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13・しんぼうの木練柿(前編) / (十一月)

「しんぼうの木練柿こねりがき」は、前編・後編になります。

 駆け足で夕暮れが訪れる霜月。

 思いがけない寒さに首がすくむ、十一月。

 自分の進路について嬉しい出会いをした慶子さん。

 ちょっと浮かれていた、そんな頃でありました。

 



 柏木かしわぎ 慶子けいこさんの背中の胴紐には、凛々しくも白いたすきがひらりと結ばれていた。体育館で剣道部のみなが見守る中、慶子さんは模範の様に綺麗な一礼をすると前に進み*蹲踞そんきょをした。そして、審判の「はじめ!」の声に立ち上がると、竹刀を構えた。 



 遡ること三週間前の十月のある朝、慶子さんが山路やまじ あかねさんと通学路で一緒になったところから、このことは始まった。山路さんと朝の挨拶を交わした慶子さんは、一枚の紙を山路さんから渡された。


 紙には、山路さん手書きで、何名かの名が書かれ、そのトップに慶子さんの名前があった。慶子さんの名前の上には「先峰」とある。

「先鋒 柏木」。

「先鋒」とは、和菓子さまこと鈴木すずき まなぶ君から借りている本で覚えた単語で、団体戦におけるトップバッターの役割だ。しかし、なぜその「先鋒」の下に、自分の名前があるのか。はてなと首を捻りながら、慶子さんは視線を横にずらし、他の人たちの名前も見た。

 すると「次鋒 八坂やさか」、「中堅 常盤ときわ」とあり、さらには「副将 安井やすい」、「大将 山路」とある。これは、どういう意味だろうか。慶子さん、立ち止り、瞬きもすることもできないまま山路さんを見た。

 と、その時。慶子さんの背中にどんとぶつかってきた人がいた。慶子さんもよろけたが、ぶつかったその人もよろけた。そして、何かが転がる音がした。


「すみませんっ!」

 足にギブスをした男の子が慶子さんに謝ってきた。

「いえ、わたしこそ急に止まったから! 大丈夫ですか?」 。

「俺、よそ見をしてて。あっ、一人で立ち上がれますんで大丈夫です」

 慶子さんは、地面にぺたんと手足をついているその人の側に行き、立ち上がる手伝いをしようとした。山路さんは地面に落ちていた松葉杖を拾うと、男の子に渡した。彼は、ぺこぺこと頭を下げながら、通学路の人波に紛れていった。

「杖ついて、大丈夫かな。足の怪我、大変そうだわ」

「あの子、サッカー部の二年生よ。この間の試合で、相手チームのすっごいラフプレイの餌食になったのよね。骨にひびがはいったらしいよ」

「試合中の怪我なのね。サッカーは、父がよく観ているけれど。体を守るものがないから痛そうだわ」

「その点剣道は、防具付きの試合だから、少しは安全かな? ってことで、柏木さんもよろしくね」

「よろしくって、なにが?」

「試合よ。常盤も、柏木さんを試合に出そうって、はりきっているの。しかし、順番決めで、迷ったわ。副将は、常盤にするか一年の安井さんにするか。でも、安井さんは来年の部長候補だから、やっぱりここは踏ん張ってもらおうと副将にしたでしょう。柏木さんと一年の八坂さんも迷ったけど、柏木さんの頑張る姿が一年生のいい刺激になるかなぁと思って、柏木さんが先峰。もう、ベストメンバーっすよ」

「ごめんなさい、頭がおいつかない。団体戦? わたしが?」

 慶子さん指に力は入り、持っている紙に皺がよる。

「だって、交流戦は団体戦なんだもん。団体戦は五人必要でしょう。わたしに常盤、一年生で経験者の安井さんと八坂さんでしょう。これで四人。残り一人に、柏木さんが、入らない理由がないでしょう」

 山路さんの説明はその通りだ。慶子さん以外の女子部員と言えば、初心者の一年生だ。彼女たちに比べれば、自分はわずかだが先輩だった。

 慶子さん、二度ほどつばを飲み込み、喉を潤す。試合、団体戦、先鋒。頭で理解しても、感情が追い付かない。血の気のない慶子さんの顔は、美白希望の諸先輩が見たら羨ましいと思うほど、白かった。


 その日から、以前に増してのスパルタ練習が始まったのだ。

 放課後だけでなく、試合に出る山路さん、安井さん、八坂さん(そして、時々常盤さん)と一緒の朝稽古も始まり、慶子さんは家に帰ると湿布臭を撒き散らす存在になっていた。      

 そんな慶子さんを、母親は興味深く、父親は心配そうに見守っていた。

 試合に出るなんて、そんな日が来るとは思っていなかった慶子さんは、そんな日が来てしまったことでのあれこれを受け入れ始めた。心の中にあった試合への恐怖心も、日々の練習の積み重ねにより薄れていったのだった。



 そして、試合の当日の朝。

 緊張マックスの慶子さんの周りに、女子部のみなが集まる。試合に出ない一年生たちは、慶子さんの状況が人ごととは思えず「頑張ってください」の言葉にも熱が入った。

「柏木さん、足さばきが上手くなってきたよ。だから落ち着いて、いつもの調子で」

 山路さんからのアドバイスだ。

「柏木先輩って、意外と度胸あると思うので、大丈夫です」とは、八坂さん。

「先輩って見た目と違ってスタミナありますもんね。持久戦でも大丈夫かも」と、話すのは安井さん。

 八坂さんも安井さんも、ここ最近の慶子さんの上達ぶりに正直驚いていた。そして、そんな慶子さんの姿に、刺激もされていたのだ。

 そんな中、緊張感なく大きな欠伸をしたのは常盤ときわ 冬子ふゆこさん。連日、早朝から深夜まで薬剤師になるために勉強を続ける努力家だ。

「ねぇ、柏木さん知ってる? 剣道で一本取るのって、竹刀をびしっと当てないとダメなのよね。つ・ま・り。びしっと当てさせなければ、逆にいくら打たれてもOKってこと」

 常盤さんの言葉に山路さんが同感だと言わんばかりに頷いた。

「そうね。打つ数が多いからって一本取れるわけじゃないもんね。それこそ、びしっと当たるのが一本あれば、それでビンゴなんだし」

「だ・か・ら。おじけず、おびえず、堂々と戦ってね。それに、柏木さんが負けても、八坂さんが負けなければどうにかなるから大丈夫」

 常盤さんからいきなり指名された八坂さんが「ひゃぁ。やや、頑張りますっ」と、声を裏返させた。


 今回の交流戦は、「勝者数法」だった。

 勝者の数により、団体としての勝敗が決まるのだ。

 慶子さんは、みなの顔を見た。

 そうするとで、この春から自分がしてきた練習を思い出すことができた。

 ――大丈夫。

 自分は自分のベストを尽くすのだ。


「はじめ!」

 試合が始まると、相手は慣れた動きで慶子さんを襲ってきた。いきなり、慶子さんの構えた竹刀が振り払われ、面を狙われる。

 慶子さんは素早く竹刀を戻し、打たれまいとそれを防いだ。すると、今度は腕が上がったために隙ができた胴に、相手の竹刀が向けられた。

 その時、浮かんだのが常盤さんの言葉だ。

 ――びしっと当てさせなければ、逆にいくら打たれてもOK

 慶子さん、相手との間合いをわざと詰めた。

 すると、竹刀は胴に当たったものの、それは一本を取るような鋭さには欠けたものになった。

 次に慶子さんは、相手が体勢を直す隙をつき、さっと後ろに下がると相手の小手を狙った。

 大きな声をあげ、そして打つ瞬間にキュツと竹刀の握りに力を込めた。

 パッと審判の白い旗が上がる。

 わぁ、と声があがる。

 白、白、白! あ、わたしだ!

 慶子さん、自分の体中に凄い勢いで血が巡るような気がした。嬉しくてたまらなかった。


 しかし、試合はまだ終わりではない。

 五分間で三本勝負。決まらない場合は引き分け。これが今回のルールだ。

 慶子さんに一本を取られた相手は、今度は慎重に慶子さんを攻め始めた。

 さっきのような隙はなくなり、確実に一歩取る作戦に変えたようだ。

 じりじりと試合は進んだ。

 慶子さんも何度か、竹刀を払い相手に飛び込もうとしたが、その度にかわされた。

 落ち着いて、落ち着いて。慶子さんは自分に言い聞かせた。

 心臓が、痛い位にバクバクと音を立てているのがわかった。そして、それについ気が取られた瞬間。

 慶子さんの首をめがけて、竹刀が突かれた。突きだ。

 うわっと思い、慶子さんはよけようと動く。間一髪で、竹刀は慶子さんの首の横を鋭く突き抜けていった。けれど、よろけた隙に、相手からの面を慶子さんは受けた。

 赤い旗が上がる。相手チームが、盛り上げる。

 これで同点になった。


 慶子さんは悔やんだ。今のは、自分のせいだ。よろけたせいで、一瞬、集中が切れた。

 そして、負けたくないと強く思った。勝ちたいと。慶子さん、じりじりと間合いを測り、攻めに入った。

 相手も高校三年生だと聞いた。彼女が自分よりも強いのはわかっている。だからこそ、攻めてこられるのを待ちたくはなかった。今のように、何が何だかわからないうちに一本を取られるのは嫌だった。

 持久力はある。残り時間、ずっと攻めるくらい、稽古でもやってきたことだ。稽古でできたのだから、今もできるはず。

 そう慶子さんは自分に暗示をかけると、今まで習ったことの全てをぶつけた。

 竹刀を払い、面を狙う。そして胴を。さらに面の連打をする。そして小手も狙う。自分が繰り出す技の全ては、みなのお陰なのだ。それを、今やらないで、いつするのか。枯れそうになる程の声も出し、慶子さんは相手に向っていった。

 しかし、相手と慶子さんはキャリアも違えば、上手さも違った。慶子さんがしていたことは、山路さんが言った「打つ数が多いからって一本取れるわけじゃない」であり、相手にしてみれば常盤さんの言った「びしっと当てさせなければ、逆にいくら打たれてもOK」な状態だったのだ。

 時間ぎりぎりのところで、相手の一本が慶子さんの胴に入った。

 赤い旗が上がる。

 先鋒、慶子さんは負けてしまった。

 礼をして下がる時、次鋒の八坂さんと目があった。八坂さんは、慶子さんに向って大きく頷いた。

 

 竹刀が飛んだ。

 八坂さんの対戦相手が、竹刀を手から放したのだ。一時試合が中断され、再開された。

「なんか、おかしい」常盤さんが隣にいる安井さんに言う。

 安井さんも無言で頷いた。

 

 体育館には、試合場がもう一つできていた。そこでは、男子一、二年生の合同チームが相手校と戦っていた。

「……荒いなぁ」

 北村君が和歌山君に言う。

「あぁ、ちょっと気をつけないとな」

 和歌山君の顔が曇った。  


 女子部は、その後の八坂さん、常盤さんと勝ち、二勝一敗で副将の安井さんへと繋いだ。 安井さんが勝つか、負けるかで団体戦の流れが変わる。

 安井さんは、とてつもないプレッシャーを感じた。しかし、その時、慶子さんの首にできた赤いすり傷が目に入った。

 安井さんは、大きく深呼吸をすると、堂々とした足取りで試合に臨んだ。安井さんの相手は、相手校でも一、二を争う三年の選手だった。しかも、体つきが安井さんとは明らかに違った。パワーのある相手だった。

 安井さんが相手からの技を上手くかわし、小刻みに打ちにはいると、相手はつば競り合いに持ち込み、何度か安井さんを吹き飛ばすかの勢いで押してきた。

 体勢が崩れながらも、安井さんはなんとか相手と互角に渡り、引き分けた。

 実力を考えると、それは勝ちにも匹敵する引き分けだった。

 二勝一敗一引き分け。勝負は、大将対決となった。

 

 山路さんの相手は、ここ二年、毎回山路さんと対戦している相手だった。良くも悪くも相手のことをお互いよく知ってるはずだった。

 しかし、山路さんから見て今日の相手校はいつもと様子が違った。今までの選手の動きを見て思ったことだが、どうも動きが荒く、乱暴でさえあった。

 本来なら直すべき癖もすごく出ているように思え、突っ込みどころはいくらでもあった。しかし、強くもあった。気迫もあった。ともかく勝てばいいといった、力で押してくるような、ごり押しともいえる剣道だった。

 感情で対応すると、ついムカつき、こっちまで技が荒くなる可能性があった。

 引っ張られない、冷静に、確実に。

 飛びかかってくる相手を、確実にかわしながら、山路さんは正確な技を繰り出した。

 つば競り合いからは、距離を取り、引き面を打った。

 白い旗が上がる。

 そして、相手が小手を狙ってきた時には、素早く腕を上げ、竹刀が下に振り下ろされたところに面を打った。

 しかし、僅かに入らず。

 にらみ合いが続き、相手が威嚇のために大きな声を出してきた時も、負けずに声を出した。

 山路さんは勝負に出るべく大きなアクションで面を狙った。そして、相手がそれを防ごうと、わずかに上げた腕めがけて小手を打ったのだ。

 サッと白い旗が上がる。

 両チームから、歓声と落胆の声が聞こえた。

 礼をしたあと、改めてチーム五人が並び、再び礼をした。


 アナウンスで、次の試合までの休憩が告げられた。

 ――そして。

「柏木さん!」

 山路さんが慶子さんに抱きついてきた。一人だけ負けてしまい、責任を感じていた慶子さんは、山路さんを受け止めはしたものの、どう反応すればいいのかわからなかった。

「山路、柏木さんだけじゃなくて、一年生も抱きしめてあげて」

 常盤さんは、一年生の安井さんと八坂さんの頭をぐりぐりと撫でていた。

「ん! 二人とも、よく凌いだ! 頑張った!」山路さんは両手に二人を抱え込む。

 慶子さんは、常盤さんから薄手のタオルと軟膏を渡された。

「次の試合まで休憩時間あるから。今のうちに柏木さんは、首の傷を冷やして、薬を塗ってきて」

 

 相手校も水飲み場を使っていたので、慶子さんは少し離れたところにある水飲み場へと急いで向かった。

 休憩後は、二チームに分かれた男子三年が、それぞれ試合をすることになっているのだ。見逃すわけにはいかない。

 常盤さんから借りたタオルを水に濡らし絞り首の左側に当てていると、ひりひりと痛んだ。水道の上についた曇った鏡で、慶子さんは自分の首を見た。竹刀が通ったあとが、赤い擦り傷となっていた。いまさらながらに、ぞっとする。慶子さんは、鏡を覗き込みながら軟膏を塗った。


「柏木さん」

 名前を呼ばれ振り向くと、和菓子さまがいた。

「柏木さんのたすきを取りに来た。外すから、後ろ向いて」

 和菓子さまは言うが早いか、慶子さんの背中にあった白いたすきをしゅるりと外した。そうだ、たすきは次の人たちに渡さなければいけなかったのだ。慶子さんは焦った。

 もしや、和菓子さまは、たすきを探しまわり、こんな辺鄙な水飲み場までくるはめになったのか。なんてことだ。迂闊な自分の行動を慶子さんは深く反省した。

「すみません。ありがとうございます」

 和菓子さまは慶子さんをちらりと見ると「つけて」と、背中を向けた。慶子さんは軟膏と濡れたタオルを鏡の前に置くと、和菓子さまの背中の胴紐にさっきまで自分の背中で揺れていたたすきを結んだ。

 そして、改めて和菓子さまは背が高いんだなぁと思った。これくらいの背があれば、面を打つのがさぞ楽しかろうと。

「ありがとう」

 和菓子さまは振り向くと、そのまま慶子さんをじっと見た。彼の瞳は、怒っていた。その圧に、慶子さんはたじろいだ。和菓子さまが、慶子さんの首を指さす。

「赤くなってる」

「とろくて」

 慶子さんは自分の不甲斐なさに恥ずかしくなった。こんな傷をつけてしまったせいで、みなに心配をかけている。時間をまき戻せるものなら、やりなおしたい。今度は、突きを着かれそうになっても、集中力を切らさずに、隙をつくらない。

「柏木さん。試合、見て」

「はい。もちろんです」

「勝つから」

「え?」

「絶対に、勝つから」

 和菓子さまはそう言うと、きゅっと口を結び体育館へと戻って行った。慶子さんは、彼の後ろ姿を見つめながら、なぜだか泣きたくなった。

 

 慶子さんが体育館に戻ると、男子の試合が始まる三分前だった。慶子さんは、山路さんと常盤さんのそばに行った。

「先鋒は、鈴木かぁ。相手は、でかい鈴木よりもさらにでかい」山路さんが唸る。

「先鋒なんて、柏木さんと仲良くおそろいね」と、常盤さん。

「鈴木、どうだろう。最近、稽古は真面目にやっていたけど、相手だってぬかりないだろうし」

「そうね。せめて引き分けにするくらいの根性が欲しいわね」

「勝ちます」

 慶子さんの発言に、山路さんと常盤さん勢いよく慶子さんの顔を見た。

「……勝つと思います」

 ははーんといった顔で常盤さんが慶子さんの頬をつつく。

山路さんは、コホンと咳をすると「そうだよね。仲間の勝利は信じないとね」と、真面目な顔をした。

 和菓子さまの背中が見える。途端に、慶子さんは自分が結んだたすきが気になった。

「おかしくないよね、たすき」

慶子さんは、山路さんと常盤さんに聞く。

「へっ? 何、鈴木のたすきを、柏木さんが結んだの? いつの間に? もう、やめて。なんなのこれ。鼻血が出る」

山路さんが鼻を押さえる。

「ふーん。そっか。なるほどね。柏木さん、心配無用よ。たすき、すっごく上手く結べているわ」

常盤さんからは最上の笑顔で、お褒めの言葉をいただいた。

 

 和菓子さまの試合が始まった。男子部の激しい試合を見て、慶子さんは驚いた。

 山路さんが首をかしげる。

「ん。やっぱり、女子だけじゃない。男子も技が荒いね。どうしたんだろう、勿体ないな」

「そのことについての情報、仕入れたよ。あちらさん、コーチが変わったんだって」常盤さんはそう言った。


 和菓子さまの相手は、上段の構えだった。

 背が高いその人が、上段にすると余計に大きく見えた。

 面を打つ時も、左手一本で竹刀を持ち打つため、動きが派手に見えた。

 相手の打ちこみに、同じチームから拍手があがった。しかし、旗は上がらない。

 それを見ながら慶子さんは、さっきの自分の攻めはまさにあんな感じだったのだろうなと思った。

「残心」山路さんが言う。

「うん。あちらさん、弱いね」常盤さんが答える。

 残心とは、技を繰り出したあとも油断せずに、相手の動きに応じることが出来る気構えの事を言う。技を入れた、はいおしまい、ではなく技のあとにも続く気持ちと動きが剣道には求められるのだ。


 和菓子さまが、小手を空振りした相手の面めがけて竹刀を振り下す。

 白い旗が上がる。慶子さんたちも盛り上がる。

 その後も和菓子さまの攻撃は続いた。和菓子さまは、右に動き相手の左小手を狙った。

 すると、相手は小手を打たれまいと、腕を大きく上げた。

 その隙を狙い、和菓子さまは抜き胴を打った。

 和菓子さまが、相手の脇を抜けていくのと白い旗が上がるのは同時だった。

 歓声があがる。

 和菓子さまが礼をしたときに、白いたすきがひらりと舞った。

 勝った!

 慶子さんは、胸がいっぱいになった。


 終わってしまえば、女子も男子三チームも全て勝利をあげた団体戦だった。

 後片づけも全て終わったあとで、福地君は部員全員に剣道場に集まるよう声をかけた。


 上座には福地君、山路さん、そして幽霊顧問の山田先生が座った。

 そして、慶子さんたちは向かい合うように、ずらりと並び座った。

「改めて、お疲れさまでした」

 福地君の声に、みなも「お疲れさまでした」と、返した。

 福地君は、何度も話し出そうとしながらも言葉が見つからないのか、うーとかあーとかいった言葉しか出てこないようだった。

 山路さんがコホンと咳を一つする。

「では、女子部の部長よりお先に一言。みなさん、今日は本当にいい試合をありがとう。おかげでわたしも、自分の好きな剣道をすることができました」

 山路さんの言葉に福地君が「おまえがそれを言っちゃうのか」と、小さな声で抗議した。

「今日の試合で、わたしは『勝つこと』について考えさせられました。もし『勝ちたい』気持ちを計測できる機械があって、試合前にそれを計っていたとしたら、おそらくうちの学校は負けていたと思います」

 幽霊顧問の山田先生が、にこにことした顔で頷いている。 山路さんの話は続く。

「女子部の先鋒の柏木さんの試合で、相手の勝ちたいという思いとそれに伴う際どい技を見た時、正直肝が冷えました。と同時に、そこまでして勝ちにこだわる相手の姿に嫌悪感を抱きました。しかし、そんなわたしの思いは、柏木さんの姿を見たことで払拭されました。柏木さんは、はっきりいって未熟ながら、正々堂々と相手に立ち向かっていました。その姿からは、相手と同じように勝ちたいという強い思いが伝わってきました。結果は負けてしまいましたが、わたしは、というか、多分女子部はあの試合を見て、自分たちは柏木さんの側で勝ちたいと強く思ったと思います」

 山路さんの言葉に、女子部のみなが小さく拍手している。

「けれど、試合も終わり、冷静に考えると、相手校のどんな手を使っても勝ちたいと思う気持ちもわかりますし、勝ちたいと思う気持ちは大事だと思いました」

 山路さんの隣で、福地君が大きく頷いた。

「これから段々と技術が向上すると、技術があるだけに、自分がどういった剣道をしていくかの選択を迫られることになると思います。今のわたしの出した答えはそれですが、それはあくまで選択肢の中の一つなんだと思います。正解はないと思います。正解というよりも、考えることが大事なんだと思います。残り少ない高校生活ですが、そういったことも一緒に考えて悩んでいけたらと思います。以上です」

 山路さんの言葉に「ありがとうございました」と、声があがった。


「う。やりにくい」

 恨めしそうな顔をして福地君は山路さんを見た。

「あ、つまりが。ダークサイドに――」

 福地君の言葉に、みなが「へ?」という顔をした。

「福地! また、スターウォーズか?」和歌山君の茶々がはいる。

「うるせー!」福地君はそう言うと顔を赤くした。

「俺は、山路みたいに高潔にはなれなくて、勝てるなら多少のことはいいと思っている。でも、なんていうか、多少のことっていうのは多少のことで、やっぱりそれ以上超えてはいけないラインもあるってことは、うん、わかっている」

 そう言うと福地君は、照れ隠しするかのように、おでこをぽりぽりと掻いた。

「あぁ、でぇ、その。つまり、そのラインの見極めが大事なのかなぁと。それがないと、もう、それは『スポーツ』とは言えないものになるんじゃないかって、それを考えさせられた今日の試合でした。ともかく、みんな、よく戦いました。おしまいです」

 福地君が話し終えると、山路さんの時と同じように「ありがとうございました」と、声があがった。


 どうしても勝ちたい思い。

 それは、今日の試合での慶子さんの思いでもあった。

 しかし、自分は技量がないために、基本になぞった動きしかできなかった。

 けれど、慶子さん以外の女子部は、技量があっても、際どい技の使い方には走らなかった。

 見た目は同じでも、それは違う。

 もし、この先、今よりも上達した時、自分はどういった選択をするのか。

 慶子さんは宿題のようなその問いを、心の引き出しにそっとしまった。


*蹲踞-腰を下ろす時に、つま先で体を支えること。その際体は真っ直ぐ姿勢よく。


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