながら箸を出し、お弁当箱のふたを開けた。そこには、いつもと変わらぬ、母親の手作りのおかずが詰まっていた。

 卵焼き、きんぴら、ほうれん草のおひたしに生姜焼き。

 それらを見たら、気持ちがすっと落ち着いてきた。

「鈴木が店を継ぎたいのはわかっている。あいつが和菓子を好きなのも、十分理解していたつもりだ。友だちとして、応援したい気持ちは十分ある。……でもさ」

 福地君はそう言うと黙ってしまった。慶子さんには、彼の気持ちが良くわかった。まるで鏡に映したように、自分と同じだったからだ。

 応援したい。でも――。

「淋しいよね」

「そう! そうなんだよ! さすが、柏木さん。おれは、淋しいんだ! でも、そんなこと言ったら、山路には気色悪いって言われそうだし、和歌山には笑われそうだから言えなかった。でも、誰かと話したくてさ。この、どうしようもない感情を誰かとわかち合いたいんだ」

 わかりすぎるほど、わかる感情に慶子さんは頷いた。

「わたし、福地君の気持ちすごくわかる。だから、ありがとう。誘ってくれて。わたしも誰かと話したかった」

「いや、よかった。こんな話、茶化さないで聞いてくれるのは、柏木さんだけだからさ」

 福地君の照れたような泣き出しそうな顔に向い、慶子さんはなんだかむず痒いきもちで、笑顔を見せた。

 

 福地君と別れて廊下を歩いていると、今度は常盤ときわ 冬子ふゆこさんに話しかけられた。受験勉強で忙しいはずだが、常盤さんの美しさは今日も絶好調だった。

「柏木さん、聞いたわよ、鈴木の事。で、見たわよ、福地との逢い引き」

「あいび……えっ」

 決して、逢い引きなんかではない。

「福地君は少し落ち込んでいて、それで、わたしと話そうってなったみたいです」

「いなくなった鈴木の場を埋めるがごどく、近づく二人。慰めあううちに、芽生える愛情」

「常盤さん、誤解です。福地君に迷惑がかかります」

「まぁ、そうね。柏木さんにその気がないのは、みーんなわかってます。でも、あんな仲良く、顔を近づけて、手を握らんばかりの距離でいると、誤解されるから気を付けたほうがいいわよ」

「そんなでしたか?」

 常盤さんの言葉に、ショックを受けていると、今度は担任の今井いまい 洋子ようこ先生までが慶子さんに声をかけてきた。

 慶子さん、大人気の日である。


 今井先生について行った先は、職員室だった。

 職員室には、和菓子さまもいた。

 和菓子さまは、剣道部顧問の山田やまだ 正文まさふみ先生と話しをしていて、その山田先生と今井先生の席は隣同士だった。

 今井先生は、山田先生に頭を下げた。

「いろいろすみません」

 今井先生は、ため息を一つつき、和菓子さまの背中をとんと叩いた。和菓子さまは、慶子さんのことを見ない。それに気がついた慶子さんは、慌てて自分の視線を和菓子さまから逸らした。

 今井先生は椅子に座ると、鍵で引き出しを開け、一枚の答案を出した。それは、古典のテストだった。受け持ちは、今井先生だ。

 バツばかりの答案を見た慶子さんは、気絶しそうになった。明らかに、赤点だ。

「記入ミスよ」

 回答欄に不自然な空白が一つあった。 

「おかしいと思ってよ。ずれていなければ、書いてある分は全問正解だったのに。次の授業で返すけど。でもね、柏木さん――」

 どうしよう、どうしよう。慶子さんは混乱した。

 そして、自分が大学のどの学部に進み何を勉強したいかを、両親に伝えていた姿を思い出した。

 あんなに偉そうに、熱く語っておきながら、自分がやるべきことさえ満足にできなくて。

 答案の見直しなんて、そんな初歩も初歩のミスを――。

「先生」

 はっきりとした声が慶子さんの頭の上に響いた。

「あら、鈴木君、なにかしら」

「でも、大丈夫ってことでしょ。柏木さんの大学進学は」

 慶子さんは和菓子さまを見上げた。

「ええ、そうよ。まぁ、残念ながらこれは赤点だけど。でも再試験をするし。それに今回の柏木さんの出来なら再試験もいい点とれそうだしね。他の教科も今のところ特に問題はないみたいだし。それに、もし古典がダメでも、そもそもそれ以外で柏木さんの単位は足りそうだしね」

「だったら、最初にそう言ってあげればいいじゃないですか」

「あら。わたし、言わなかったかしら? それは悪かったわ。この答案をいきなり授業で返したら、柏木さん驚いちゃうだろうって思って、だからこうして呼んだのよ」

 ふにゃふにゃと慶子さんは脱力した。

 そうなんだ、大丈夫なんだ、それを先生は説明してくれたんだ。

 はぁ、と慶子さんはため息をついた。

「じゃ、ぼく、教室に戻ります」

 和菓子さまはそう言うと山田先生と今井先生に頭を下げ、慶子さんのことを見てきた。

「柏木さんも戻っていいわよ。ほんと、追試頑張るのよ」

 今井先生の言葉に、慶子さんは何度も頷いた。

 

 小走りで和菓子さまの後ろをついていく。

「ありがとうございます」

「……べつに」

 和菓子さまは、後ろ姿のままでそう言った。また、迷惑をかけてしまった。慶子さんの足が止まる。それに気がついた和菓子さまも足を止め、慶子さんに振り向いた。

「担任ってさ、悪い人じゃないんだけど、話が回りくどいんだよね。柏木さんのテストといい、ぼくの進路といい。山田先生まで借りだすなんてさ、どうかしている」

「あそこで進路の話をしていたんですか?」

「そうだよ、参ったよ。福地にしろ担任にしろ、そんな、騒ぐことかな。山田先生が仲裁してくれて、なんとか収まったけど。和菓子屋の息子が、大学に行かずに和菓子の修業するのってそんな変かな」

「変じゃありません。福地君も応援したいって言ってました」

「なにそれ。なんで、柏木さんがそんなこと知っているわけ?」

「福地君とお話しをしたというか」

「福地と話した? いつ?」

 いつ?

「さっきです。あの、福地君に誘われて一緒にお昼を食べた時に、そう話してくれました」

 妙に心臓がバクバクとする。掌に「人」という文字を書き、飲み込みたい衝動に駆られつつ、慶子さんは答えた。

「ふぅん。仲がいいね」

 仲がいい? 福地君と。

 確かに、仲が悪い人とは一緒にお昼は食べないだろう。そして、そう言われてみれば、慶子さんにとって福地君は、仲の良い間柄といえるのだろう。

「福地君とは、仲が良いと思います」

 すると、和菓子さまはもう一度、ふぅんとだけ言うと、慶子さんを置いてさっさと歩きだした。

 わけもわからず、廊下に一人残された慶子さん。

 そんな慶子さんを追いたてる様に、休み時間の終わりを告げる予鈴が鳴った。              

 

 剣道部での久しぶりの稽古のあと、慶子さんは、山路やまじ あかねさんと常盤さんに挟まれていた。山路さんは、心配そうな視線を慶子さんに向けている。それも無理はない。今日の慶子さん、滑るわ転ぶわで、剣道以前にいいとこなしだったのだ。

「柏木さん、今日、少し変じゃない? なにか、悪いものでも食べたの?」

「違うって、山路。柏木さんは恋のトライアングルを満喫中よ。まさか、失恋しちゃった?」

「失恋なら、福地でしょう。見て、あの鈴木を見る顔。情けないやら、気色悪いやら。全くさ、鈴木が大学進学しないからって、なんなのよ。あいつがこの世からいなくなるってわけでもあるまいし」

 山路さんの視線の先にいるのは、福地君だ。

 和菓子さまが大学に進まないことを淋しいと言った福地君。

 でも、あの時最初に淋しいという言葉を使ったのは、慶子さんだ。

 ――仲がいいね。

 そうかもしれない。自分は福地君と同じ気持ちなのだから。

 応援したい、でも。

 ――和菓子屋の息子が、大学に行かずに和菓子の修業するのってそんな変かな。

 変なんかじゃない。全然。

 わかっている。変なのは、素直に応援できない自分のほうなのだ。




「寿々喜」の暖簾をくぐると、お店には御隠居さんがいた。

「やぁ、柏木さん。いらっしゃい」

 ずりりと後ずさった慶子さんに、帰さないとばかりに御隠居さんが笑顔を向けてくる。貫禄負けした慶子さんは、敗者に相応しく、とぼとぼと前に進んだ。

「さぁ、今日は何にしましょうか」

 まるで八百屋さんや魚屋さんのようなその問いかけに、慶子さんの頬は緩んだ。

「そうそう。女の子は笑わないと。まぁ、男の子も笑ったほうがいいけどね。元君なんていつも眉間に皺だもんね」

 慶子さんがショーケースを覗くと、今日もいくつもの新しい菓子が出ていた。


「さて、さて。かわいい柏木さんへの今日の一番のお勧めは、『藪柑子(やぶこうじ)』。あ、ぴんとこない? 『藪柑子』って言うよりも、十両って言ったほうが分かりやすいかな。万両、千両って赤い実をつける木があるでしょ。それと並べて十両ね」

 ショーケースの中にある「藪柑子」と説明のある菓子は、三角形に伸ばした緑色の練り切りの上に丸く形をつけたつぶ餡を載せ、三隅をその上にかぶせたものだった。そして、その三隅に小さな赤い実がぱらぱらと散らしてある。練り切りは完全には餡を隠していないため、その赤い実と黒い餡のコントラストが綺麗だった。

「藪柑子」の形はシンプルだ。シンプルなのに、情緒もあり美しさもあった。そしてその形はモダンでもあった。「藪柑子」とビターなチョコレートを一緒に洋食器に載せたら綺麗だろうなと、慶子さんは思った。

「次は、柚子饅頭ね。毎年この時期になると作る上用饅頭ね。口に入れた時の柚子の香りがいいね」

 ほのかに柚子色をし、頭に小さな緑の葉をつけた饅頭がころんとあった。饅頭の皮には、ところどころ小さな黄色い柚子の皮が見えた。爽やかだ。

「饅頭」と「爽やか」という言葉が並ぶのは変な話だが、この柚子饅頭を見るとその言葉しか浮かばなかった。食べることを考え、ふふふと顔が笑ってしまう慶子さん。

「これも面白いよ。黒砂糖のきんとんで作った『初霜』。材料を試すのが大好きな元君が、いろんな黒砂糖を取り寄せてはあれこれ考えて作ってた。なかは、白餡ね」

 黒砂糖のきんとん。きんとんの上生菓子は今まで何度も食べたけれど、黒砂糖味のものはなかった気がした。口の中で、どんな味が広がるのか楽しみだった。


 そして最後に残ったのが、「山茶花」。つい先日見た花が、菓子となりここにあった。そのことが、慶子さんの胸をぎゅっとさせた。

「そっか。柏木さんの一番は、これかぁ」

 御隠居さんが嬉しそうに言った。

「小さい店のいいところって、みんなであれこれ言いあいながら菓子を作れるところなんだよね」

 春から「寿々喜」に通っている慶子さんだか、こういったお店内の事情は初めて聞いた。

「ぼくはね、『藪柑子』大好きなの。初めて義兄に認めてもらったのがこの菓子だから。なかなかモダンでしょ。そして、柏木さんの一番の『山茶花』ね。これは、学君だよ。もちろん、まだお店に出すものは作れないから、手直しを含め作ったのは元君だけど。あの子が考えた菓子を元君が採用したのは、初めてだと思うよ」

 つまり、これは和菓子さまの菓子なのだ。

 慶子さんの気持ちに一番響いた「山茶花」は、和菓子さまが考えたのだ。

「椿じゃなくて、山茶花ってところが渋いよね。でも、はっとしたんだよね。椿と山茶花があったら、椿のほうが通りもいいし、ついそっちを作ってしまう。けど、あの子は今自分が感じる美しさを、その感じ方を大事にしたんだなぁって。ぼくね、元君とね、和菓子の事、いろいろ話すの。まるで元君がお父さんでぼくが息子みたいな会話なんだけどね。ぼくね、元君は古いよって。もっとイマドキのモチーフを取り入れなよって。でもね、そういうことじゃないんだね。古いとか新しいとか。学君の菓子を見て、あぁ、そうかってぼくも思った。きっと元君もね。菓子は頭で考えるんじゃなくて、体感として何をどう感じてそれをどう表現するかが大事だってね。結果として出来たものは、古典的なものである場合もあれば現代的なものである場合もあって。和菓子は、お店によっていろいろね。いろいろあっていいの。でも、うちの考えはそれね。それでいくんだってね」

「山茶花は、この間、学校帰りに見て、その色の鮮やかさに心が奪われました。だから、ここにその花が菓子となって在って。うまく言えないけれど、とても驚きました。わたしの心が切り取られたみたいな、そんな気持ちになりました」

「若いっていいね。まっすぐで、濁りがない」

「わたしは、まっすぐでもなければ、心も濁ってばかりです」

「ぼくには、そうは見えないよ。柏木さんが、『山茶花』を選んだのもそれを証明しているじゃないかな。柏木さんの目に映る景色と学君のそれは、とても良く似ているんだね」




 帰宅後慶子さんは母親に挨拶をした後、部屋に籠った。

 結局「寿々喜」では、「山茶花」一つしか買わなかった。

 箱から出した「山茶花」を、慶子さんはそっと掌の上に載せた。

 紅色した小さな花の菓子。

 師走の住宅街で、鮮やかに咲くその花に。

 その中に、和菓子さまの決意と、それを受け入れた師匠や御隠居さんの気持ちが詰まっているように慶子さんは感じた。


 ――応援したい。

 慶子さんは強く思った。


 なのに瞳からは、涙がこぼれるのだった。



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